25 熱々! 二人の逃亡劇
前話について、まだ出してはいけないネタを出してしまっていたので修整しました。また、最後を付け足しました。
それは胸騒ぎと言って良かった。
夜中に目が覚めるときは必ず何かが起きる時で、サラは体を起こそうとして、その億劫さに戸惑った。
今にも眠気に引き戻されそうなその感覚は三年間メイド生活をしていて初めてのもので、それゆえに違和感を禁じえない。
まるで、毒でも盛られたかのような体のだるさ。
布団から這い出てローテーブルの上の水差しに手を伸ばす。
それだけのことにやけに疲れながら、念のために持ってきていた毒消しと目覚ましの薬を取り出して飲む。
もし毒が入っていたとしたら夕飯だろう。
烏との交渉でこの国にいる間の一定の生活の確保は約束されていたはずだが、情勢が変わったのかもしれない。
そしてそれは悪い方に変わったと見て間違いなかった。
「焦げ臭い……?」
それだけではなく煙たい。家事だろうか?
まずい。
この屋敷は木造だ、うかうかしてたら焼け死ぬ。
「トーリ様!!!」
主の部屋に瞬間移動。
果たして主はそこにいた。
静かに眠る整った顔を軽く叩く。
「トーリ様、生きていらっしゃいますか」
一呼吸二呼吸、三呼吸すぎてまだ目を覚まさない主に心配になって声を掛ける。
返事はない。
むしろ、ぴくりともしない。
「と、トーリ様!!!!! 死なないで!!!!!!」
その肩をむんずと掴み、起き上がらせる。
毒消しと目覚ましの薬をその口に放り込み、手近にあった水差しの水を口にそそぐ。
ついでに余った水を顔と金髪にぶちまけて勢いよく肩を揺さぶる。
「トーリ様、トーリ様?」
何度か声を掛けるとようやく主は唇を開いた。
「あ……おはようサラ」
顔も着物もべたべたに濡らしたトーリはゆるゆると微笑む。
「トーリ様……私てっきりお亡くなりになられたかと……!」
「勝手に殺さないように。そもそも、そのためにサラがいるんでしょう」
空色の瞳がサラをとらえる。
「もちろん、何があっても私がお守りいたします、が! とにかく逃げますよトーリ様!」
目が覚めたらしい主にきりっと笑みを浮かべたサラはトーリを引き上げ、よたつきながらも肩を貸して外に出ようとする。
「待ってサラ、自分で走れる」
気合いでトーリを担ぎあげようとするサラにトーリは笑い、「よいしょ」と逆にサラを肩に担ぎあげる。
「荷物扱いして悪いけど、行くよ」
熱気がすでに近くまで迫っており、トーリは掛け軸をめくって隠し通路に入るとそのまま地下へ降りていく。
地下からは一直線で、階段を登ると中庭の石灯篭の土台から頭を出す形になった。
炎のせいで昼間のように照らされた中庭を塀伝いに門へ向かい、人がいるのを見ると取って返す。
「そこの木を登って塀の外に出るよ。ちゃんとおぶさってくれる?」
「木登りくらい自分で出来ます。というか私は瞬間移動で外に出られるのでトーリ様だけ登ってください」
「この状況で瞬間移動すると素っ裸で出現しない?」
「そこは気合いで」
「却下。リスクは取りたくない。乗って」
トーリの勢いにのせられてその背におぶさると、トーリはサラの見たことのない力強さで木に登り上がってみせた。
枝を伝って塀の上に乗り、周りに人がいないのを確認して地面へと飛び降りる。
思わずぎゅっとつかまったサラに「大丈夫? 走るよ」と声を掛けたトーリは、そのまま勢いよく走り出した。
初めこそあてどなく逃げるように見えたが行き先は川で、トーリは土手を駆け下ると橋の下に体を滑り込ませた。
「無事?」
「はい、おかげさまで。すみません、毒がまだ抜けていないお体に」
息を荒らげたトーリにサラは申し訳なくなりながら頷く。
