17 川渡りクイズ(モテ3/4)
川渡りクイズです。サラと一緒にれっつしんきんぐ!
(おかしい。)
スプーンを置いたサラは「大丈夫です」と宣言して テーブルの上の料理が運ばれて行くのを見やる。
(いえ、おかしいのではなく……今までが異常すぎたのでしょう)
第一王子の毒見役になって三年ほど。
一日三食、皿の数なら一万以上の毒見をしてきたが、二日に一度は毒を盛られる殿下に慣れてしまったのはいつからだろう。
それがこの三週間、何も入れられていない。
初めの数日は偶然だろうと思っていた。
しかし二週間を過ぎ、疑いは確信に近づいていた。
これまでは即効性の毒ばかり利用されていて、サラでもすぐ気付くことが出来た。味にも特徴がある毒ばかりで、本当に摂取させる気があるのかと詰め寄りたくなるようなものばかり。
でもそれはきっと脅しだったのだ。
自分たちはいつでも毒を入れることができるんだぞ、という脅し。
もしこの「毒が入っていない」状況が遅効性の毒に切り替えられたせいだとしたら。一口では気付かないような微量の毒を時間をかけて摂取させてゆく方法に切り替えられたのだとしたら。
その場合サラができることはなく、事後的に医師の力を借りることでしか対処できなくなるだろう。
「第一王子殿下、そろそろご家族で食卓を囲んでみませんか」
コーヒーを飲む王子に告げると、王子は興を削がれたような顔をした。
「俺は食事を儀式にする気はないぞ」
「ですが、殿下も成人なされたのですし、王族の一員として儀礼食に加わってはいかがかと思うのですが」
自分の毒見能力では立ち向かえない以上、もっと地位の高い人……王様と食事を摂るようにしてもらえば、今よりも警戒度の高い食事ができるのではないか。
そう思って提案したサラの言葉を遮ったのはトーリだった。
「殿下が即位された暁には儀礼食の制度を廃止するのも良いかもしれませんね。その時は僕を呼んでください」
「いいぞ! サラも来い。あとあの強面も呼んでやろう」
「宰相も喜びますよ」
笑い合う王子とトーリ。
しかし笑い声を上げながらもトーリの目はサラに向いており、口を出すなと告げていた。
トーリの執務室に戻り、王子への提案がなぜ却下されたのか尋ねたサラに返ってきたのは「川渡りクイズを知っているかい」という言葉だった。
「あるところに狼とヤギと野菜売りの男がいた。彼らは川を渡ろうとしたが、そこには渡し舟が一つしかなかった。渡し舟の船頭は1度に一人又は一匹しか乗せられない。厄介なことに、狼とヤギを二匹だけにするとヤギが食べられ、ヤギと野菜売りだけにすると野菜が食われてしまう。船頭が無事に二匹と一人を対岸に届けるにはどうすればいいか、というクイズなんだ」
「はあ」
「ではここで問題です。船頭がお客さんを乗せて川を渡り始めた後、猟師が現れて、狼と羊を手に入れたいと思いました。なお、カナヅチ体質の野菜売りと船頭とは異なり、猟師は泳ぎが得意で川をひとりで渡れます。猟師が誰にもバレずに二匹を仕留めるにはどうすればいいでしょうか」
「なんでいきなり猟師が……。しかも誰にもバレずに……?」
「そう。ちなみにそこは人気のない川だから野菜売りと船頭にバレなければ良いってことになる」
野菜売りと船頭がいないタイミングを見つけろ、ということなんだろう。
「船頭はまずヤギを向こう岸に送るので、船頭が岸に戻ってくる間にヤギを仕留めます」
「駄目だよ、対岸にいる野菜売りが見てるし、船を漕いでいる船頭に気付かれるかもしれない」
それなら諦めてタイミングを待……でも待てよ、野菜売りと船頭が向こう岸にいるとしたら、こっちの岸に狼とヤギがいることになってヤギが食べられてしまう。
仕留めるタイミングがない。
困惑していると、「時間切れ」と告げられた。
「猟師が仕事をするには、まず船頭がどんな行動を取るかを予想する必要がある。およそ方法は一つで、船頭はヤギを送って戻り、狼を送ってヤギを連れ戻し、野菜売りを送って戻り、ヤギを送る、という方法をとることになる。
猟師は三往復目まで待ち、野菜売りと船頭が川を渡っている最中に舟ごと川に沈めて、その後は気兼ねなく羊と狼を仕留めればいい。
簡単だろう?」
「無茶苦茶です」
「うん、そうだね。でも現状はそうなんだ。
船頭はもう仕事をはじめてしまっているから逃げられない。
