新曲で苦労する
香澄さんとフェリックスは、家が決まり引っ越していった。カイトはコンクールの曲の練習で苦労してます。
それからの香澄さんは、クラウスとの外出が多くなった。家を探すためだ。離婚の正式手続きは、まだ終わってないけれど、香澄さんとフェリックス君がミュンヘンに住む事は確定なんだな。
ドイツでは不動産屋を使うより、友人の紹介や新聞広告を見て、家賃やいろんな条件などは、本人が交渉するそうだ。家具付きの部屋・家が多いのが特徴なんだと、哲太が前に言ってた。彼は結局、部屋が見つからず、苦労してシェアハウスで、住むところを確保したんだっけ。
その日は、クラウスが休日で、珍しく朝、起きて来た。(クラウスは休日の前には飲みに出かけて、次の日の朝は二日酔いで午前中寝てる事が多い)
「おはようございます。コーヒー飲みますか?」
「ああ、ありがとう。今日は午前中、ウチの金管アンサンブル・フロイデの打ち合わせと練習があるんで、音楽室は使えない。悪いな。コンクールも近いのに。」
彼にコーヒーを渡し、俺はつくづく顔を見た。休日の午前中から練習、内々のアンサンブルで。なにか悪いものでも食べたか、何かの罰ゲームなんだろうか?
クラウスは、休日は休んでダラダラしてる事も多い(但し、音階練習だけはしてる)。いつも、仕事=練習→本番 の繰り返しだ。休日は、ノンビリしだいだろう。
「師匠、どうしたんすか?朝っぱらから。らしくないっすね。」
「ったく、私をなんだと思ってるんだか。9月からフェリックスが学校に通うし、別居することになるじゃないか。稼がないといけない。ま、可愛い息子のためと思えば、楽しいけど。」
確かに、香澄さんとフェリックス君が帰ってきてからは、家計的に若干支出が多くなったそうだ。それでも別に暮らすとなると、当然、段違いにお金がかかる。家賃に食費、光熱費などの生活費。香澄さんは、今、職業訓練に通ってるそうだ。仕事を見つけるためだ。もちろん養育費は当然、クラウスが払う。ただ、二人合わせての生活費も、ドイツでは、それまで経済の面で生計をささえてた人が払うそうだ。
このへんのドイツでの法律事情はこの間、香澄さんが教えてくれた。”私、なるべくクラウスのお金は欲しくないのよ。”とつけくわえながら。
「香澄さん、この間から職業訓練に通ってるって。彼女が働いて生計をたてるんですよね?」
クラウスは、”しょうがないな”って顔で
「カイト、香澄はドイツに来て、10年。言語にあまり不自由はないとはいえ、持ってる資格は何もないんだよ。大学生の時はプロのチェリストを目指してたからね。資格なんて考えてなかったろう。そんな彼女が、少しだけの職業訓練で、子供を養うだけの給料をくれる所に就職できるとは、思わないね。おそらく自分ひとり食べていくだけでも、かなり厳しいだろう。だから私はフロイデで頑張らないと。」
「だから、なぜフロイデ?」
あれはうちうちの、アンサンブルで臨時結成されたものじゃなかったっけ?
「だから、そのフロイデを正式なグループとして、デビューさせるんだ。オケのヒマな時、もしくは休暇の時を使って、演奏旅行も考えてる。活動計画はこれからたてるけど、最初はフェリックスの小遣い程度しか収入はないかもしれない。午前中はフロイデの練習の見学sててもいいぞ。」
やっと話しがみえた。”カイト、フロイデの連中が9時にくるから、コーヒーよろしくな。”
の言葉を残し、クラウスは音楽室に入ってった。
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コーヒーを出した後、ちょっとだけ掃除した。洗濯(もちろん自分の分だけ)は、午後にするかな。自室に戻り、コンクールの課題の”新曲”の楽譜を見てた。いや見たってしょうがないのだけど。演奏方法はOKだ。作曲者のどんな要望にも答えよう。でも、曲想がつかめない。
最初は、分散和音(しかも不協和音だ)のスタッカート。時々、短い休符が入るので油断できない。テンポはアレグロ。つぎはうってかわって、静かな曲想、同じ音が長くしかもPで続く。時々、お椀型のミュートで、ホワンホワンと音を出すところもある。最後はまたアレグロに戻って、音階、超高速。しかもスタッカート。
アレグロの部分だけなら、練習曲にも思える。中間部がわからない。ハーフバルブで高い音を出さないといけない、それもPで。最初からハイトーンの音を指定すればいいのに。
結論として、俺はこの曲の真ん中が大嫌いなのだ。気味が悪いんだ。
楽譜を見てため息つきながら、その部分の練習にとりかかった。嫌いな所ほど、何度も練習しないと会得できない。
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すっかり新曲で打ちひしがれた俺だけど、音楽室でのフロイデの練習を聞いて、パワーがもどった。
「やあ、カイト。クラウスを借り申し訳ない。練習といっても、春に教会巡りでボラティアコンサートしただろ?あの時の曲のブラッシュアップをしてるんだ。本格的な金管四重奏の曲は、今、曲を選定中。」
ホルンのフランクが声を楽し気に声をかけてきた。
「まあな、これだったら、練習済みでもあるし、問題は新曲だな。まず、何を演奏するかでもめそうだけど、とりあえず、今年のクリスマスがデビューになりそうだよ」
チューバのユンディが、話しに入ってきた所で、4人と俺で金管アンサンブルあれこれの話しになった。仕事にはあまり関係ないけど、こういうのは楽しい。金管用でなくても、例えば、ホルストの惑星なんかも金管アンサンブルに編曲できちゃう。
ただ、バイエルンオケの奏者でさえ、アンサンブルとして独立していくのは、無理なんだそうだ。理由は他にグループが山ほどいるから。やっぱりヨーロッパーはクラッシック音楽の層があつい。聴衆も日本に比べるとかなり多いようだけど。
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数日して、香澄さんの部屋が決まり、引っ越しすることになった。シングルマザーが多いアパートで、家具付き。俺とクラウスは、香澄さんに付き合い、その他、必要な生活用品を買いにつきあわされた。フェリックスと二人だけだけど、洗剤から食器、フェリックスの衣類にいたるまで、結構な買い物になった。大物はTV。TVは前の住人の私物だったようだ。
二人を送り出し、引っ越し祝いをした後、クラウスは家に帰って、落ち込んでた。いや、寂しがってたのかな。そりゃそだな。愛する息子がいない夜だから。俺も寂しい。なんのかんのいっ
て、俺とフェリックスはいい友達。絵本も一緒に読んだ仲だ。
予想通り、クラウスはその夜泥酔し、次は今までで一番ひどい二日酔いで、午前中欠勤した。
表向きは、コンクールを控えた俺への特訓ということにしたけど。
フェリックスなしの生活は、クラウスは三日持たなかった。帰りが遅いと思ったら、香澄さん親子の住む家により、さっさと帰されてきた。
クラウスは”父親としてもっとフェリックスと一緒にいたい。カイトも一緒に行ってくれ”と訴えてきたが、俺もコンクールに集中したいので、さすがに丁寧にお断り。俺はエドとの合わせ練習もふやし練習時間もふえた。
ただ課題の新曲だけは、ももどかしいくらい進まなかった。
週一更新 土曜深夜(日曜の午前2時すぎ)