10 王子達は難アリです(白雪姫1/3)
サラの朝の仕事は他のどの仕事よりもシンプルだ。
王城に泊まり込んでいる主を可及的速やかに起床させ、予定の確認をした上で朝食へと向かわせる。
たったそれだけ。
しかし、もしそれを失敗すると……こうなるのである。
「サラー!!!」
ドンドンと叩かれるドア。
耳を塞ぎながら布団に潜ろうとするも、ドアの鍵がカチャリと音を立てて解錠され、
(ん? 解錠?)
「起きろサラ! トーリを起こしに行くぞ!」
ベッドにダイブしてきた我らが王国第一王子に押し潰される。
「お……重い……殿下……うぅ」
「ああ悪い悪い。でもこれくらい平気だろう?」
心のこもらない謝罪と共にサラから下りた王子は問答無用で掛け布団を引っぺがし、そこでぴたりと動きが止まった。
乱れた髪をシーツに散らすネグリジェ姿のサラ。
アイボリーのネグリジェは膝上までずり上がり、そこから柔らかそうな脚が伸びている。
細いふくらはぎ、小さな足。
そして丸襟のネグリジェからのぞく胸元は白く、腕の位置のせいか谷を生み出している。
見てはいけないものを見てしまった気がして戸惑う王子にサラは目を閉じたまま口を尖らせた。
「うぅ……寒いです……」
三月とは言えまだまだ朝は冷え込む王国。
体を丸めようと更に際どい体勢になるサラに王子は「すまない」と素直に布団を掛け直した。
「廊下にいる。百数えるまでに支度しろ」
パタン、と扉が閉まる音。
王子は確かに出ていったらしい、とサラはゆっくりと目を開ける。
ガンガンと叩きつけるような頭痛を堪えつつ布団の中の自分の寝姿を確認。
厚手のネグリジェに膝丈のドロワーズ。
見られてはいけないものは見せずに済んだはずだ。
「殿下、あといくつですか?」
「え? ああ、いま11だから、あと……91だ」
引き算が間違っていることは指摘しない。
少なくとも今の会話で数秒は猶予ができた。
サラは勢いよく立ち上がりメイド服に着替える。
枕元の洗面器に張った水が凍っていないことを確認してから顔を洗い、髪を整える。
「殿下ー?」
「なんだ?」
「あといくつですか?」
「いま83だから……20……違う、あと17だ」
「お見事です」
「そうだろう。えっと……84、85」
再度の時間稼ぎに成功。
軽く粉をはたいて唇と頬に色を乗せ、ベッドを整えて身支度は完成。
あとはドアの側で耳をすませ……
「98、99」
「お待たせいたしました、殿下」
「すごい、100ぴったりだ!」
カウントぴったりで登場して殿下を喜ばせればミッションコンプリートである。
サラの涙ぐましい子守はこれで4年目。
王子は先日成人の儀式を終えたはずだが、行動がまったくもって変わらないのが情けない。
もう18だぞわかってるのか、と首を絞めたい気持ちを抑えつつ、サラはにっこりと笑って王子のあとをついていく。
行き先はトーリの仮眠室だ。
「ところで殿下。私、今日はお休みをいただいていたはずなのですが気のせいでしたでしょうか」
「知らん。でもトーリが起きてこない時はサラを呼べって宰相が言ってたから良いだろう」
「理解致しました。貸し一つですね」
「菓子がいるのか? 後で届けさせよう」
「ありがとうございます」
なぜか棚ぼた的にお菓子を貰えることになったので宰相への報復は優しめにしておこう、とサラは一人で納得しつつ足を進める。
時折タライやお湯やタオルをピックアップし、王子に「朝の用意は色んなところから収穫しているのだな」ともう何度も聞いた感想を貰い、まるで初めて聞いたかのように「殿下はまた一つ賢くなられましたね」と言うのも忘れない。
妹の世話をしていた分、年下の面倒を見るのは得意なのだ。
「トーリ様、おはようございます」
そしていよいよやってきた主の部屋。
すやすやと気持ちよさそうに寝ている主を叩き起し、タライを差し出せばその顔がザブリとお湯につかった。
いつも通りだ。
「おいサラ」
「なんでしょう」
「トーリは自殺でもするつもりなのか」
「違いますよ、いつもこれです」
「そうか」
数秒待てばトーリはパシャリと顔を上げる。
「おはよう、サラ。……え、サラ?」
濡れそぼった金髪にタオルを当てたトーリは明るい空色の目を見開き、「どうして」と唇を動かす。
「お優しい殿下が起こしに来てくださいました。二日酔いが酷いので後ほど医務室で薬をいただこうと思います」
「すまない、僕の伝達ミスだ」
昨晩、サラが戦勝祝いとして半年間訓練を共にした兵達と酒杯を交わしていたことはトーリも知っており、今日は休みとすることを許可していた。
それに安心したサラは教官コールに応えてエールを飲み、仲間達と腕を交差して回りながら杯を空け、一人終わればもう一人と希望者全員と乾杯し続け、夜明け前にやっとこさ自室に帰ったのだった。
まさかその数時間後に叩き起こされるとは夢にも思わずに。
「貸し一つです」
ポケットから手帳を取り出したサラは今日の予定を告げ、王子を部屋の外に追い出す。
「待って、サラ。今日のチーフは何色がいいと思う?」
扉に向かっていたことが幸いし、サラの心底面倒臭そうな顔はトーリに見られずに済んだ。
「キュウリの酢漬けのような緑色がよろしいかと存じます」
「珍しく詳細な指定だね?」
