14 真・瞬間移動
本日二度目の更新です。
ディファイン侯爵領とヒューズ子爵領は森を挟んで隣同士にある。
二つの領の間にある森は帳簿上は侯爵領となっているが、実際はどちらのものともつかず共有しているような状態だ。
そのため、侯爵家から夏休みを貰ったサラは共有の森を通って里帰りしていた。
昔は恐ろしく感じた獣も今では片手で倒せるような気がするあたり、成長とは素晴らしいものである。
うきうきと毒キノコや毒草をつむサラを咎める者はいない。
昔は食べられそうなものを採取していたサラは今では毒になるものや通常見掛けないものを進んで採取している。
これもまた成長の証というものだろう。
「ただいまぁ」
「おかえりなさいませお嬢様」
半年ぶりに戻った実家は変わりなく、出迎えた使用人がサラの荷物を受け取る。
侯爵家からのお土産がみっちり詰められた旅行鞄は重く、メイドが顔を赤くしながら運んでいく。
森の毒物がいっぱい入れられた片手籠はさすがに渡すのを遠慮して自分の部屋で扱うことにする。
「サラ! 帰ってたんだね。今回は何日いてくれるのかな」
自室からひょいっと顔を出したのはサラの兄だ。
3日かな、と軽く返すと、彼は「短いな」と残念そうに言った。
サラの兄は学院を卒業後すぐに父のもとで領地経営の勉強を始めており、王国公務にはついていない。
しかし学院時代に学んだという他国の物理理論をもとに実験することを趣味としている彼は、卒業後もときおり王国技術局に呼ばれている。
最近ではブドウ種子油を燃料とする内燃機関式エンジンを開発し、馬車よりも早く揺れにくい移動式台車を考案するなど、妹のひいき目かもしれないが、王国を陰で支える指折りの科学者だ。
そんな兄だからこそ相談できることがある。
サラは外着から着替えると兄の部屋へと壁抜けした。
「サラ! どうやって入ってきた? ドアは開かなかったよね」
予想通り驚いてくれた兄にサラは満足げに笑う。
しかし彼はサラの顔を見ることなくドアに触れ、そこにつけられた鈴や蝶番、ドアの隙間に仕掛けた細工を確認している。
「お兄ちゃん、相談があるの」
「やっぱりドアは開いていない。ということは……いや、有り得ない。もしかして隠れていたのか? さっきドアを開けた瞬間に滑り込んで……いや無茶な。それにサラは着替えている。いくら家族といえどさすがに異性の前で着替える子じゃないはずだ」
ぶつぶつと呟いている彼の脇腹にサラの人差し指がめりこむ。
「中年太りのお兄ちゃん、相談があるの」
「僕はまだ中年じゃないよ?!」
「あ、反応した」
兄を見てにんまりと笑みを浮かべるサラ。
クロード・ヒューズはその目を見て、ああ、また何かが起こってしまうのだと直観的に理解した。
科学者の直観は九割以上当たる。
そして当たる時はいつも、得体の知れない大きな力に突き動かされるようにそこへ向かわせられるのだ。
「その相談はこのドアの謎と繋がっているね?」
クロードが濡れ雑巾を片手に壁に向かう。
彼の部屋は西側の壁が一面黒板となっており思考の断片が書き込まれていたが、それをすべて拭き消す。
それが合図だった。
「さあ、僕の可愛い妹。今日は何を生み出そうか」
クロード・ヒューズ。
後に過熱感知式回路遮断装置を開発し多くの人の命を事故から守った彼は晩年、「僕が発案した中で最も素晴らしいものは僕の知る限り妹にしか再現できない」と語ったという。
サラの壁抜けは傍から見れば瞬間移動に見える。
しかしサラの感覚としては「ものすっごく速く移動しただけ」であり、瞬間移動とは言い難いという。
サラの相談とは、その不完全な瞬間移動を完全なものにしたいというものだった。
たしかにサラの移動速度は速い。
しかしそれと壁を構成する要素のもつ隙間を自分の体を要素に分解することで通り抜けるという芸当は全く別の技術であることをサラは気付いておらず、まずそこを詳しく突き詰める必要があった。
