本番!一か八かの勝負
いよいよ本番、海人は指揮者といきがあってないクラリスの事が気がかりです。
白い肌、薄桃の頬、栗色の髪の毛が、俺の胸にあたった。正直、抱きしめたいほど可愛い。
ピアノを弾いてる時のクラリスは、別人だ。こんなに可愛いとは知らなかった。
それにしても、困った。彼女がセリナちゃんなら思い切り抱きしめるとこだったろう。危ない、危ない。俺は、泣いてるクラリスの肩を両手でつかんで、はがした。このままじゃ、間違いなく演奏会は失敗に終わる。
「ほら、行こう。弦楽パートも指揮者も待ってる。涙を吹いて。」
彼女は、まだグズグズ泣いてる。”・・やっと出来たのに余裕なかった・・・”
あーあ、クラリスが日本人ならもっと楽だったろうに。泣きながら話されても、聞き取れない。
少しすると、やっと彼女は落ち着いてきた。涙も止まったようだ。俺は一人で舞台に戻っていくと、彼女は俺の後をシオシオとついてくてる。ピアノの前にくると、弦楽の人達と指揮者に謝った。
「練習を放り出して、すみませんでした。1楽章は、私は少し浮かれてました。マエストロ・バウマン、1楽章だけもう一度通してお願いします。」
彼女は演奏の方針については、謝ってない気がしたが、そこは老練の指揮者・バウマン氏。眉を片方だけ釣り上げただけで終わりだった。
「はい、弦楽とペット奏者に注意事項です。ピアニストが1楽章で目指してる音楽は、わかったでしょう。私は彼女の意見を出来るだけ尊重します。テンポや曲想の変わると処では気を付けて下さい。クラリス、君のやりたい事はわかったけど、このままでは自滅する。」
その”自滅”という不吉な言葉も、俺も勘弁してほしい。心にささる。確かにさっきの演奏ではその通りになったのだけれど。
「合奏の処では、私や弦楽を置いて行かないでね。」
ウィンクした指揮者のジョーク(なのか?)微妙に口調が優し気だったけど、弦楽パートは、この言葉に大うけ、場の変な緊張感は、なくなった。これも指揮者の仕事なのだろうか。
その後、しばらく1楽章の練習が続いた。指揮者は、彼女に丁度良い(後で演奏が崩壊しない)テンポを探りながら、要所、要所ででクラリスと打ち合わせしながらやった。他の楽章は、さらう事がなく時間切れになった。後半のプログラムのチャイコフスキー、バイオリン協奏曲を練習する時間になったからだ。
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本番1時間前の控室で、俺は去年のコンクールの事を思い出した。本番で、ピアノのふめくりで健人が遅刻してきたんだっけ。あの時は、アセったけど、今回は困った。年下の女子の扱いって難しい、それほど親しくなってないせいかな。
おっと、俺は本番前の最後の練習を、慎重に進めているんだった。いかんな、よそ事を考えるのは集中力が足らないせいだ。いや、今から集中するより、もうちょっと後のほうがいいのか?
「カイト、バーガー、食べるかい?」
ええと、確か第二バイオリン首席さんの隣の席の人。口から楽器をはずし、ちょっと考えた。夕食は食べたけどやっぱり緊張してるせいで、半分もはいらなかった。20分程度の曲で、ペットパートは休みが多いとはいえ、このままだと、エネルギー不足で、途中で失速するかもしれない。
「いただきます。ありがとうございます。ええと・・」
「エルンスト、第二のトップ横にいる。今日は頑張ろうぜ。それにしても、どうやってあのフロイラインを、説得したんだい?もう俺はあの退場騒ぎで、今日の本番はピアニストなしになるかと、思ったぞ。ははは」
俺は説得した訳じゃない。俺なんかがピアニストに何かいうのは、さしでがましいってもんだ。てか、クラリスは、半分は学生だという事を、思い知らされた。エルンストには、正直に事の次第を話した。何を想像してたんだ?まったく。
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本番のベルと同時に、ステージの扉が開かれた。ピアニスト、俺、少し遅れて指揮者の順でステージに立った。満席だけれども、それほど大きなホールでもないので、聴衆は1000人もいない。軽くお辞儀をして顔を上げた瞬間、拍手にのぼせたのか、体がカーっと暑くなった。
大丈夫だ俺。やれるだけの練習はやった。あとは演奏するだけ。ソロでもイスがあるので着席し、楽譜を確認(ピアノと合わせるのにも、どうしても必要だった)。
1楽章は、ピアノの高音のアルペジオで始まり、最後の音に俺が合わせる。このくらいなら、なんとかなる。それからピアノソナタ”熱情”のような、始まり。ピアノの低音が不気味に続く。
クラリスは、1楽章にこだわったわりに、本番では、それほどテンポは上げなかった。リハーサルの時のように、自分の感情にのまれて一人演奏にはならなかった。ちゃんとオケの音を聞いてるし、指揮者とアイサインをとってる。
