表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/30

18 サラ、脱ぐ。(モテ4/4)

「妹さんの病気について聞く前にチェストの上にあった人魚について聞きたいのですが、あれはいつからあそこにあるんですか」


「さあ。妹が寝込み始めた時にはあった気がする。欲しいなら妹と交渉してくれ」


「欲しくはないですが、どのみち処分の必要がありますよ。あれ、水銀ですから」


 応接室で出されたミルクティーは甘さ控えめだ。

 サラは傍らのソファで眠るトムの妹に目をやって続ける。


「妹さんの症状はおそらく水銀中毒です。水銀が蒸発した気体を吸っていると中毒を起こすことがあると聞いたことがあるのですが、症状から見て可能性は高いでしょう。それを枕元に置いておいては悪化するだけです」


 さらに、上質な薬包紙にわずかに残っていた白い粉はトーリの持っていた粉と似ていた。

 違うのは興奮作用のあるキノコの粉末が混ぜてある点か。

 効果を高めたアヘンは通常なら人を動けなくするが、使い方によっては苦痛を除き活動的にさせる効果があるという。

 トムの妹は薬で治っていたのではなく、誤魔化されていただけだ。


「また、この薬は麻薬で、いわゆるアッパードラッグというやつです。服用中は元気になるのですが、この薬に頼り続けたらたとえ水銀中毒が治ったとしても麻薬中毒になっているでしょうね」


 トムの依頼主は初めから彼女を助ける気などないのだ。

 薬を求める妹にトムはより一層依頼を遂行しようとするだろう。その依頼は数を重ねる毎に難度を増し、いつかは夜の王城を徘徊するよう求められるに違いなかった。

 これまでにサラが衛兵に引き渡してきた彼らと同じように。


「そんな……どうすれば」


「置物を処分して換気しましょう。扉も窓も全部開けて、部屋にカナリアを入れても暴れたり死んだりしなくなるまであの部屋を使わないことです。あとは妹さんしだいですが、安静にして良くなるのを待つしかないと思います」


 目の前のブルーベリータルトにフォークを入れる。

 ざっくりとしたタルト生地にたっぷりのブルーベリー。控えめなクリームが素朴な甘みを伝えてきた。


「うまいか?」


「はい。タルトもクリームも素朴な味がして、この家にお邪魔して最初に感じたあったかい感じに似て美味しいです」


「母の趣味なんだ。きっと喜ぶ」


 コリンズ家の奥様はきっと領民に慕われる素敵な人なのだろう。

 お茶会に出られていて不在なのが残念だった。


「そろそろ帰ります。妹さん、お大事に」


 ミルクティーとタルトを堪能したサラが立ち上がるのに合わせてトムも立ち上がる。

 逡巡するようにサラと妹の顔を見比べたトムはふっと息を吐いてサラを玄関まで案内する。


「その……迷惑かけて悪かったな。ありがとう」


「いいえ、私は主の命令に従ったまでですので」


 いよいよ外に出ようとする時、トムは「あのさ」とサラを呼び止める。


「あんたの言うモテる方法は悪くなかったよ。えらく雑だったけどな」


「もしトムさんがモテたら私を惚れさせに来てくださいね」


「考えとくよ」


 午後の日差しはまだまだ眩しい。

 用事があるからと馬車を断ったサラは歩いて商業街の方向へと足を向ける。

 久しぶりの買い物や買い食いに心を躍らせるサラは周囲に人目がないことを確認し、商業街の一角に瞬間移動した。

 瞬間移動を見つかって不審者扱いをされることよりも馬車の揺れやお尻の痛みの方がサラにとっては忌避すべきものだったからだ。



 サラが雑貨屋をいくつか見た結果、水銀を使用した商品など市販されていないということがわかった。

 雑貨屋が殺人屋になっていたらどうしようといった心配が杞憂に終わり、サラはほっとしながら棚を見ていく。

 空色のガラス玉で飾られたバレッタが可愛い。


(でも私みたいな地味な紐とピンで纏めただけの髪には合わないだろうし、こういう可愛らしいものはシャルロットさんの方が似合うんだろうな)


 サラより三歳下のシャルロットはいつも唇がぷるぷるで可愛らしく、人が苦手なのか二人で話すときも距離を取っている。

 その小動物のようなところが魅力的で、自分もそんなふうに可愛かったらトーリと噂になっていただろうかと考えてしまう。

 もっとも、噂になってもサラは解雇されるだけでなんのメリットもない。

 しかし男の主に仕えるただ一人の女使用人という立場なのに、浮いた噂や邪推が一つもないというのが女としてのプライドを傷つけられた気がするのは事実だ。


「乙女心は複雑なのよー」


 思わずこぼれる独り言。


「ほう。じゃあその心臓ごといただこうか」


 声が真後ろで聞こえ、サラは直感的に声の主を投げる。

 しかし相手は逆にサラの腕をとってバランスを崩させた。


(ダメだ、強い)