でも野菜売りだけなら川を渡るのを諦めて逃げ出せば助かる可能性がある。船頭と舟と一緒に川の上へ身を投じる前であればね」
「船頭は助からないんですか」
「どうだろう。野菜売りと一緒にいるよりは多少生存確率が上がるかもしれない」
王と王位継承権者の関係は川渡りゲームよりも救いがない。
王と王弟を一緒にすると王が死ぬ。
王と第二王子を一緒にすると王が死ぬ。
王と第一王子を一緒にすると両方が死ぬ。
第一王子と王弟を一緒にすると第一王子が死ぬ。
第一王子と第二王子を一緒にすると第一王子が死ぬ。
第二王子と王弟を一緒にすると第二王子が死ぬ。
第一王子が食事を一人で、もしくはトーリや宰相など限られた人間と一緒に摂るのはそれが一番マシな選択肢だからだ。
トーリは時間を確認すると会議の準備を始める。
サラはそれを無言で手伝った。
「サラさん! もらった化粧水使ったのにイケメンになりません!」
「化粧水で顔が変わったら世の中に美女しかいなくなりますよ」
毎度のごとく昼休みに走ってきたメッセンジャーのトムに淡々と答えるサラ。
その姿には普段のような疲れはなく、心無しか穏やかささえ伴っている。
「サラさん、俺をモテる男にするって約束しましたよね? 約束破るんですか?」
「私はそのような約束はしていません。ただ、頼みに応じてアドバイスを差し上げているだけです」
「へえ? そんなこと言っていいんですか? 呪いますよ」
サラが怯えるように眉根を寄せる。
「呪わないでください」
心無しか小さくなった声にトムは気を大きくしてサラに詰め寄る。
「いーや、呪う! のたうち回って悪夢にうなされて絶望しながら息絶えるようにしてやる!」
「なるほど、あなたは私の貴重な秘書をのたうち回って悪夢にうなされて絶望しながら息絶えさせようとなさっているのですね、トム・コリンズさん?」
トムの肩を後ろから掴んだのは金髪に空色の目をした身長の高い男。
紺色のジャケットに赤いポケットチーフを差した彼は整った顔で綺麗な笑みを作って見せた。
使用人食堂の前の廊下に女性使用人たちの「トーリ様ー!」という黄色い声が上がる。
その声に向かって片目を閉じたトーリに女性達の叫び声が高まり、直撃を食らったらしい女性数人はその場でふらりと気を失った。
きゃーわー騒ぐ声の中、ちょっとあんたしっかり、といった声も聞こえてくる。
騒ぎを聞いて人が増えてきたのを感じながらトーリはトム・コリンズと対峙した。
「トム・コリンズ。男爵家の三男に生まれ、プレスクールで瞬足のトムと呼ばれたことをきっかけに足の早さを仕事にしようと思い立つ。王城での勤務歴は四年、昨年メッセンジャー補助者からメッセンジャーに昇格。
先日王城内庭園にて薔薇の花を盗もうとしたところ衛兵に捕縛され、ここにいるサラ・ヒューズを主犯者であると騙って逃走。
先程の呪いといい、よほど彼女に恨みがあるようですね」
「ふうん、サラさんのご主人様は俺のことをよくご存じなんですね。じゃあ俺がサラさんに恨みなんかないってのもわかってるんじゃないっすか」
「ええ、あなた自身はサラに恨みはないでしょう。あなたは頼まれただけ、そうでしょう?」
「違う、俺がサラさんに頼んでるんだよ。モテる男にしてくれって」
外野の使用人たちが「そんな話だっけ?」「トムはサラにくびったけだったんじゃないの?」「サラにモテる男になるって言ってたよね」とざわめく。
トムは噂の方は「サラに」で流し、サラには「更に」と取れるように言葉を使っていたのだろう。
偏った範囲でしか流れていない噂の出処を辿るのは比較的簡単で、そしてそれは今回の騒動の始点までトーリを導いてくれた。
「今月に入ってご実家のご両親が大きな買い物をなされたそうですね。平民と同等の生活をしていた方々がいきなり上流貴族御用達商会と取引をするようになったと噂になっていますよ。
でも不思議ですね、財務局にはご実家の領における税収は昨年と変更がない旨申告されているのにどこからそんなお金が出てきたのでしょう。虚偽申告による脱税でしょうか」
「さあ? 俺は実家のことは知らないし領地管理は全部兄貴がやってるんで」
「先日、装飾品で有名なとある町に行きましてね。件の商会の取引担当者から面白い話を聞かせていただけましたよ。ここでそれを話しても?」
