15 モテと見合いと男と女(モテ1/4)
トーリ宛にアスコット伯爵夫人から手紙が届いていたことを知ったのは夏休みが終わり、トーリが領地から帰った日だった。
王都の家に届けられたそれには私的な文書であることを示すシーリングがされていて、小規模な茶会の招待だろうかと封を切る。
ほんのりとムスクの香りがする薄い便箋。
季節の挨拶や催し物への参加のお礼が流麗な文字で記される中、トーリの目が一点で留まる。
『ディファイン家の使用人であり、貴殿の秘書である女性サラ・ヒューズ嬢をハイジ家長男ロイス・ハイジと見合いさせることについて許可をいただきたいのです』
アスコット伯爵夫人がサラに誘いをかけてきたという話は聞いていた。
まさか本気だったとは。
こんな内容なら留守番の使用人に封を開けさせておけばよかったと悔やむも、先に立たないのが後悔である。
領地へ電信を送り手紙を読み直す。
何度読んでもサラへの見合い話であることは変わらないとみると、トーリは強く目を閉じた。
サラはいま21、貴族の女性としては行き遅れの年齢だ。そんなサラを長男の妻、次期伯爵夫人にしたいという。
なぜか。
国の予算からアスコット領への不当な利益がもたらされないよう妨害したのはトーリだ。トーリが気に入っている娘を取り込むことで妨害工作を解除させようとしたのか。
いや、でもディファイン領商会との取引でアスコット卿は納得をしていた。下手に国に手を出すより余程堅実だろう。
なら、サラの能力が目的か。
ロイス・ハイジは農林水産局の第二書記官だ。時折書類を提出させに行ったが、サラが能力を発揮するような場面があったとは思えない。
それに、サラの能力はその移動の速さでも人の弱味を仕入れてくるところでもない。
あの真面目なくせにどこかフワフワと抜けているところや、どんな障害にもへこたれず努力で立ち向かう姿勢がいいのだ。
自分では澄ました顔を装っているつもりなのだろうけど、食べ物を口に入れてやればたちまちその顔は崩れ子どものようにほころぶ、そんなところも。
初めて会ったときと変わらない楽しげな表情。
思い出せば、ちょこまかと動き回る彼女を抱き上げて子馬に乗せてやったのはトーリが10歳、サラが5歳の時だった。
馬が好きか、と聞くと首が壊れるくらいに頷いて、引き馬で散歩をしてやれば秋の虫が鳴くかのように心地よく笑っていた。
イチゴを摘んで口に入れてやれば、目を丸くして美味しい美味しいと歓声を上げていた。
野草で花冠を作ってやれば、自分も作ると言って見よう見まねで編んでいたが、笑ってしまうほど不器用で、失敗作をいくつも押し付けられた。
サラがディファイン領から帰ってしまうときは寂しくて、しばらく兄上に八つ当たりしてしまったっけ。
恥ずかしい記憶にちょっと気まずくなりながら胸ポケットに触れる。
サラの笑顔が変わらないよう守ってやれれば良い。
それがたとえ、サラがロイス・ハイジのもとへ嫁ぐことで叶えられるとしても、サラが幸せになれるというのなら雇い主として笑って送り出す必要があるだろう。
ぎしりと何かが軋むような気がしたが、その違和感は苦いコーヒーを飲むことで消してしまう。
後から考えれば、もっとその違和感と向き合っておくべきだったのだ。
けれどその時は、自分を犠牲にすれば人を幸せに出来ると、自分がその犠牲に耐えられると本気で考えていたのだった。
「サラさん! これ、読んでください!」
時は昼休み。
サラに話し掛けてきたのは見慣れない少年だった。
その時サラは使用人食堂へ向かう途中で、犬も歩けばなんとやらだな、と足を止める。
少年が差し出したのは薄緑色の封筒で、サラが受け取るや否や名乗りもせずに走り去っていった。
それはまるでラブレターを渡して逃げ去ってゆく乙女のようで、噂好きの王城使用人たちがすぐさま拡散にむけて動き出す。
封筒をポケットに入れたサラは、トーリ様からの王城内での瞬間移動禁止令を早いうちに撤回していただかなくては、と足を早めた。
サラには使用人仲間はいない。