「ああ、コノハから食前に飲む毒緩和薬渡されてたから多少平気だったかな。サラも薬を飲ませてくれたみたいだし……むしろサラの方が重症でしょ」
「いえ……そんなことは」
本当はまだろくに歩けないのだが、心配をかけたくなくて否定する。
トーリはそれを見抜いたようだが指摘はしなかった。
「戦争が始まって六日、ここまで何もなかったことの方が異常だったと言うべきだね。即効性のだとバレると学習したあたり烏は優秀だ」
屋敷はどうなったかなど確認しなくてもわかった。
屋敷の門に人がいたということは、玄関から逃げてきた人間をそこで始末するつもりだろう。
火の回り方から見ても残った人間の生存は絶望的だった。
「人質が要らないってことは交渉が決裂したってことですよね。半島に王国軍が到着して本格的に戦闘が始まった……ということでしょうか」
「そうだね。僕らは国に見捨てられたみたいだ」
トーリが自嘲的に笑う。
「サラは瞬間移動で城に戻ってくれるかな。宰相が城にいるはずだから指示に従って。いなかったら第一王子のもとへ行って欲しい」
「待ってください、トーリ様はどうされるんですか」
「僕は別ルートで帰るよ。その前に内閣府の人質作戦を実行するけどね」
「なら、せめて作戦だけでもご一緒させてください」
「駄目だ」
人が近づく音に二人は口をつぐむ。
橋の上を渡ってゆく音が遠ざかるとトーリは念を押す。
「いいかい、多分なんだけど、今回に限っては僕とサラが一緒にいると生存確率が著しく低下する。だから別行動だ」
「なぜです、私は足手纏いですか」
「そうとも言えるし違うとも言える。たいていの場合、誰かを守ろうとするとき人は強くなれる。でも、僕はリスクを取りたくなくて弱くなってしまうんだ」
「なら、弱いトーリ様を私が守ります」
「心強いね。でも、却下だ」
トーリがサラの帯に手を入れる。
「ひゃっ?! トーリ様?」
帯に入れこまれた懐中時計を手に取ったトーリは時間を確認し、指先で撫でるとサラの手のひらに戻した。
「この時計は貰い物?」
「はい、六歳か七歳のときに旦那様にいただいた物です」
「その時計は離さず持っていた方が良い。防水だしね」
「そうなんですか? さすがディファイン侯爵家、時計のクオリティが普通とは違いますね」
手の上で時計を撫でたサラはそれをきゅっと握る。
「というわけで、サラには城に戻ってもらうよ」
「え?」
トーリがサラの腰を両手でつかむ。
ひょいっと持ち上げられたサラはそのまま川の中へザッポンと落とされた。
「と、トーリさま」
体がうまく動かない状態で川に流されるのはかなりまずい。
溺死してもおかしくない。
「死にたくないなら瞬間移動。行き先は王城」
トーリの声が上から聞こえる。
冷たい川の水を飲み込み、むせながら顔を出すも水を含んだ着物が重くて息をするだけでやっとだ。
サラは諦めて瞬間移動を開始する。
しっかり集中して王城の自室を思い浮かべ、心が定まったと感じた瞬間。
頭の中が白くなるような感覚と共に水の冷たさや息苦しさがかき消えた。
「ごほっごほっ……ぐはっくぅうううう」
濡れた着物姿で辿りついたのはちゃんと自室だった。
右手の中には懐中時計。
帯の中にはコノハ作成のマカロン警報器二号もある。
「珍しく全部まるごと移動できた……。こんなことならコンペイトウも持ってくればよかった……」
思わず悔しさが口に上るが、実際あの火事の中では持ち出すのは不可能だった。
生きてるだけで幸運だったと思うしかない。
サラは手早くメイド服に着替えると濡れた髪を適当にまとめて宰相執務室へむかう。
サラだけでなくトーリをも見捨てた宰相には拳骨一つ二つはお見舞いしてやらなくてはなるまい。
