23 開戦、悲喜こもごも
宰相補佐官のいない王国政務は通常よりも忙しく、しかし問題なく執り行われていた。
セバスの淹れた紅茶を飲んで一息ついた宰相は窓の外を見て、どんよりと重い雲が空を覆っているのがわかると溜め息をつく。
「なあセバス。こう曇りってやつはどうもいけないな」
「そうでございますか」
「ああ。なんかこう、胸騒ぎがするってぇやつだな」
セバスが食堂から貰ってきたサンドイッチを差し出すと、宰相は大きな口でそれらを飲み込んでいく。
「こんなこと思うなんて歳食った証拠だって思うか? ああ、悪ぃ悪ぃ。おまえみたいな老けねぇ奴にはわかんねぇよな」
「いえ、長く生きた身ゆえに胸騒ぎというものは理解できます」
「そうか。おめぇいま何歳だ?」
「六十といったところでしょう」
セバスの答えに宰相は少し戸惑ったようだった。
しかしすぐに呵呵と笑う。
「思ってたより若ぇな」
「はい」
宰相はセバスの能力を評価している故に彼の異質な点を糾弾することはしない。
そのためセバスにとって宰相は誰よりも仕えやすい主だった。
「セバス」
「はい」
「一人でいい、死ぬ前に信用できる相手を見つけろよ」
「かしこまりました」
宰相はセバスが本心では宰相を信用できていないことを知っている。
それを唐突に明かされたセバスは面食らったが、それでも良いと言ってくれる宰相を好ましいと思った。
「……誰か来ましたね」
セバスの言葉からひとつ、ふたつ。
ノックと共に開けられたドアから軍事局書記官が飛び込んできた。
「ひ、東の島国が、急襲を」
「どこにだ」
「半島です。アイソープ国と一緒に攻めてきています!」
「会議の場所は? 始まってんのか」
「大会議室の予定ですがまだ何も、あの、それと」
「なんだ」
「友好使節団全員が人質になり、うち宰相補佐官付秘書が生死不明とのことです」
普段動じないことで有名な宰相が珍しくセバス以外の者の前で揺らいだ。
「あの小娘が、か……?」
「閣下?」
「セバス、烏が動いた。情報収集急げ。それとおまえ書記官だな? 大臣に夜の目の発動権限取るように言え。ああん? わかんなくてもいいんだよ、そのまま言や伝わる。早く行け」
セバスが煙のように姿を消す。
哀れな書記官は何かに追われるようにして宰相の執務室から転がり出て行った。
地図と海図を取り出した宰相は半島を分治する領と砦の数を確認する。
先の帝国との戦争後、当分戦争は起きないと踏んだせいで王国軍の半島への派遣数は著しく減らされていた。
そのため、兵力のほとんどは各領の私兵に頼ることになるだろう。
王城から半島まで早馬で一週間弱。
通常なら半島はもたない。
そう、通常ならば、だ。
昨年末にかけてセバスとサラが鍛えた歩兵は驚くべき速度を手に入れており、その行軍ならば半日もあれば戦地につくはずだ。
現場指揮官をすべて倒して指揮系統を混乱させ、その間にアイソープ国のトップを叩く。
海を挟む分、東の島国を叩くのは難しいがそこはトーリの現場判断に期待と言ったところか。
「あいつらがあっちにいるのは幸運だったが……唯一の武器の小娘が生死不明か……」
執務室を出た宰相は凶悪な顔を穏やかなものにすげ替え、しかし常よりも大股で会議室へと向かっていった。
◇
「始まったか」
「はい。すべて計画通りにございます。我らには新たに強力な味方がおりますゆえ」
「そうか。楽しみにしておるぞ」
「我らは殿下に忠誠を。殿下に王位を」
頭を垂れるマクラレン伯にモルゲンロートは楽しげに笑う。
フラぺ山に訪れた夏に、早くも秋の風が押し寄せていた。
◇
ちなみにその頃、本来フラぺ山にこもっているはずの第二王子はラプンツェルの塔にいた。
ただし、一緒にいるのはラプンツェルではない。
王子が塔に登ったところラプンツェルはおらず、代わりに魔女とよばれる老女がいたからだ。
「ご老人、ラプンツェルをどこにやった」
「さあ、あんたがあれに傷を付けたから消えちまったんだろうさ」
「傷付けた……? なんのことだ」
「その曇った目に聞いてみな」
するすると塔を降りる老女。
それを追った王子は焦りのあまり手を滑らせ、重力加速度と共に地面へと近づきーー幸か不幸か、茨の上に落ちた。
地面よりは多少柔らかい茨のおかげで命は助かったが、しかしトゲで身体中に傷を負った王子は血みどろだった。
顔の怪我は目を開けるのにも苦労するほどで、王子は痛みに呻きながら声を絞り出す。
「ラプンツェルは……ラプンツェルは、俺を……捨てたのか……?」
悲痛な慟哭がその場に響き、王子の命令で森に控えていた従者たちが慌てたように駆け寄る。
錯乱状態の王子は「やっと見つけたのに」「俺だけの美しい花」「俺だけの」と喚く。
従者たちのなだめる声は届かない。