なぜなら、サラは王城に雇われているわけではなく、あくまでもトーリの使用人という立場であるためである。
なお、サラが使用人食堂や使用人棟を利用できているのはトーリが利用申請をすると共に利用料を支払っているためであって、例外的に部外者であるサラに利用が許されている形になっている。
仕事の性質上食事の時間はバラバラであるし、部屋も一人部屋。
給湯室や洗濯室のメイドたちとは多少話すこともあるが、少なくとも男性使用人に知り合いはいないはずだった。
それなのに、なぜこんなことになったのか。
手紙を読んだサラは呻き声を上げながら床に突っ伏した。
『拝啓 宰相補佐官付秘書サラさんへ
はじめまして。いつもお仕事見ています。
この前、サラさんがシャルロットさんに教えたというリラックス効果のあるお茶を飲みました。凄かったです。
他にも、サラさんは腕っぷしが強いって衛兵のみんなから聞きました。
それに、宰相補佐官さんの仕事を手伝ってるなんて、とってもクールです。
サラさんは王城の女の子たちにモテモテです。
ズルイです。
俺は王城内のメッセンジャーをしています。
だから色んな女の子との出会いがあります。
でも、モテません。
そこで思ったのですが、俺がサラさんみたいに女の子受けする物を作れて、筋肉のある強い男になって、インテリになったらモテるのではないでしょうか。
だから、俺をモテる男にしてください。
約束ですよ!
ちなみに、約束を破ったら呪います。
明日までに返事をください。
敬具
トム・コリンズ』
まず一つ。
サラは女性にモテてはいない。
若い女性には「トーリ様と話せるよう顔繋ぎして」と強請られ、同じ年頃の女性には「結婚って良いわよ」と自慢され、年嵩の女性には「若いのにこんなに働いて」と憐れまれている。
少なくともサラは嫉妬と憐憫の情をモテと言うとは聞いたことがなかった。
そして二つめ。
お願いする相手を脅してどうする。
普通なら呪いなんて脅しにならないかもしれない。
しかしサラは呪いとかその類いが苦手なのだ。
幽霊とかお化けとか、そういう実体や科学的根拠のないものはどうにも駄目で、ともかくこの脅しはサラにとって非常に効果があった。
「サラは新しい技を習得する気なの?」
床を転がるサラを心配そうに見下ろすトーリに、サラは「違います……」と手紙を握り込む。
奇行を見られたことに赤面したサラはトーリに顔を見られないようにしながら立ち上がった。
「トーリ様」
「なに?」
「手紙を出したいので、一時間後にメッセンジャーを呼んでいただけませんか」
「それは良いけど……誰に出すの」
「トム・コリンズです。あとレターセット貸してください」
トーリは初めて聞く男の名を心に刻む。
後で必ず調べてやろうと決め、サラに一番低級のレターセットを渡すと、なぜかサラは嬉しそうに受け取った。
便箋の質が問題にならないくらい手紙を書けることが嬉しいのか、とトーリが不機嫌になったことは気付かず、サラはさらさらと手紙をしたためる。
そこには季節の挨拶から始まり相手の仕事を労う言葉や回りくどい修辞がつらつらと並べられていたが、要約すると『インテリになりたいなら手紙の書き方を勉強しろ、話はそれからだ。返事が欲しいなら王城十周走ってこい』と書かれていた。
さて翌日の昼下がり。
「サラさん! 手紙読みましたよ! で、結局何すればいいんですか?」
意味がわかってないなら読んだとは言わないのだよ少年よ。
突撃してきた少年をひょいとかわしたサラは鈍痛を訴え始める頭を右手で支える。
「サラさんは王城十周走れって軽く言いますけど、俺はそんな大変なの無理ですよー。もっと普通な感じにしてください。あと難しい言葉とかやめてくださいね! 可愛くないんで!」
「うん、じゃあ筋トレだね。明日までに腹筋背筋腕立て千回ずつやっといで」
「だーかーらー。無理ですってー。サラさんって脳味噌まで筋肉なんですか? つーかアホですよね? 普通の人がそんなんやったら倒れちゃうってわかんないんですか?」
教えを請おうとする人間にアホとか言っちゃうのか……これが……これがゆとりか……!!!