しかし、決意とともに鼻息荒く扉を開けたサラを迎えたのは、宰相ではなくセバスだった。
「おや、帰ってきましたか」
「セバスさん! 宰相様はどこですか? 私とっても怒ってるんです」
「サラさん、もうすぐ三時ですよ。閣下は仮眠中です」
「どれくらいで起きますか」
「あと一時間もあれば」
「なら、ここで待ちます」
セバスがサラにホットミルクを入れる。
ほんのり甘いそれは懐かしさと共にサラを落ち着かせてくれ、そのせいか眠気がおそってくる。
「お休みなさい。閣下がいらっしゃる時に起こします」
「すみません、先生」
ソファの上に横たわりながら、サラの意識は沈んでいった。
「起きなさい、閣下がいらっしゃいます」
その声はサラが横になってから五秒もたたないうちに聞こえたように思える。
しかし時計を見ればすでに一時間たっており、余程熟睡していたらしいとサラは目をしばたたく。
セバスから渡された濡れタオルで顔を拭き終えるのと宰相が現れたのは同時だった。
「おはようございます、宰相様。殴らせてください」
「あ? 小娘? ってか殴るなよ」
「使節団員を見捨てといてよく言いますね? トーリ様と私以外死んだんですよ? 骨が残ってるかすら怪しいです」
「なんだそりゃ。本気で言ってんのか」
「これが嘘ならどれだけいいか。私だって危うく焼け死ぬところでした」
「いったいなにがあったんだ」
「夕食に眠り薬のような体が動かなくなる薬を盛られました。それで深夜、おそらく二時頃に屋敷に火が放たれたんです」
宰相はしばらく何も言わなかった。
セバスが待機姿勢で宰相の命令を待ち、サラも背筋を伸ばして宰相を見据える。
「……悪かった。そんなことになってるとは知らなかった」
「宰相様はどんな指示をされたんです」
「俺は戦争が終わり次第人質の値段の交渉をするからそのまま置いといてくれって先方に伝えるよう指示を出したぞ」
「そうでしたか……。戦時中ですもんね、何があってもおかしくないのは、わかります」
ほつれてきた髪を耳にかける。
目の下に濃いクマを浮かべた宰相をこれ以上責める気にもなれず、これからの話をしようと息を吸う。
「トーリ様から、宰相様のもとへ行くよう言われました。もしお会いできない場合は第一王子殿下のもとへ向かうようにと。ご指示をお願いします」
「トーリはどうするって?」
「内閣府の人質作戦を一人で行い、その後帰国するとのことでした」
「その話は何時にした」
「三時前です」
宰相が時計を見ると間もなく四時半だった。
「まずいな。東の島国に電信を打つ」
言うが早いか電信室へと走り出す宰相を追いかけながら意図を聞く。
「火を放つ前に打たないと下級役人が巻き込まれる。無駄な人死にを出すのはよくない」
人質作戦は官邸エリアに火を放ち、大臣など政務を取り仕切っている上級役人を会議室に閉じ込めることで主導権を握る作戦だ。
官邸には内閣府所属でない者や家族もおり、最初の作戦ではそのような者は逃がす予定だった。
しかし使節団員が焼き討ちにあった以上、王国の怒りを示すことを名分としてトーリが何もせずに火を放つ可能性がある。
「あいつは意外と喧嘩早いところがあるからなっ」
電信室に入った宰相は電信番をどかすとすぐさま官邸の警備部に向けて電信を打ち始める。
電信のトンツー音に慣れないサラにはろくに聞き取れなかったが、かろうじて先方から真偽を問う返答や、宰相の『信じろ』、先方の『了解』は聞き取れた。
「間に合ったんですか?」
「どうだろうな。待ってりゃわかるだろ」
「朝食をご用意致します。サラも食べなさい」
セバスが電信室を出ていくのについて行こうとすると、セバスは宰相の警護をするようにとサラの申し出を断った。