トムの目が厳しくなった。
いつもの明るく自己中心的なトムはなりをひそめ、すっくりと背筋を伸ばして立っている。
「……何が目的だ」
「この件から手を引いていただきたいのですよ。なに、先方にはクビになったとでも言えばいいでしょう。一旦は噂も立ったわけですし」
「だがそれだと妹が」
トーリがサラを見る。
サラはそのアイコンタクトが何を意味しているのかはわからなかったが、特に何も考えずに頷いた。
「サラ、明日はお休みだったよね。そういえばトムの妹に会ってみたいと言っていなかった? 可愛いお嬢さんだって有名らしいね。サラは可愛いものが好きだから楽しく過ごせそうで羨ましいよ」
「は……はい。トムさんの妹さんに会うの楽しみです」
明日がお休みだなんて聞いていないし、トムに妹がいることも初耳だ。
しかしサラはこれでもメイド歴四年、主の言葉をそれらしく拾って肯定するくらいはできる。
あとでしっかり説明してもらいますからね、と視線に込めて口角を上げたサラにトーリは満足そうに口の端を持ち上げた。
トム・コリンズの実家はあまり裕福ではなく、王都には屋敷を持っていない。
そのため社交期間中は当主である父親と長男、母親と体の弱いトムの妹は王都の借家で過ごすことにしていた。
馬車にゴトゴト揺られ、酔わないように外を見つつサラは聞く。
「ねえトムさん、なんでトムさんの依頼主は妹さんの病気のことを知ってたんでしょう」
「さあな。俺はあいつが妹になんかしたんじゃないかって思ってるけど証拠ないし。手付金として貰った金も一ヶ月分の薬代で消えちまって、薬がなくなった今じゃいつ妹が起きてこなくなるか」
トムの妹が病にかかったのは三ヵ月前のこと。初めは発熱や吐き気を訴えていたが、熱が下がってからも息苦しそうにし伏せるようになった。
風薬を飲ませてみるも回復は見られず、日に日に眠る時間が長くなっていく。
眠る時間が半日を超えるようになった頃、王城で働くトムに接触してきた貴族がいた。
手紙の配達かと思い受け取った手紙の表にトムの名前と妹の名前が書かれており、そこには妹の病状についての見舞い文があった。
文末にあった指示に従って王都のカフェテラスへ行ったトムに持ち掛けられたのが、妹の病状に効く薬の購入斡旋と薬代の援助。そしてその代償がサラの熱愛スキャンダルを作り上げることだった。
使用人同士の恋愛は大っぴらとなれば風紀を乱すとして女性が退職する慣例がある。トムの妹は、サラが王城にいるのが気に食わない者の計画の被害者だとトーリは断言した。
「それで、妹は助かるんだろうな?」
「断言はできません。私が見られるのは妹さんの症状と処方薬だけですから」
城の外に出たからだろう、言葉を砕けさせたトムを前に、サラは目を閉じて馬車に揺られていた。
トムの家はこじんまりとはしていたが、優しい匂いのする心地良い家だった。
野菜スープのにおいに、石けんのにおい。廊下の隅まで吐き清められているところにトムの母親の目配りを感じられた。
「こっちだ」
出迎えた執事に手土産を渡すのもそこそこに、トムの妹の部屋まで案内される。
「おい、起きてるか? 入るぞ」
返事のない部屋では、青白い顔をした少女が眠っていた。
病のせいか、眠る時間が長いせいで食事が取れていないせいか、頬がやつれている。
「悪いな。薬があるうちは起き上がったりも出来てたんだが」
「いえ……薬の入っていた袋などは残っていますか」
「ああ、そこのチェストの中だ」
「ありがとうございま……へぇ、綺麗」
チェストの上に置かれたガラス細工の人魚の置物。
ガラスの器に詰められた銀の海の中からガラス製の人魚が上半身と尾ひれの先を出しているその置物はひれの先まで丁寧に作られている。
引き出しを開ける時のチェストの揺れと同時に海が揺れるのもこっていて……金属が……揺れる?
「いま揺れましたよね……?」
ガラスの器を手に取ってみる。
その振動で銀色が揺れた。
ヘアピンの先でつついてみると、ピン先はいとも簡単に沈んでいく。
置物の海の部分はすべて液体だった。
「トムさん、妹さんを他の部屋へ運びましょう」
チェストから薬包紙を回収したサラはそう言うと立ち上がった。
もしサラの予想が正しければ、薬包紙に入っていたのは薬ではない。
毒だ。