ああよかった。ショスタコービッチの主張がなんとか出てると思う。まあ、確かに聞いてきた演奏の中では、テンポは遅いほうだ。一方、クラリスのリズムは、鋭かった。これは再度やった時に弦楽も俺も指揮者も心得てるので、彼女に合わせる事が出来た。
2,3楽章は、ピアノの旋律が美しい。俺は、ミュートをつけて、遠くから聞こえる歌のように演奏した。きわめて平静に顔は無表情になるよう努力。でも心は、”こういう処でイージーミスをすると大恥”という悪魔のささやきを、なんとか聞かないよう必死だった。思い込んだら、マジでミスする。これ音楽家の共通のジンクスじゃねえかと思う。
俺のこの旋律は、ただひたすらクラリスにささげた。”彼女がどうかこのまま冷静で、4楽章も弾けますように”と
俺の願いは叶わなかった。4楽章は、珍しく俺のソロがあった。ノンビリとした旋律は、ピアノの不協和音の強打で終わる。それからが失敗した部分だ。テンポをあげていくけど、プレストに入る前にテンポがあがってしまった。結局、プレストの部分は、プレストより速い演奏。誰が困るって俺も困ったけど、一番、ピアニストが困るんだ。曲も一番盛り上がる処で、ピアノは難しい(手の動きをみれば俺でもわかった)
なんとか運よく演奏事故にならずに、最後まで逃げきった。曲が終わった途端、俺は、冷や汗でビッショリだったのに気づいた。聴衆には受けていたが、中には苦笑いしてる人も、ステージ上から見えてしまった。
だよな、最後のほうは、ピアノは結構乱暴な演奏だった。
舞台袖に引っ込んで、クラリスは、ションボリしてた。ま、泣いてないだけけまし。
「やってしまいました。1楽章は上手くいったのに、4楽章ではつい調子にのりすぎました」
「はは、共同責任さ。お互い自分で自分の首をしめるまで、テンポアップした。指揮者さんには、感謝のしようもないくらいだね。彼でなければ、崩壊してた。」
俺の言葉に彼女は、ぎこちなく笑った。よし、笑えるくらい冷静に自分を見る事が出来たのは、昨日のリハに比べると、格段の進歩だ。俺もな。
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建物内の小ホールで、立食形式の軽い打ち上げパーティーがあった。このオケに出資してくれるスポンサーや、協賛してくれた組織のお偉いさん方へのおもてなしを兼ねてかな。
俺はアドルフとエルンストの二人から、さんざんクラリスとの事をからかわれた。
「日本人男性って、気が利かないとか、女性に優しくないって聞いてたけど、例外もいるんだな~。カイトの早業には恐れ入ったね。」
「いえ、エルンストさん、日本人男性は今は大抵は優しい人ばかりですよ。草食動物とかいわれてますし。」
俺はあの時、どうすればよかった?俺はてっきり指揮者かコンマスがなだめてくれて、4人で一緒に戻るというつもりでいたんだ。
憮然としてると、ちょうどクラリスがやってきた。疲れたので早めに滞在させてもらってる家に戻るそうだ。アドルフとエルンストはニヤニヤしながら、何かを期待した目で、俺たちを見てる。ったく。
「カイト、今回は、私、とても反省したし勉強にもなったわ。あなたにも迷惑かけっぱなし。でも、ありがとう。おかげで、あの時立ち直る事が出来たわ。お友達になってくれるとうれしい。」
「いや、君はもともと、強い意志があったから、立直れたんだ。」
あそこで、キチっと謝る事が出来たから、彼女は練習を続行できたはず。それは彼女の強さだ。俺があの立場だとして...その前に、あそこまで指揮者とぶつかる事が出来るかどうかだ。
そっちのほうが、大問題だ。
「ベルリンに来る事があったら、メール下さい。待ってます。」
可愛いな、妹にしたい。俺の妹とは(ウチのはバリバリのスポーツガール、筋肉少女だ。)大違いだ。あの二人組が、何が言いたそうにしてたけど、マエストロ・バウマンが、やってきて、人ごみが、サっとひらき道が出来た。
「やあ、カイト。君の演奏もなかなか良かったよ。でも4楽章の、A(ラの音)の速いリズム打ちところは、いろんな音色が出せるようになるといい。クラリスの音は、あのとおりきついリズムだったから、君の鋭いタンギングでよかったけどね。指揮者によっては、違う要求をする時もある。」
ああ、あそこは、俺は自信があったんだけど、さっそく言われたよ。ありがたい事だ。でも、ちょっとヘコみたい。
”ごめん、急いでクラリスにもアドバイスしないと。クラリ~ス!” とバウマン氏は、帰りかける彼女を、急いで追っていった。
バウマンさん。1楽章リハで対立したのに、クラリスがお気に入りだったんだ。顔がニヤけてるのは、外人でもわかるもんだ。
週一で更新します。月曜の深夜までには・・^^;;




