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1 毒見は美味しい

 強くなりたかった。

 誰よりも、強く。

 強くなれば守れる気がした。

 守り抜きたかった。

 

 それがサラの目標であり、信念だった。



「おはようございます、トーリ様」


 ノックと共に扉を開け、お湯を張った洗面器を抱えてベッドへと近づく。

 ベッドの上の主はいつも通りゆっくりとまぶたをあげ、空色の目で天井を見た。


「お湯でございます」


 ごそりと起き上がる主にタオルと一緒に洗面器を差し出す。

 すると彼は。

 バシャリ。

 お湯の中に顔を突っ込んだ。

 それをサラは平然と受け止め、飛び跳ねたお湯をサラは予備のタオルでぬぐう。

 主が顔を上げるまで、数秒。

 しかし。


「トーリ様、生きていらっしゃいますか」


 一呼吸二呼吸、三呼吸すぎてまだ顔を上げてこない主に流石に心配になって声を掛ける。

 返事はない。

 むしろ、ぴくりともしない。


「と、トーリ様!!!!! 死なないで!!!!!!」


 不敬にも金色の髪をむんずと掴んで顔を上げさせる。

 ジャバリとお湯をまき散らしながら上がってきた顔を確認する。


「トーリ様、トーリ様?」


 何度か声を掛けるとようやく主は唇を開いた。


「あ……おはようサラ」


 顔もパジャマもべたべたに濡らしたトーリはゆるゆると微笑む。


「トーリ様……私てっきりお亡くなりになられたかと……!」


「勝手に殺さないように。そもそも、そのためにサラがいるんでしょう」


 受け取ったタオルで顔を拭き上げた二十代半ばの美丈夫。

 彼こそがトーリ・L・ディファイン、この国の宰相補佐官であり、サラの主である。


「もちろん、何があっても私がお守りいたします」


 目が覚めたらしい主にきりっと笑みを浮かべるサラ。

 ポケットから出した手帳に書かれた予定を読み上げれば、いつもの朝が始まる。

 サラはトーリの雇ったメイドであり、秘書である。

 でもそれだけではない。

 トーリの個人的な下使いの中で唯一、王城勤務における側仕えを許された存在なのだ。

 だからこそ。


「トーリ! 朝餉いっしょに食べるぞ! サラも来い!」


 こうやってトーリに与えられた仮眠室に飛び込んでくる第一王子の相手もサラの仕事なのである。


「殿下、トーリ様はお召しかえもまだでございますれば、ひととき私とお話しをしていただけませんか」


 自室を抜け出して来たのであろう十代半ばの王子にそう言って退出を促す。

 王子は「早く来いよ」とトーリに呼びかけ、素直にサラに従う。


「本日は青いチーフが宜しいかと存じます」


 そう言ってお辞儀をして出ていくサラを見送り、トーリはベッドから降りた。

 今日の会議はきな臭さ漂う国境問題が議題だったか。

 いつもの大臣らに加えて辺境伯が多く参加すると言っていた。

 青いチーフを勧めるということは、良くも悪くも無難な補佐官というイメージを演出するべきというアドバイスなのだろう。

 サラはまだ20歳になるかどうかだったはずだ。

 トーリに仕えて2年、いったいどこでこういう技を学んで来たのだろうか。

 トーリは不思議に思いながらも青いチーフを手に取った。



「いただきます」


 きらびやかな食堂に響くサラの声。

 ひときわ大きなテーブルに一人で座る王子、その脇のテーブルにつくトーリ、その横の更に小さなテーブルにつくサラ、壁際に控える侍女たち。

 同じテーブルにはつかないながらも王子がトーリと食事を共にすることはままある。

 それはトーリが宰相以上に王城に寝泊りしているということも理由の一つではあるのだが、その最たる理由はサラにあった。


「どうだ?」


「王子、まだ早うございます」


「俺は空腹だ」


「わたくしもです」


 そんな王子とトーリの会話を前に、サラは朝餉の盛られた皿から一口ずつおかずを取って食べていく。

 カチャリ。もぐもぐ。ごくん。

 チキンとトマトソースが美味しい。

 カチャリ。もぐ……ん、


「さ、サラ、どうした?」


「た……玉子がふわふわで美味しゅうございます……」


「それは良かったな。……って早く毒見を終わらせろ! 俺はもう我慢出来んぞ!」


「そちらのサラダとスープは大丈夫です。チキンとこちらの玉子はもう少々お待ちを」


 サラの指示に従って侍女がサラダとスープを王子の前に配膳する。そして同じようにをトーリにも。


「パンはどうだ」


「バターの香りが濃厚で外はパリッと中はふんわりでございます」


「味の話はしてない!」


「食べすぎると吹き出物が出そうなので気をつけてください」


「なるほど……ってそうじゃなくてな」


「パンも大丈夫です。チキンも玉子も。あとはこちらのデザートですが……」


 赤い果実の入ったゼリー。

 くん、と香りを嗅いでサラは真剣な顔をする。

