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26 恋の自覚

 フラぺ山近くの離宮には王弟たるモルゲンロートが住んでいる。

 公爵位を受けることを拒否した彼は明確な領を持たず、公爵位を得るまでの経過措置として国庫により生活を賄っているのだ。

 そしてそれは、体の弱い第二王子の世話役という地位によって正当化されていた。


「お久しぶりですね、マクラレン卿。殿下はご在室ですか」


 突然離宮に現れた、上質な服を着こなす身長の高い青年。

 金髪を輝かせる彼にマクラレン伯は警戒心をむき出しにして応対する。


「おまえに答える必要はない」


「そうですか。では失礼して」


 青年がマクラレン伯に短い棒状の物を向ける。

 そんなもので何が出来る、というマクラレン伯の言葉は棒から吹き出した気体を吸い込むことで絶ち消えた。

 眩暈を起こしたようにその場に倒れるマクラレン伯を薄青色の目で眺めると、青年は何事も無かったかのように足を先へ進める。

 ひときわ美しく装飾が施された扉を叩けば、「マクラレンか?」と返ってくる。


「いいえ。トーリ・L・ディファインです、殿下」


 扉を大きく開いたトーリは溌剌とした笑みを浮かべ、退屈を具現化した王弟に丁寧な礼をしてみせた。

 モルゲンロートの顔が忌々しそうに歪むが、トーリはそれに気づいていないかのように明るい笑みを保持する。


「殿下におかれましては御機嫌麗しく。まだフィリア嬢のことを懸想しておいでで?」


「おまえ、なぜ来た」


「フィリア嬢のご息女ブランシュネージュ姫は更に遠くへ行ってしまわれましたね……第二王子が不要となったのもうなずけます。やっと実の娘を近くに呼べると思ったのに失敗するんですから。

 もっとも、姫がヴィルバート国王の血を引いていないことが露見することなく婚姻が成立したのは姫にとって幸運だったと言えるでしょう」


「黙れ。おまえの父親が諸悪の根源だろう。出て行け」


 苛立たしげに退室を促すモルゲンロートを無視してトーリは続ける。


「他国の王の婚約者に恋をするだけならまだしも、彼女が王妃となってからも不義を重ね、挙句他人の妻である彼女を手に入れるために王位を得ようとした殿下こそ醜悪以外なにものでもないと存じますが」


「何を言う。フィリアと儂は愛し合っていた。醜い感情など何一つなく、純粋にな。それを引き裂いたのはあのボンクラ王だ。父上だって儂の思いを理解してくれた。戦果を上げれば王位をやると言って応援までしてくれた。それを全部ぶち壊したのが兄とおまえの父親だ」


「そう言って利用されていただけとも知らずに?」


 トーリの笑みが冷笑に変わる。

 胸元から取り出された封書は王にのみ許される封印が施されており、トーリはそれをモルゲンロートに見えるように丁寧に広げた。


「先王の正式な遺言書です。遺言執行者は父の前に宰相だった男でしたが……殿下が口を封じてしまいましたからご覧になるのは初めてでしょう。

 大切な部分だけでも読み上げましょうか。

 『第一王子に王位を譲る』、『第二王子にフラーブリ勲章を授け公爵とする』、そして『口頭での遺言は全て無効とする』。

 いかがです」


「な……なぜ、いや、でたらめだ」


「最近あなたに力を貸すようになった黒い死神とかいう男も、あなたを利用するつもりでしょうね。お可哀想な殿下。すべてが終わったときにはあなたには何も残らないのに」


 トーリが遺言書を丁寧にたたみ直して胸元に入れる。

 モルゲンロートは目に失望を宿し、しかしまだ光を失ってはいなかった。


「儂はこの国の王となるために力を尽くしてきたのだ。初めはフィリアのためだったが、フィリアが死んでもそれは変わらん。

 この国を大陸一の国とする、その気概のない兄上にこの国を任せておけというか?