 腕を振り払い、床に崩れるのを何とか回避して店を出る。

 しかし既に店の前には目つきの悪い男達がおり、後ろからは声の主が狙っているのを感じた。

 まさか人通りの多い店舗前で大立ち回りをすることはないだろうと思いつつも、その可能性を捨てきれずに瞬間移動を開始する。


「させねーよ?」


 ピリッとした痛みに集中を途切れる。

 左頬が痛い。何かがかすったのかもしれない。


「大人しくついてくるならここでヤらずにいてやるよ」


 背中に突き付けられた何かは刃物ではない。

 もしかしたら銃かもしれないな、とサラは了承を伝える。

 男六人に囲まれての移動。

 サラが瞬間移動を使うには立ち止まって集中する必要がある。高速移動は集中は要らないが基本は「物凄く早く走る」なので予備動作がいる。

 どちらにしても相手が銃を放つ方が早いだろう。


「あなた達は王弟派ですか、それとも第二王子派ですか」


 動く塀に囲まれている気分になりながら聞くと、彼らの一人が「どっちも同じだろう」と答える。

 返事が返ってくるのは僥倖だった。


「あなた達の目的は私の暗殺ですか、それとも離職ですか」


 後者なら説得余地があるかもしれない。

 昨日トーリから聞かされた話を思い出す。

 これは、サラが真面目すぎたことの弊害だった。

 ところどころわかりやすい隙を作って周囲に甘く見られていたトーリとは違い、サラはあまりに一生懸命すぎて目をつけられたのだという。

 何かやらかしかねないというよくわからないものへの恐れは時に過剰な攻撃力になる。

 だからこそ、真面目一貫の馬鹿であると思われることが出来ればこの場を切り抜けられる可能性があった。


「命までは取りゃしねえよ」


「それなら安心しました。日暮れまでに戻って主にお茶を入れなくてはいけないんです」


「へえ、こんな時に主人の茶の心配か?」


「はい。私は主の命令にだけは忠実なメイドなんですよ」


 くくっと笑う男。


「戻れるといいなァ?」


 先程から感じていた異臭がどんどん強くなってくる。

 貧民街だ、と警戒を強めるサラに後ろの男が「逃げるなよ」と背中に当てた物体をさらに押し付けてくる。

 倉庫らしき崩れかけの建物に入ると、背中に当てられていたそれが離れた。

 今だ、と駆け出そうとした時だった。


 ターン ターン ターン ターン


 高い銃声が耳に痛く、足が動かなくなる。

 何が起こったか分からないうちに両膝の裏とふくらはぎが熱く痛み始め、サラはぐしゃりと床に崩れた。

 撃たれた。でも大丈夫。弾は極小だし当たりどころもラッキーな軽傷だ。ラッキーだ。


「逃げるなって言っただろ?」


 そう言った後ろの男に前にいた男が笑う。


「うわぁ、膝撃つとか鬼畜だねぇ。大丈夫? 止血しとこうか」


 同年代らしき男がサラの脚に手をかける。

 這いずって逃げようとするサラを他の男が掴み動けなくしている間に太ももが紐できつく縛られ、布を当てられたかと思えば包帯をしっかりと巻き付けられた。

 予想と違いまっとうな手当だ。


「手馴れてますね」


「まあね。僕の仕事は死なせないことだから」


 なるほど、命までは取らないというのは本当のことらしい。

 男が6人、手当が終わってもサラを後ろから拘束しているということは、これから起こることにだいたい想像がつくというものだ。


「良いでしょう、誰からですか?」


 サラを拘束している男にわかるように体から力を抜いてみせる。

 男たちは少なからず驚いたようだった。


「あんた、子爵家の秘蔵っ子のお嬢様だろ?」


「夜会に出ないことで秘蔵っ子だと認定するのは間違っている気がしますね。仕事が忙しくて出席できないだけなのですが」


 もちろん嘘だ。

 たとえ仕事が忙しくなくてもサラは夜会に出る気は無い。社交界のキラキラドロドロした空気が嫌いだしドレスの苦しさも嫌いなのだ。


「ふうん、じゃあどこで遊んでるのかな、お嬢様は」


「遊びませんよ、仕事で忙しいので。私は主の命令に忠実なメイドなんです」


 男達が下卑た笑い声を上げる。

 男達が妄想を広げてくれることを期待して放った言葉はうまく伝わったようだった。


「そりゃあいい。どんだけ女に言い寄られても断ってる無能で有名なあの宰相補佐官様がなァ。毎晩泊まり込みでどんなオシゴトしてたのかねェ」


「お恥ずかしい限りです」


 足の痛みはじんじんと痺れるようだが、それでもかなりマシになってきていた。

 気取られないように男達の配置を確認し、一番偉そうな男に目を向ける。

 以前ひとけのない廊下の奥で見た、中年貴族を誘惑する女使用人の顔を記憶の限り再現する。


「服を……脱いでもよろしいでしょうか?」


 鼻から息を抜けさせるように言えば、場の空気が変わったのを感じた。