 果実を口に含み舌で潰すように味わい、ついでに種を割って味を確認すると、予想通りと言った表情で顔を上げた。


「甘みのある南国の果物でございますね」


「へえ。楽しみだ。早くこちらへ」


「いけません」


「なぜ」


「召し上がりますと、拍動が弱く遅くなり、そうでないとしても下痢と嘔吐で苦しい思いをなさいますよ」


「毒じゃないか!」


「そうでございますね」


 平然と、いやどこか楽しげにゼリーを食べ続けるサラ。


「そろそろやめときなさい。毒なんでしょう?」


「ええ。私、お腹は強い方なのですが心臓はあまり強くなくて。面白いですね、鼓動が遅くなってゆくというのは。なんだか息苦しくさえ感じます」


「サラ。没収」


 制止を聞かないサラからデザートを取り上げたトーリはすぐさま処分するように侍女に命じる。そしてサラにも。


「食後のコーヒーの前に一度味覚をリセットしてきて」


「かしこまりました」


 席を立つサラを見送ると王子は「相変わらず優秀な毒見役だな」と笑う。

 しかしそれにトーリは首を左右に振った。


「あれはわざと毒を楽しんでおりました。無駄に生命を危険にさらすのではまだまだです」


「そうか? まあ確かに毒だって分かってからも食べ続けてはいたが」


「それだけではありません。わざわざ種を歯で噛み砕き、毒性の強い部分を食していたのです。これで体調を崩して仕事に穴を空けられたらと思うと、心穏やかではいられないのですよ、殿下」


 青息吐息といった様子の若き宰相補佐官に王子は楽しげに目を細める。


「俺はおまえのその顔が見られて楽しいよ。ねえ、『冷血の悪魔』ことトーリ宰相補佐官?」


「それは宰相の二つ名であってわたくしのものでは」


「おや、知らないのかい? 宰相は今や『凍血の魔神』と呼ばれているよ。君は次期宰相として昔の彼の二つ名を継いだ者と看做されている。その理由はわかっているだろう?」


「殿下こそ……っ何事だ?!」


 部屋の外でドタンと鈍い音がした。

 何か重量のあるものが床に落ちたような、王城の中で聞こえるはずのない音。

 すぐさま王子を守るように動いたトーリは警戒したまま扉を睨む。


「衛兵さーん、いませんかー? んー、みんな朝ごはんかなぁ……。衛兵さーん!」


 扉の外から聞こえる間延びした声。

 それは先ほど退出させたサラの声だった。


「なにごとだ?」


 扉の外に聞こえるよう叫べば、無事サラの耳に届いたようで。


「トーリ様、ちょっと大きなお荷物ができてしまいまして、御手数ですが人を呼んでいただけないでしょうか」


「わかった」


 大きな荷物が物ではないであろうことを察し、トーリは部屋の隅の呼び紐を引く。

 今頃、警備室と外壁で鐘が鳴っていることだろう。


「今日のお間抜けさんはなんだと思う?」


「それは間もなくおわかりになりますよ」


 扉の向こうで男の声と共に「よろしくお願いします」とサラの声がする。

 数秒後、ゆっくりとサラが扉を開けた。胸元に押し抱くように何かを両手で包んでいる。


「トーリ様、先程の収穫を献上しますことをお許しください」


「許す」


 サラから受け取ったハンカチ。

 そこには王弟派貴族の一門に属する家の紋章が小さく刻まれていた。

 現王には第一王子の他に15歳の第二王子がいる。

 しかし第二王子は体が弱く、離宮にこもりきりで先は長くないとも言われて久しい。

 そのため、現王と第一位王位継承者である第一王子が命を落とせば、第三位王位継承者であり王子の叔父である王弟が第二王子の摂政として国を握ることになるというのが王弟派の見立てだった。


「ゼリーが殿下のお口にあったか気になったのでしょう、聞き耳を立てていらっしゃったのでお話をさせていただいたところ、少々大きく動かれましたので思わず投げて絞めあげてしまいました」


「なるほど。殿下、詳しいことはのちほど」


 王子は頷くと侍女にコーヒーを持ってこさせる。

 サラはそれを匙で1口飲むと、渋い顔をした。


「まさかそれも」


「いいえ殿下、この顔は」


「苦いです……」


 毒の味はわかるくせにコーヒーの味はわからないのか。

 王子とトーリは顔を見合わせ、食後のコーヒーを味わう。

 酸味混じりの苦味は、毒と分かっていながらゼリーを食べ続けてしまうような子供舌にはまだ早かったのだろう。

 二人の生暖かい視線にうつむくサラに、王子はくすりと笑う。


「褒美にあとで焼き菓子を届けさせよう。好きだろう?」


 ガバッ

 勢いよく顔を上げるサラ。

 その目はキラキラと輝き、口角が限界まで持ち上がっている。


「ありがとうございます、殿下」


 普段は口に出来ない果実に加えて焼き菓子まで食べられるとは。

 今日は良い日になりそうだとサラは幸せそうに目を細めた。


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