サラの頭の中は恐慌状態だ。
心が折れそうになったサラは「王城1周と筋トレ十回ずつやっといで」と言い、なんとかトム少年を追い返す。
しかし当然ながら、トム少年の突撃がこれで終わるはずがないのである。
翌日。
「サラさん! 全然モテるようにならないんですけど!」
「王城二周筋トレ20回」
翌々日。
「サラさん! いつモテるようになるんですか!」
「王城三周筋トレ30回」
翌々々日。
「サラさん!」
「王城四周筋トレ40回」
翌々々々日。
「サラさ」
「王城五周筋トレ50回」
翌々々々々日。
「走るのも筋トレも飽きました!」
「飽きてからが強くなるときなのです」
「精神論とか古いですよ。時代は頭脳戦ですよ? 先の戦争だって相手の隙をつく知的な戦略で勝利を収めたんです。サラさんは化石ですか?」
知的な戦略?
体を鍛えあげて力任せに敵将を倒すのが?
サラは口をぽかんと開けて目の前の少年を見る。
チェスゲームが知的なゲームなのは一手目で全方向に動ける駒がないからだ。
相手が反応できない速度での移動は相手を「一休み」させるのと同じだ。
一手目で全方向に動いてキングにチェック。相手の番は「一休み」。二手目でチェックメイト。
知的さの欠片もない。
「薔薇を贈りなさい」
「薔薇?」
「女性を振り向かせるには毎日薔薇を送ることだと大衆誌にありました」
知的さを理解できないならインテリ路線ではなくロマンチック路線で攻めさせよう、と思いついたことを言って見る。
トム・コリンズはこれまでで一番の笑みを浮かべ、元気に去ってゆく。
これで終わりになれば良いのだけれど、というサラの希望はもちろん翌日には砕け散るのである。
「俺がモテないのは全部おまえが悪い!」
来ました、逆ギレです!
思わず実況中継をしそうになったサラは悪くない。
「どうかしましたか?」
平然を装って聞くサラにトム・コリンズが勢いよく捲し立てる。
「どうかしました! 花屋で薔薇買うお金なんかないからそこの庭のを切ってたら衛兵に捕まって! その噂のせいで女の子たちが近寄ってくれなくなったじゃないか!」
「王城のお花を勝手に切るのは犯罪ですよ……ってどうしてまだここにいるんです? 解雇されるはずでしょう」
「衛兵に『サラ・ヒューズに言われてやった』って言ったら帰っていいって言われた俺超ラッキー」
「それ、まずいパターンですよね。私にとって」
サラの頭の中で大衆誌が『宰相補佐官の秘書、王城秩序撹乱及び王家所有物窃盗未遂! 宰相補佐官は責任を取って辞任を表明』と書き立てる。
白眼視される主、貴族社会から干されるディファイン家。ヒューズ家は爵位剥奪かもしれない。
そしてこんなゴシップが前面に出るのだ。『知られざる侯爵家の闇 ドレスを纏うアニキ様』と。
いけない。
それだけはいけない。
あの姿を皆様にお見せするのは断じて許されない。
サラは衛兵たちに手を回すことを決めた。今すぐにだ。
「……しばらく真面目に仕事をしていてくれませんか。仕事人はカッコよく見えるものですよ」
返事は聞かずに走り出す。
王城の廊下では窓が開いてもいないのに暴風を感じることがある、という都市伝説は秒速千メートルで走るサラが原因であることを知るのは、第一王子他数名のみである。