 儂が利用されるなど笑止千万。利用しておるのは儂だ」


「そうですか。恋に目がくらみ、惰性に思考を縛られた殿下にこれ以上の忠告は無用ですね」


 トーリは来た時と同じように丁寧な礼をとる。

 あっさりと引くトーリにモルゲンロートは拍子抜けし、しかし不快感をあらわにして早く退室するよう促す。


「……死神がなぜ死神と呼ばれるかご存知ですか」


 扉に顔を向けたまま呟くトーリ。

 すいっとモルゲンロートに向けられた顔には哀れみが浮かんでいた。


「振り下ろす鎌が無差別にその魂を刈り取るからですよ」


 ぱたん、と閉まる扉。

 モルゲンロートはしばらくその言葉の意味を考えていたが、それよりもトーリをこの場で始末しておけば良かったと鼻から息を吐いた。



 ◇


 体が重いと感じ始めたのは昼頃だった。

 普通に歩くにしても荷物を運ぶにしても、どうにも体が動かしづらく、サラは肩をぐるぐる回しては溜め息をついた。


「いったいどうしたのです」


「ああ、セバスさん。なんか体が重くて。全然動かないんです」


「風邪ですか」


「違うようです。薬を飲んでも変わらないので」


 馬車に荷物を詰め込みながらサラが答える。

 東の島国の内閣府が火事で全滅したという情報は昼近くになって正式に王国に届いた。

 東の島国はその中にあって停戦を申し入れることなく、即席の軍事局をつくって戦争を続ける構えを見せた。

 そのため宰相は早期の戦争終結のために戦地入りを決め、こうして馬車の準備を進めているのだ。


「馬車って面倒ですね。瞬間移動しちゃえばすぐなのに」


「能力に頼りすぎるものではありませんよ。兵達のようなことがいつあなたに起こるかわかりませんから」


「そうですね」


 あらかた荷物を詰め終わり、サラはトーリの執務室へと向かう。

 もしかしたら戻ってきているかもしれない、なんていう有り得ない期待をしてドアを開け、やはり誰もいないのを見て、わかっていながらも落胆する。


『宰相様に同行して戦地へ向かいます』


 そうメモ用紙に書き付けてトーリの机に置こうとして、机の上にサラ宛の手紙と紙袋があるのに気づいた。

 お菓子だろうか、と期待しつつ手紙を開く。


『サラへ

 この手紙を読んでいるということは、友好使節団に何かが起こったということだろう。

 だからこそ、たとえ何があったとしても笑顔を忘れないで欲しい。

 紙袋の中身は身に着けておくこと。

 では、また』


 紙袋の中身は水色の小さなガラス石で飾られたバレッタだった。

 以前街の雑貨屋で気になって見ていたものに似ていて、これはお気に入りになりそうだ、と髪に留める。

 窓ガラスの反射で似合うか見ているとノックの音がした。


「はい、どうぞ」


 即座に待機姿勢をとったサラ。

 入ってきたのはロイス・ハイジだった。


「お変わりありませんか。あなたが一足先に帰国されたと風の噂で聞いたので、お帰りを言いに来たのですよ」


「まあ。ありがとうございます。でも夕刻には半島へ立たなくては行けないんです」


「そうでしたか……では馬車の中で召し上がってください」


 ロイスから渡されたのは紙袋に入ったスコーン。中にクロテッドクリームを挟んであり、バターナイフがなくても食べられるようになっている。


「先月いただいたものも馬車で美味しくいただきました。嬉しいです」


 サラの笑みにロイスもはにかむ。


「あの、サラさん。戦争が終わったら」


「ロイスさん」


 男の人はどうしてみんな「戦争が終わったら」と口に出すのだろう。

 まるでそれが様式美のようで、サラは胸に刺す痛みを堪えながら笑みを作る。


「戦争が終わったら、あなたの求婚をお受けしようと思うんです」


「本当ですか? 本当に、あなたは僕と結婚するとおっしゃるのですか」


「はい。主からも、その……許可をいただきました」


 実際は許可ではなく推奨という形をとった命令。

 でもそれを目の前の青年に言うほどサラは非道ではない。

 サラのことをどれだけ知っているかはわからないけれど、少なくともサラに好意を抱き守ろうとしてくれる人だ。

 その優しさを傷付けない程度の配慮はするつもりだった。


「そうですか。では、どうか無事に帰ってきてください」


「はい」


 胸を刺す痛みが強くなる。

 それはロイスへの罪悪感だろうか。

 それとも、別に理由があるのだろうか。

 部屋を出るロイスの背を見送り、なんとはなしにトーリの椅子に座る。

 椅子にかけられた上着から焼きたての白パンに似たにおいがして、そのにおいを追うように背もたれにもたれかかる。

 トーリはいつも優しかった。

 叱る時もあったし、呆れたように溜め息をつくときもあったけれど、そんなときは必ず後片付けを手伝ってくれた。

 嫌われてはいないと思っていた。

 むしろ好意を抱いてくれているかもしれないとまで思っていた。

 実家で毒キノコを味見しすぎたことでサラが通常人よりも毒耐性がついていたのを見出したのはトーリだった。

 毒見が仕事に加わってからはディファイン侯にサンプルの入手を頼んだりして、そのおかげで東の島国ではトーリを助けることが出来た。

 自分の努力は間違っていなかったと、これからより一層役に立とうと思った矢先だった。


『戦争が終わったら、サラはロイス・ハイジの求婚を受けるべきだ』


 用済みだと言われた気がした。

 幼い頃から目の前の誰かを、何かを守りたくて努力してきて、気付けば、トーリを守るために強くなろうとしていた。

 トーリのために努力することが自分の仕事だと思っていた。

 それなのに、トーリはサラをその仕事から離そうとしている。

 一緒に計画に立てた内閣府の作戦も、手を出させてくれなかった。

 安全な場所に逃がされて、トーリの優しさを感じるも、その優しさがつらかった。


「トーリ様、私はもう要らない子ですか」


 頭の中のトーリに話しかける。

 しかし彼は穏やかな顔で何も言ってはくれない。


「私はトーリ様と一緒にいたいです」


 胸が苦しい。

 双眸からあふれる熱が頬を伝っていく。

 鼻の奥が痛い。


「私は……こんなにも弱かったでしょうか」


 拭っても拭ってもこぼれる涙。

 拭うのを諦めたサラは肩を震わせてトーリの机に突っ伏した。


両思いなのにすれ違う二人。

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