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5 悪魔に春は来たか

 最近、奇妙な噂が流れているらしい。

 情報収集のために伊達眼鏡と茶髪のカツラを装着して歩き回っていたトーリは訓練施設の中庭で足を止めた。

 話しているのは武官の記章をつけた者達。

 日向ぼっこをしながら昼食を取っている彼らはかなり盛り上がっていてトーリに気づく様子はない。


「だーかーら! あの冷血の悪魔とデキてるんだって!」

「またまたー」

「ほんとだって! 試しに見てみろよ、毎日お揃いだぜ?」

「まじかー、俺のシャルロットちゃん……」

「お前のじゃねーよ」

「シャルロットちゃん可愛いし優しいし、おまけに薬はよく効くし……ああああああなんであんな男とぉおおおおおお」

「うるさい黙れ」


 冷血の悪魔とは自分のことだろう。

 宰相の可能性もあるが、宰相がその二つ名で呼ばれていたのは5年以上前のこと。階級を見るに彼らはトーリより年下だろうから、宰相が冷血の悪魔であった時代を知らないはずだ。

 しかし、デキているとはどういうことか。

 シャルロットという女性に覚えはないし、それにお揃いというのも腑に落ちない。

 もう少し聞いていればわかるだろうかと期待したが、彼らの休憩時間が終わってしまったらしく続きは聞けなかった。

 諦めてきびすを返し、あちこち見回った後で薬草園に立ち寄る。

 気持ちを落ち着ける効果があるというハーブの香りはサラが淹れるお茶に似ており、サラのブレンド茶の材料はここから採取されているのかもしれないと予想する。


「あれ……誰かいらっしゃるんですか?」


 塀の向こうから聞こえた声。

 薬草を見るために折っていた腰を伸ばすと、門から茶髪の女性が入ってくるのが見えた。


「記章がない……。どちらさまですか? ここは許可を得た者以外立ち入り禁止ですよ」


 鈴のような可憐な声に厳しさを含ませる女性。

 作業用のローブ姿の彼女は胸元から警報用の笛を取り出す。


「驚かせて申し訳ありません。僕は宰相補佐官のトーリと申します」


 カツラを取り、伊達眼鏡を外す。

 手ぐしで髪を整えれば金髪碧眼、いつも通りのトーリの姿だ。


「そうでしたか。宰相補佐官様が変装までなさるなんて、何の御用ですか?」


 女性はトーリの顔を知らないのだろう、いまだ疑いは晴れていないと言った調子で尋ねる。


「ちょっと執務上必要でして。詮索しないでいただけると助かるのですが」


 本当は執務上の必要など全くなく、薬草園に来たのも偶然でしかない。

 しかしそれを言えば笛が鳴らされ衛兵たちに痛くもない腹を探られることになるのだろう。

 国内外に敵の多い現状で無駄なトラブルは起こしたくなかった。


「身分を証明できるものはお持ちですか」


 可愛らしい顔をしながらも女性の追及の手は緩まない。

 変装のために記章の類いを全て執務室に置いてきていたトーリは途方に暮れ、胸元に手をやる。

 触れたのは首元のクラバット、そして胸ポケットに差していたチーフだった。

 そうか、チーフがある。


「これを」


 胸ポケットから抜いた赤のチーフを差し出すと蜂蜜色の瞳が揺れる。

 細い指がチーフを取り、紋章とイニシャルが刺繍されたそれを確かめるように撫でる。


「ディファイン侯爵家……失礼致しました」


 チーフをトーリに返し深く礼をする女性。

 

「構いません、記章をつけていなかった僕の責任です」

 

 女性の手を取って立たせると、薬草の香りにまじり爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 女性の姿を改めて見て、トーリの喉が無意識にこくりと鳴った。

 真紅のリボンで纏められた艶のある茶色の髪。

 蜂蜜色の瞳が太陽の光を受けて輝き、ふっくらとした頬は血色を帯びている。

 薔薇色の唇は果実のように張りがあり、思わず触れたくなるような瑞々しさだ。

 可愛らしい、しかしどこか蠱惑的な色気を含む目の前の存在に呑まれそうになる。


「わたくし……やはり何か失礼を」


 戸惑ったような声にはっと気を取り直す。

 握ったままだった華奢な手を解放する瞬間胸によぎる「惜しいな」という感情を追いやって、仕事用の笑みを作り上げた。


「いいえ、あなたの美しさに見惚れてしまったのですよ」


 使い古された口説き文句。

 しかし今のそれは真実だった。


「僕はそろそろ戻ります。仕事を邪魔してしまいすまなかった」


 カツラをかぶり直すのはやめ、眼鏡だけつけて薬草園を出る。

 トーリが屋内に入るまで女性の持っていた警報用の笛が鳴らされることは無かった。



 午後のお茶の時間が済むと夕食までは会議もなく、宰相や大臣は各々の執務室で執務に励む。

 それは部下である宰相補佐官も同じであり、トーリはその数時間を休憩なしで突っ走るのが常だった。

 そのためトーリはその時間をサラの休憩時間と決めており、自室で仮眠をとることも許している。

 深夜の衛兵が手薄になる時間帯にサラに警備をさせている分、ゆっくり休んで欲しいというトーリの配慮だ。

 もっとも、普段から隙を見てはサボっているサラは「休憩を増やすくらいなら休日を増やしてくれればいいのに」としか考えておらず、トーリの気持ちはこれっぽっちも伝わっていない。