「春の色でもございますね。失礼致します」
廊下に出たサラはしめしめとほくそ笑む。
ピクルス(酔いどれ)になった私に鞭打つような主はピクルス色になってしまえばいいんだ、というサラのちょっとした復讐は主に気付かれずに成し遂げられた。
夜の目を呼び出す方法には二種類ある。
一つは王が呼び出すこと。
もう一つは、王族専用の隠し通路のうち王の部屋の真上を通ることである。
以前それを偶然やらかしたサラはその場で消されそうになったのだが、それも今となっては良い思い出である。
そんなわけで。
「コノハさーん。メンフさーん。トラフさーん」
小声で呼びかけながら王の部屋の真上にきたサラは人の気配がないか耳をすませる。
物音はない。
しかし絶対に誰かがいるはずだとサラはもう一度呼び掛けながら待つ。
これは夜の目のうちサラを知らないメンバーに遭遇したときの為で、トップの名前を知っていることをアピールすることでうっかり存在を抹消されないようにするための自衛策である。
「レディ、いつもの場所に集合」
下から聞こえた声はコノハのもの。
王の部屋の真上にある隠し通路は二重底なのだろう。
サラは「わかりました」と言って最短距離でお茶会の広間へ向かう。
しかしそこには既にいつもの3人が集合していて、まだ制覇していない通路があるとサラは確信した。
「レディ、まだ昼前じゃない。いったいどうしたって言うの」
メンフは珍しく胸を潰した服装に身を包んでおり、化粧が違うのか清廉な空気を漂わせていた。
「半年間殿下の毒見代行をいただいたお礼が完成したのでお持ちしたんですよ。それと、こちらは殿下からです」
サラは小脇に抱えていた布袋から箱を2つ取り出す。
一つは大きめの箱で、中には紙に包まれた何かが沢山。
もう一つは小振りな箱でバターの香りが広がる焼き菓子だ。焼印には天然の城塞と呼ばれる修道院のシンボルマークが使われており、ブランド感を漂わせている。
「あら、このビスケット食べたかったのよー。潜入先では生地を混ぜるばっかりだから諦めてたのよね」
焼き菓子にメンフが食いつく。
清廉な空気は仕事の影響があったらしい。
「こちらの紙包みは茶葉です。1回分ずつ分けてあるのでそのままポットへどうぞ」
「へえ、効果は?」
小市民の少年といった格好のコノハが紙を開いて香りを確認する。
バラの花びらや薬草が交ざっていることからサラがブレンドしたものだろう。
「肩凝りと眼精疲労、美肌です」
「貰った」
「私も」
「え、僕も貰うからね?」
トラフを筆頭に三人が視線で遣り取りし、それぞれ紙包みをしまいこむ。
残った分は毒見に協力してくれた他の仲間に分配するらしい。
「それで、だ。今日は何しに来た?」
トラフがテーブルを前に木製の椅子に腰掛ける。
その正面に座るサラに残った二人がお茶の用意をしようとしたが、四十路男が普段と違う仕事モードを漂わせていることに気づき、二人も席についた。
「取引を」
「ほう。わかってるだろうが、仕事ならそれなりの対価を覚悟してもらうぞ。あと、こっちの主の命令と抵触するのも受けられない」
「わかっています。ですが後者については問題ないかと」
サラは真っ直ぐにトラフを見る。
「夜の目。コード、鳥籠。使用者、サラ・トーリ・ロバート・ケッテ。えっと……これしか聞いてないんですけど他に何か言うんですよね?」
「対象は?」
「対象は第二王子殿下でお願いします。欲しい情報は殿下の居場所とブランシュネージュについての一切です」
毒見後、二日酔いを治すために医務室に行ったサラは何者かに捕獲され、気付くと宰相の執務室にいた。
手荒な真似をしたことを謝罪する宰相がセバスに席を外させてまで告げたのが「第二王子殿下をとめてくれ」という指令。
その指令が王命によるものではなく宰相の独断であることを確認したサラは休日手当の要求と第一王子を部屋に差し向けた宰相の責任を追及し、交渉の結果引き出したのが夜の目を動かすための王の許可だった。
依頼内容を示すコードと、依頼が正式なものであることを示す暗号化の組み込まれた使用者名。
これらを手に入れればあとは対価交渉のみで私人でも夜の目を使うことが出来る。
サラは昔夜の目に聞いた「裏技」を最大限に活用してトラフに向かっていた。
「対価は今朝第一王子殿下に使われた毒品の産地。おまけとしてトーリ様の子ども時代のお写真をお付けしましょう」
「おまけの方が価値が高いな」
顔色を変えずに言うトラフにサラはくすりと笑う。
「客観的にはそうかもしれませんね。侯爵家の奥様は多過ぎるから好きなように処分して良いと仰っていましたが」
「贅沢……私も侯爵家にメイドしに行こうかしら……」
「しっ! 心の声漏れてるよ!」
メンフとコノハが小声でやりとりしている。
トラフはしばらく考えて、「第二王子殿下について今持ってる情報を言ってみろ」とサラを促す。
これが最後の詰めだ。
間違えないように、トラフたちに協力してもらうため最も効果的な情報を選び出す。
「第二王子殿下は死体愛好者でございます」
挑むように口角を上げたサラにトラフもニヤリとと笑う。
「良いだろう。交渉成立だ」
かたく握手を交わす二人。
サラと夜の目の初めての共同戦線が始まろうとしていた。