「これ、お兄ちゃんに教えてもらったことを信じてやってるから自分でもわからないんだよね」
その日6度目の壁抜けならぬ板抜けをしたサラは両手を握ったり開いたりしながら感覚を確認する。
板を中心に据えてサラが移動する様を観察していたクロードはふいに思いたち黒板の「分解→通過→再構成」の文字の「通過」を消した。
「サラのそれは通過は必須ではないよな。分解して再構成する、その要素があればいい」
「でも通過しなきゃ移動できないよ?」
「うん、でも通過は条件じゃない。移動結果が通過なんだよ」
クロードが黒板に横線を引き、左端に「スタート」、右端に「ゴール」とかく。
「普通の移動はこうだ」
横線の上をクロードの指がなぞる。
「線の移動。だから途中にある障害物を通過することになる。でもこれは付随的に生じた現象に過ぎない」
『瞬間移動とは、瞬時に離れた場所に移動することである』
クロードが黒板に書き付けた定義のうち「瞬時」に丸を打ち、「限界までゼロに近づくこと」と書き加える。
「移動を線で行う限り、絶対にゼロにはならない。それなら、点で行えばどうか」
クロードが机から紙を一枚取り、左端にインクの雫を落とす。
「現在地がこの黒いインク染みとして、この紙面上の任意の点に移動することを考える。その場合に」
クロードが紙を縦に折る。すると、インクが移り紙の右側にも染みができた。
「これが点の移動。通過をすることなく、任意の座標を指定してそこに移動する」
素晴らしい考えを思いついたといった様子のクロード。
しかしサラは首を横に振った。
「言いたいことはわかった。でも、それは無理だよ」
「なぜ」
「私にはその紙を……世界を折ることはできないから。そらに、もしそれをできるとしたら……いや、なんでもない」
「いいよ、言って」
口を閉ざしたサラにクロードが先を促す。
サラはどこか遠い目をして言った。
「その紙が世界すべてだとしたら、その紙は時間の流れも意味することになるよね。もし折れたとしたら私は、過去だけじゃなくてありえたはずの過去、到達する可能性のない未来に行けることになるよ。もしそれができたら、私は私でなくなると思う」
人はきっと、たくさんの経験や記憶、全てが合わさってその人になる。
でも、変えたい過去を変えてしまったら、今ここにいる自分は消えてしまうのだ。
神様はきっと人にそこまでの力を与えていない。
だって、もしも過去を変えられるのなら、神様は人を楽園から追放したりなんかしなかった。
過去を変えて、知恵の実を食べさせないようにすれば人を追放せずに済んだ。
でも神様はそうしなかった。
それはきっと、過去に起こったことも含めて全てが今その人をつくっているものだと認めたからだ。
だからそんな神様が人に過去に戻れるわざを与えるとはどうしても考えられなかった。
「でも、世界を折らない方法での移動は……分かったよ」
「えっ?」
「移動先の座標を決めて、分解して再構成する。お兄ちゃんの考えはそうだよね?」
「うん」
「じゃあ、分解して、移動先にある物を使って再構成すればいいよね」
「ん? それって同じ物質で出来た違うモノなんじゃないのか」
人はモノじゃない。双子でさえ成長と共に別の人格になるのに、同じ物質で作りあげたそれが元の人と同じ人格を持った同じ人間になるとは考えづらいとクロードは言う。
しかしサラはパウンドケーキを食べながら言った。
「人はこうやって物を食べて、吸収して、古い髪は抜けて新しいのが生えてきて、皮膚も入れ替わっていくよね。ただ生きてるだけの私たちだって、三ヵ月前とは全く別の構成要素でつくられてる。私は分解しても私を失わない。だから、瞬時に別の構成要素に切り替わっても多分、私は私でいられる、……と思う」