 しかしそれはそれ、今日もサラは「お食事の時間になりましたら私の部屋に使いをやってください」と言ってトーリの執務室を出ていった。

 使いが必要ということは寝る気満々なのだろう。

 トーリは肯定の返事をして書類に向かう。

 サラは自室の方向へ足を向け、数歩進んだ後に足音を消した。

 踵を返して今過ぎたばかりのトーリの執務室を通過し、宰相の執務室も通過して階段の脇に身を踊らせる。

 誰もいないことを確認し、壁の一部を押して隙間を作り、その中に入り込む。

 王城勤務3年目。

 王城の隠し通路のほとんどがサラに制覇されていることを王たちはまだ知らない。


「お、レディおっつー」


 暗く湿った通路が開けた先。

 蝋燭が煌々と輝くそこはちょっとした広間になっており、豪奢なテーブルセットが鎮座していた。

 ソファに身を委ねているのは十代半ばの少年と二十代に見える女性。

 軽い声で挨拶をした少年にサラは片手を挙げて答える。


「こんにちはコノハさん、メンフさん。今日のおやつはなんですか?」


 木製の椅子に腰掛けながら問えば、コノハ少年はテーブルを指さす。


「右から南国産、東の島国産、帝国産だよ」


 テーブルの上には3本のガラス瓶。

 ポケットにすっぽり収まるサイズの瓶には赤、無色、茶色の液体が入っている。


「では早速」


 右の瓶のコルクを抜き、南国産の赤い液体の香りを楽しむ。

 ほんのりと感じる草の香りは気をつけていなければ捉え損ねてしまうような淡いもの。

 ゆっくりと一口含めば酸味の中にほのかな甘みがあり、糖蜜を加えて水と合わせたらきっと美味しいジュースになるだろう。

 ゆったりと広がる寒気は真夏に供すればきっと人気間違いなしだ。


「文献で見たことがあります。ヒエールカエルから取れる毒ですね。予想よりずっと美味しい」


「正解よ」


 にっこりと笑うサラにしどけなく笑う赤毛のメンフ。

 締め付けが苦しいと緩めた衣服からは豊満な胸が今にもこぼれ落ちそうで、まるで絵画の中の女神のようだ。

 夜会に現れては口付けと共に対象者を葬る、甘美な悪夢。

 昔聞いたメンフの得意技を思い浮かべ、もし事前情報があったとしても彼女の誘惑に抗うことは困難だろうと一人納得したサラは次の瓶を手に取る。

 無色の液体はアルコールの香りを放っており、軽い苦味がある以外はクセもなく飲みやすい。

 手足など末端から広がる痺れは王国でも使われる毒に作用が似ていた。


「フックラ魚の内臓を蒸留酒に漬けたもの、ですかね。私一応勤務中なのでお酒は控えてるんです。毒液単体は無かったんですか」


「それは無理だ。空気に触れると分解するからな」


 胸に響く低い声。

 声の主に目をやれば、床にどっかりと座る中年男があごひげを撫でていた。


「トラフさん、相変わらず気配がないですね。いつからいたんですか」


「最初からだな」


 まったく気付かなかった。

 肩をすくめるサラにトラフはニヤリと笑う。

 もしも彼が敵であればサラは彼を認識することもなくこの世を去っているだろう。

 彼の飼い主の不興を買わないことを祈るばかりだ。


「次は……見た目はイマイチですがかなり甘い香りがしますね。まるでシロップのような……味もシロップですね。ドングリのリキュールのような」


 最後の帝国産は知っているどの毒とも違っていた。

 とろりとした液体はかなり美味しく、一口では足らずふたくちみくちと進めてしまう。

 胸がキュンとする味で、ちょっと楽しい気持ちになる。


「なんだかドキドキします。これはもしかして恋の媚薬ですか? 切なくって胸が締め付けられるようです」


 気配のないナイスダンディなイケメンを見つめるサラ。

 サラの中ではトラフに恋をしてしまった気分で、今すぐ逃避行に飛び立ちたい気持ちでいっぱいだ。

 というより、むしろこの世から飛び立ってしまいそうな気持ちと言っていい。


「レディ、飲みすぎだ。そういえば心臓弱かったな」


 水のボトルを持って立ち上がったトラフはサラの口の中にボトルを突っ込み、口の端からこぼれるのも厭わず容赦なく飲み干させた。

 そして後ろから抱き寄せる。


「覚悟はできてるな?」


 耳元で囁かれる甘く低い声。

 サラはそれを目を閉じて受け入れ、そのままーー


「うごっふぅううぇぇぇええええ」


 鳩尾に押し込まれた拳に抗うことなく、バケツに水を吐き出す。