「俺を……俺を一人にしないでくれ……!」
そう叫んだ王子は胸を押さえ、苦しそうに体を折るとぷつりと意識を失った。
◇
「トーリ様、宰相様は本気なのでしょうか」
「どれについて?」
「視察を続行しろ、というご指示についてです」
王国友好使節団が襲われた翌日。
トーリが電信機で王城に連絡を取ったところ、セバスは宰相からの指示として視察の続行を伝えてきた。
それはすなわち戦争が終わるまでは帰国するなという指示であり、有事であるほど人手が必要な王城にあってその指示は酷く不適切に思えた。
「もしかしたらこの国の問題を片付けろという意味なのかもしれない。電信機は盗聴の可能性があるから、詳しく送れなかったんだろう」
「ですが、今のメンバーでは問題対処が可能かどうか……。王城勤務五年目のトーリ様が一番年上で、あとはみなさん二年目ではないですか。しかも普段は書類の誤字チェックや雑務をしていた方たちです。体力もないですし、動けるとは思えません」
「たしかに今出来ることと言ったら、彼らにできるだけ安全な場所にいてもらう以外にないとは思ってるよ。でもそれゆえにこの国から出られない。半島が戦場になっているってことは、海路のほとんどが使用出来ないと言っても過言じゃないからね」
「そうですね……。ここが島国でさえなかったら……それか鳥みたいに空を飛べたらよかったのに」
「ああ、空路か」
なぜか納得したような言うトーリにサラは「夢物語で現実逃避をするのはやめましょう」と呟く。
「使節団のみなさんさえ気にしなければ私だけでも瞬間移動で戻れるのですが」
「ん? サラは主を置いていく気なのかな?」
「いえ、滅相もない。私はトーリ様をお守りするためにお仕えしておりますから」
サラとトーリが同時にわらび餅を口に入れた。
ぷるぷるの食感と黄色味の強い茶色の粉の甘みが口の中に広がって溶ける。
こんな時でも美味しいものは美味しいのだ。
「速報!」
ふすまをタンッと開けたコノハに二人が顔を向ける。
「第一王子の初陣がこの戦いに決まった。馬車で出立するらしい」
「初陣……確かに成人後初めての戦争だが……このタイミングでか」
「でも、半島の端まで馬車で二週間ですよね? 二週間もあったら半島は」
「うん、おそらく半島のほとんどが侵略された後に殿下が到着することになる。そうなると……」
「泥沼化するな、確実に」
コノハとトーリが顔を見合わせ、難しい顔をして視線を落とす。
「上層部に狙われるのと、母国を危険に晒すの、どっちがマシだろうな」
「さあね。僕には帰還命令が出たから……『一応』帰るよ」
ぶつぶつと呟く二人。
踏み込んではいけない空気にサラが口を出せずにいると、トーリがサラの口にわらび餅を突っ込んだ。
ぷにぷにとした食感で口の中が満たされる。
「サラ、サラが鍛えた軍はどれくらいで半島につけると思う」
口の中がいっぱいのサラは指を一本立てる。
「十日か」
首を横に振るサラ。
「一週間?」
首を横に振るサラ。
「まさか……一日?」
まだ首を横に振るサラ。
「え、一時間? 一時間休憩なしで秒速300メートルで走り続けることが出来るっていうの」
自信たっぷりに頷くサラ。
咀嚼し終わったわらび餅でこくり、と喉が鳴る。
「セバスさんの訓練メニューに海のものと山のものを採って帰ってくるというものがありまして、海チームは半島の湾で取れる海藻や魚を、山チームはフラぺ山特有のキノコを採ってきて昼食にするという毒物ホイホイでデンジャラスな訓練だったんです。九時に開始して十一時過ぎにはみなさん戻られてましたから、王城から半島まで一時間ほどでつけると思いますよ」
コノハがトーリを見る。
トーリはそっとコノハから目をそらした。
「それなら、勝てるね」
「ああ。ってことは宰相の指示はあれだ、歩兵は海を渡れないからこの国のトップを叩くのは頼んだ、ってとこだな」
トーリがサラと視線を合わせる。
サラの口の端についた黄粉を指先でぬぐったトーリはサラの頬に手を当てた。
「サラ、この国の内閣府全員を人質にする。できるか」
「できるかどうかではなく、やります」
サラの真っ直ぐな視線をトーリが受け止める。
信頼関係の結ばれた二人が醸し出す空気は独特で、コノハは甘ったるいシロップを一気飲みしたような気分になると頭をかいた。
「あー、もうっ。帰国する前に官邸とか内閣府のメンバーとかの情報集めてあげる! それが終わったら僕は帰るからね? 僕はもう手助けしないからねっ!」
「どうしたんですかコノハさん」
「手助けするのが馬鹿らしくなっただけ!」
立ち上がったコノハが無駄に足音をさせて部屋を出て行く。
それをぽかんと見送るサラに対し、トーリはくつくつと笑っていた。