それに、この世界が繋がっている以上、どこで再構成したとしてもこの世界全体の要素の数は変わらないから問題ないよね。
サラはそう続けて、パウンドケーキを飲み下す。
クロードはしばらく目を瞑っていたが、ややあって目を開けた。
「サラはそれをやる気なんだね?」
「うん。そのためにお兄ちゃんに相談に来たんだから」
「じゃあ、お兄ちゃんと約束してくれるかな」
クロードは科学者としてではなく、サラの兄として約束を持ちかける。
サラはその約束が多分に過保護なものであるだろうことを予想しながらうなずく。
「瞬間移動先の座標はサラが自分の体で行ったことのある場所にすること。約束して」
「いいけど、どうして?」
「再構成のために意識が必要だとすると、おそらく移動先についての明確な認識が必要だと思うから。あとは、人が生存できない場所で再構成してその場で死なないため、かな」
意外とまっとうな理由にサラは右手を出す。
クロードはその手を強く握った。
「じゃ、実験しようか」
その日、二人は夜が更けるまで屋敷に戻ってこなかった。
夏の王城は暑い。
もちろん外に比べれば涼しいが、それでも落ちてくる汗には抗えない。
そしてそれは書類仕事をする者にインク滲みとの戦いを強いるものであり、大臣らの執務室を含め王城内の事務室は気だるい殺気に満ち満ちていた。
「セバスさんセバスさん」
「なんですか?」
「私、休暇前に比べてどこが変わったと思いますか?」
「そうですね……あ、夏服になりましたね」
「そうなんですよー。軽くて涼しいです」
殺気の中でものんきな会話ができるのは流石と言うべきか。
殺気の発生源である宰相は「おまえらうるさいぞ」と眉間のシワを深くする。
「宰相様、もしかして暑いですか?」
「当たり前だろう」
「じゃあ、そんなアナタにこちら! ヒエヒエ成分配合特製ミント水……の素!」
サラがエプロンのポケットから出したのは赤い液体。
それはサラが夜の目から譲り受けたヒエールカエルの毒を抽出したものだ。
サラの手によりミントの清涼感を加えられたそれは希釈率さえ間違えなければ快適な夏を過ごせる素敵グッズである。
「待て、ミントなのになんで赤色なんだ」
「職業上の秘密によりお答えできません。ちなみに宰相様はお酒とかお薬には強い方ですか?」
「んん? まあ弱くはないが……おい答えろ、おまえがそれを聞くってこたぁ」
「じゃあ、お作りしますね」
ミント水の素を数滴、水をティーカップ1杯。
くるくる混ぜれば完成だ。
「はい、どうぞ」
出来上がったそれは赤色の要素はまったくなく、ただの水に見える。
宰相はおそるおそるそれを口に含み、異変が起きないことを確認してからゆっくりと飲み進めた。
「なんだ、えらく薄いが酸味というか……爽やかな感じがするな。……ん? なんだこれ」
宰相がおでこに手をやると、溢れ続けていたはずの汗が止まり始めていた。
風邪の引き始めのような、うっすらとした寒気。
「おめぇ……盛りやがったな」
「否定はしませんが、お酒よりは安全ですよ」
主に毒を飲まされても平然と見守っているセバスはこの1年ですっかりサラの行動に慣れてしまっていて、あとで原材料を聞いておこうと心のメモに書き付ける。
宰相は執事であり信用する秘書であるセバスが何も言わないのをじとっとした目で見ると諦めたように書類に向かった。
「あとでセバスに作り方を教えてやってくれ」
「かしこまりました。貸し一つですね」
「この前食べたいって言ってた菓子を届けさせる」
「嬉しい! お待ちしております。っと、そろそろトーリ様が会議から戻られるので失礼いたします」
年季の入った懐中時計を確認したサラは言うが早いか忽然と姿を消す。
すぐそこなんだから歩いて行け! という宰相の声が廊下にまで響いたとか響かなかったとか。