 涙目になるサラに「夢から醒めたか?」と聞くトラフが鬼畜に見え、サラはやっと毒から解放されたことを悟った。


「帝国軍研究所の新作だ。なかなかイイだろう?」


「はい……最高の混合物でした。トラフさんが私を殺す時はこれにしてください」


 息を整えながら言うサラにトラフはくつくつと笑い、「特別だぞ」と頭を撫でる。

 王国最高の諜報部にして暗殺集団「夜の目」。

 そのナンバーワンの地位を守り続けているトラフに死に方を選ばせてもらえるというのは破格の待遇であることをサラは知らない。


「ねえ、遊んでないで早く美味しいもの食べましょうよ」


 立ち上がったメンフがテーブルから瓶をどけ、マカロンやパウンドケーキを並べる。

 コノハが緑色の紅茶を淹れると、四人はテーブルを囲んで座った。

 サラと彼らのお茶会はこれからが本番だ。

 隣国の動向や国内の珍事、王族や官僚の弱味。

 それらをざっくばらんに情報交換するのがこの会の目的だ。

 もともとは夜の目のトップのみで行われていた会だが、昨年夏に「やっぱ隠し通路は涼しいなー」という呑気な声と共に現れたサラにより状況は一変。

 闖入者を排除すべく手持ちの毒を飲ませたところサラは「これ好きです、美味しいですよね」と平然と飲み干し、別の混合毒を飲ませたところその内容を正確に当てた。

 面白がって皆であれこれ飲ませているうちに自己紹介が始まり、冷血の悪魔の秘書という肩書きが功を奏したのか、気付けばサラは夜の目に受け入れられていた。

 それからというもの、毒見の勉強という名目で会の最初にサラに毒のテイスティングをさせ反応を楽しむというのが夜の目の楽しみになっているのである。


「それより、聞いたわよ。宰相補佐官に春来たる! なんで教えてくれなかったのよ?」


 一口サイズに切ったパウンドケーキをサラに差し出すメンフ。

 ぱくりと口に含み、干し葡萄とブランデーの香りを楽しむサラは目だけで「なんのことです?」と伝える。


「知らないの? トーリ様が調合士とデキてるって話。変装したトーリ様が向かう薬草園、そこで解かれる変装、見つめ合う二人。変装までして逢引しに行くなんて本気に違いないわ」


「しかも、毎日色を合わせてるって。シャルロット嬢の髪飾りと宰相補佐官のチーフの色、いつもお揃いだって専らの噂だよ。今日は二人共赤色だったかな」


「あー、そういや宰相補佐官が医務室に薬を取りに来る回数が最近多いって聞くな。医務室でナニしてるんだろうな」


 差し出されたマカロンをぱくり。

 勢いよく話す三人を前に溶けるような甘味を楽しむ余裕はなく、普段のトーリの様子を思い出す。

 似合わないカツラを身につけて情報収集という名のデバガメをするトーリ。

 宰相の無茶ぶりに笑って答えつつ胃薬を飲み下すトーリ。

 今日のチーフは何色がいいかな、と聞くトーリ。

 あ。

 サラがひらめいたように手を打つ。


「チーフの件は解説できます」


「あら、やっぱりレディが手引きしてたの?」


「いいえ。チーフの色を選んでいるのは私なんです」


「それをシャルロット嬢が真似してるってこと?」


 サラは首を横に振る。


「私は毎朝薬草園を散歩しているのですが、そこで見かける調合士さんの髪飾りの色をその日のトーリ様のチーフの色にしているんです。お名前は存じ上げませんでしたが、きっとその方がシャルロットさんなんでしょう」


「は? なんでそんなこと」


「だって面倒なんですよ。毎日毎日チーフの色を聞かれたって、自分で選びやがれって話ですよ。そんなときに毎日違う色でヘアアレンジしてる美少女を見つけたら乗っかろうって思うじゃないですか」


 それに、トーリ様のチーフを見る度にあの調合士さんの姿を思い出せて素敵なんですよ。

 そう続けるサラに夜の目たちは大きく溜め息をつく。


「じゃあ、医務室通いは?」


「胃痛対策ですね。最近立て込んでるので」


「でもでも、逢引の事実は覆せないでしょう!」


「それは……。すみません、持ち帰らせてください」


 神妙な顔をするサラに一同は期待の眼差しを送る。

 他国の機密情報よりも宰相補佐官の恋愛ネタの方が夜の目の興味を引くなんて、この国は案外平和なのかもしれない。

 優しい気持ちでサラは二杯目のお茶を飲み干し……熱っ!!! 油断した!


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