「離してやれ」


 一番偉そうな男の声にサラの拘束が解かれる。

 サラは警戒されないようゆっくりと胸元のリボンを解いた。

 男が近づいてくる。

 あと五歩、というところでサラは目を閉じた。

 すべてのにおい、音、温度、痛み、感触、それらが一斉に遠ざかる。

 その瞬間男達は言いようもない何かを感じてサラに手を掛けようとしたが、まばたきをした間にサラは消えてしまっていた。

 残されていたのは四個の銃弾と紐、布と包帯。

 そこには血の一滴も存在しておらず、まるで幽霊を相手にしていたような気がして、男達の背筋にぞくりと寒気が走った。



「先生……っ! 力を貸してください……!」


 男達を前にサラが浮かべた瞬間移動先は宰相の執務室だった。

 自分の部屋よりも安全そうだというのが理由だが、後にこれをトーリに話したところ「なぜ僕の執務室じゃないんだ」と不機嫌になられた。

 主に迷惑をかけたくないというメイドの繊細な気持ちを訴えても理解してもらえなかったあたり、二人の価値観の間には大きな溝がありそうだ。


「おいオメェなんて格好してんだ!」


「へ、あー……」


 改めて自分の姿を見たサラは肩を落とす。

 正しく身に着けているのは下着だけ。

 他は衣類になりきれていない布がかろうじて肩にかかっており、スカートはウエストがゆるゆるの布の筒でしかない。

 床に座り込んだ状態のまま転移したためそこまで肌を晒しているわけでは無いが、みすぼらしい姿であることは間違いなかった。

 膝下を滴る血が絨毯を汚さないよう、肩にかかっていた布を脚に巻く。


「申し訳ありません、いまイメージをし直して……」


「馬鹿なこと言ってないでこれ着ろ」


 宰相から投げ付けられるシャツとチェスターコート。

 コートは山へ視察に行くことがあるからと夏でも準備されているものだ。

 宰相のシャツはトーリのものより生地が良く、お父さんっぽい香りがした。


「それで、私に用事ですか」


 セバスはサラの周りに散乱する服のなり損ないたちを集めてわきにやり、サラの脚を見る。

 膝の裏とアキレス腱の上に一つずつ、両脚にあいた穴とそこから流れる血にセバスの顔が曇った。


「南西の貧民街、倉庫です。二軒手前にドラム缶が置いてあります。男が六人、連発できる銃を持ってます」


「それを捕まえろと?」


「一人でいいのでお願いします、私逃げるのでやっとで」


「やめとけ」


 セバスに懇願するサラを止めたのは宰相だった。


「白昼堂々と人攫いしようって輩だ、もう逃げてるだろうよ」


 宰相が煙草に火をつける。

 セバスはアルコールや包帯を用意していたが、「貫通してませんね。弾を出さないと」とナイフを取り出した。


「大丈夫、弾は出てます」


「なぜです」


「意識を持ってイメージした服の再構成にすら失敗してるんです、弾のことなんか頭になかったので現場にそのまま残ってると思います」


 これは自主練習で気づいたことなのだが、瞬間移動をする時は自分の体以外のものをきちんと意識しないとその場に置いてきてしまうのだ。

 下着を置いてきたのは最初だけだったが、今でも気を抜くとヘアピンを数本置き去りにすることがある。


「あなたはまったく……規格外ですね」


「うあぁしみます……」


「我慢なさい。それより、身体を再構成できるなら怪我を治せるのではないですか」


 左頬の傷を痛ましそうに見ながら手当をするセバスにサラは目を伏せる。


「なんか本能的にできないみたいで。ただ、再構成は私のイメージ力に掛かってるので、軽傷だって思い込んでると軽傷の状態で再構成される気がします」


 ーー銃で撃たれたがその弾は極小で、当たりどころが良かったために痛みはあっても軽傷ーー

 怪我をした直後に軽傷だと自分に言い聞かせ、瞬間移動の直前に同じように意識する。

 本当に効果があるのかはわからないが、保険みたいなものだろう。

 少なくとも現状、痛みさえこらえれば膝を動かすことができ、可動域が狭まったわけでもない。

 それに。


「よいしょっと」


 立ち上がることも可能。痛いが。

 歩くことも可能。かなり痛いが。

 

「なるほど。たしかにこの位置を撃たれたなら本来歩けなくなってもおかしくないですからね」


「なにそれ怖い。私、身体の知識つけすぎると生存確率下がりそうですね」


「普通は逆なんですけどね」


 その後、気持ちを落ち着かせて服のなり損ないの布に触れたサラは分解と再構成をやり直して元の服に戻した。

 それを見ていた宰相は「最強の暗号化技術を見たぞ……」と言っていたが、サラにしか復元できない時点で用を成さないことは明らかで、宰相はひどく悔しがっていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