電信室に残った電信番と宰相とサラの三人は言葉を発することなく電信機を見つめる。
「計画では五時開始予定だから、連絡が来るまであと一時間ってとこだな。本当なら来週辺りになると思ってたんだが」
「前線はどうなってるんですか」
「半島の半分が落とされたらしい。各領の私兵は三日ももたなかった。王国軍が戦地についたのが昨日の昼だが、盗聴に備えて強気な報告をよこす電信でさえ一進一退とか言ってるってこたぁ、お察しだろうよ」
「第一王子殿下は」
「まだ半島の付け根の領にいる。前線近くにつくのは今日の昼過ぎくらいだろ。ま、エリート騎兵のディファインの長男坊がいるからな。殿下は死にゃあせん」
トーリがサラを宰相か第一王子のもとに向かわせようとしたのはおそらくその二人の近くにいることが安全だと考えたからだろう。
宰相は王城内でトーリが最も信用する人物であり、第一王子のもとにはトーリの兄であるユリウスがいる。
戦時下にあって誰が敵側につくかわからない状況でトーリは確実にサラを守ろうとしてくれたのだと感じた。
「私、トーリ様を見捨ててきちゃいました」
「秘書なのにな」
「はい。しかもメイドなのに、です」
「あれの命令なら仕方ないだろ。まあ、出来る範囲で守ってやるよ」
「……誰を守るんですか?」
「オメェにぶちんだな? オメェを守ってやるってんだよ。大事な部下が俺に託したんだ、信頼に応えるのが上司の務めってやつだろ」
宰相の大きな手がサラの頭を撫でる。
その無骨な撫で方は誰にも似ておらず、摩擦熱で禿げるんじゃないかと心配なった。
「宰相様、ちょっと頭が」
「しっ! 静かに」
突然宰相が動きを止める。
鳴り出した電信機は発信場所が東の島国の官邸内会議用屋敷であることを伝える。
『黒 死神 炎 全滅』
二度繰り返されたそのメッセージは、ツーーーーという長い打音によって締め括られ、しかしその打音も十秒ほどで消える。
宰相が返答を求めて電信を打っても先方からの反応はない。
時刻は間もなく五時。
トーリは計画を独断で変更するような人間ではない。また、人質とする以上殺すことはありえない。
そうなると、計画の開始時間を知っている誰かがトーリよりも先に動いたとしか考えられなかった。
「黒、死神、炎、全滅……。死神、ですか」
「東の島国に死神っているのか?」
「どうなんでしょう、幽霊や妖怪は有名だそうですが」
電信室の扉が開き、セバスが朝食を運んでくる。
「悪い、部屋で食べるから部屋まで運んでくれ」
「かしこまりました。電信は宜しいのですか」
「良い」
セバスには詳しいことを告げず外に出る宰相。
カートを押すセバスの後ろを歩くサラはセバスからなんとなく焦げ臭いようなにおいを感じて鼻を動かす。
「どうしましたか?」
「ちょっと焦げ臭い感じがして。気のせいかもしれません」
「調理場で肉を焦がしたせいかもしれません。においますか」
「気にするほどじゃないです。というか、セバスさんの手作りですかこれ」
「この時間は食堂は開いていませんから」
「セバスさんって完璧ですよね……」
食べる専門のサラにはできない芸当だ、と尊敬の眼差しで見上げる。
軍の訓練のときの料理はほとんどを食堂の料理人に手伝ってもらっていたため、サラはまだ一人で食事を作ったことがないのだ。
「セバスさん、戦争が終わったら私に料理を教えてくれませんか」
「それは構いませんが、貴族のお嬢さんは料理をする必要はないでしょう」
「私はメイドですので」
セバスは面白いものを見る眼差しでサラを一瞥すると肯定の返事を返す。
窓から差し込む朝日が廊下を歩く三人を橙に照らしていた。




