ショスタコービッチ ピアノ協奏曲1番 初練習
球な代役で、演奏を引き受けた海人。後、本番まで3週間。そしてはじめての合わせの練習の時、ピアニストは遅刻。どうも前途多難な予感。
ショスタコービッチのピアノ協奏曲第一番は、正しくは、「ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲」だ。ただ、トランペットが殆ど、合いの手のような旋律が多く、主旋律が殆どないため、今ではピアノ協奏曲に分類されている。
俺が、フランクフルトのクラナッハ管弦楽団から演奏依頼を受けた曲だ。
曲は知ってるし、大学生の時、さんざん練習してる。ただし、独奏でのレッスンが多かった。
伴奏の栄浦先生は、”難しすぎ。アクロバットのようなこの曲は弾けないです”と言われ、簡易版で編曲してもらい、それでレッスンしただけだ。
主旋律を演奏するなら大丈夫、伴奏系なら大学オケでの経験でなんとかなる。でもショスタコのこの協奏曲は、”わきからチャチャをいれる”ような箇所も多く、面倒と言えば面倒。
先生から言われた時には、嬉しいけれど、”あと本番まで1か月しかないので無理か”と不安になった。夕食後すぐに、部屋で楽譜探し。確か日本から持って来てるはずと思って、自分の部屋の楽譜の山を、かたっぱしから探してみた。
あせってる俺が、よっぽど珍しかったのだろう。フェリックスが、一緒になって楽譜を出したり捲ったり、本人は真面目に手伝ってるのだろう。まだ字があまり読めない彼は、楽譜を見て、”これなんて読むの?”と 作曲者の名前や曲名とか聞いて来る。
結局、フェリックスの勉強会のようになってしまった。そのうち疲れたのか俺のベッドで寝てしまった。これじゃ、ガサゴソできないや。彼が熟睡するまで俺も休憩。それにやっぱ楽譜見当たらない。俺としたことが...。
コーヒーを飲みに行こうと立ち上がった時、小さなノックの音。香澄さんがフェリックスを連れに来た?と思ったら、クラウス先生だった。片手には分厚いスコア(指揮者用)と、その上の薄いピース。
「前にオケで演奏した事ある。その時、ソロを演奏した。必要なら貸す。ただ、ソロ用の楽譜は、向こうから送られてくるだろう。それまでは、俺の使ったので練習だ。」
これほどクラウス先生様様とあがめた事はなかった。先生はフェリックスを抱いて連れていった。さて練習と思ったら、もう午前0時。さすがに明日の仕事にひびくので、その夜は、CD聞きながら、スコアで勉強するだけだった。そしてそのまま、爆睡してしまった。
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その次の日から、夜は、都合のつくかぎりクラウス先生は、俺にビッシリレッスンしてくれた。前は週に1回くらいだったのを、週3回に。
クラナッハ楽団の演奏会の他に、俺はミュンヘン国際音楽コンクールにエントリーしてる。1次予選は通過したので、2次、3次、本選の曲と練習する曲が山とあり、忙しい。ああどうするべ。
演奏会の本番は、8月1日土曜。実質、3週間だ。信じられない。ソリストがドタキャンしたなら、他に”この曲の演奏経験のある奏者”を探せばよかったじゃないか。なぜ、俺なんだ、これじゃ博打だ。
明日はフランクフルトで初合わせという前の日、クラウス先生は、内情を打ち明けてくれた。
「大学でしっかり練習してきたのはわかる。ちょっと日程はキツイけど、カイトなら大丈夫だ。あとは、合わせでの練習でどこまで出来るかだな。正直な所、クラナッハ管弦楽団は貧乏楽団で、ギャラの高いソリストはよべないそうなんだ。それで、”新人演奏会と称して、音大在学中や、卒業したばかりで、そこそこの実績がある奏者を毎年よんで、協奏曲のプログラムを組んでるそうだ。土壇場でキャンセルしたのは、ベルリン音大の子で、交通事故に巻き込まれて、腰の骨を折る重傷で2か月は養生が必要だそうだ。不運な人もいるもんだな。」
それはなんとも不運な。代わりの俺も幸運なんだか、練習が間に合わなくて失敗したら、不運どころか、悲劇だ。あ。もし、俺も交通事故に合ったら、呪われた協奏曲とかいわれるかも。
「回って来たチャンスなんだから、120㌫やりきります。先生が俺を推薦してくれたんですか?」
「いや、俺は知らんかった。さっきの話しも、依頼を受けた時に聞いた話しだ。なんだか向こうの事務局の知り合いが、君を紹介してくれたらしい。」
なんか、ますます謎。
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フランクフルトのクラナッハ楽団の練習場は、かなり駅より郊外にあり、建物はボロボロだった。日本の”市民会館”を思い出した。しかも専用ではないらしく、他の団体に貸している。今日も4時まで他の団体が使っていた。管理費の足しするのだろうか。練習は、初顔あわせというのに、時間どうりに始まらなかった。前の団体が終わるのが遅かったからだ。
舞台で俺が事務長さんと指揮者とコンマスに挨拶してると、下手から太ったおばちゃんが、やってきて、俺の手をしっかり握った。
「ありがとう。カイト・新藤。今回のお願い、聞いてくれて嬉しいわ。この間のコンクールの時、あなたの事、すごいと思ったのよ。」
あ、思い出した。このおばさん、ベルリン郊外のノイルリッツっていう田舎でのコンクールの審査員の中にいた。えっと名前は・・覚えてない。
「あの時は、ご苦労をおかけしました。今回は、呼んでいただいてありがとうございます。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします。」
俺はおばさんに深々と頭を下げた。コンクールは1週間、大変だったのは、コンテスタントも審査員も同じ。むしろ、休日があるとはいえ、一日中、トランペットの音を聞いて、(しかも同じ曲だ)審査するのは、大変だったろうと思う。
周りがざわざわしだした。団員がやっと集まって来た。みんな興味深そうに俺の事を見てる気がする。ピアニストはまだ来てない。
4時集合で4時半になってもピアニストは来なかった。仕方なしに、ピアノなしで指揮者と俺とコンマスは打ち合わせしながら、曲の練習に入った。
「ここのところは、ピアノを追い立てるように、鋭いピッチカートがほしいけど、テンポはあげないでね。新人コンサートだし、きっと緊張してる。」
1回軽く曲を通して弾いたあとぐらいに、やっとピアニストがきた。
「ご、ごめんなさい。反対方向のバスにのっちゃって、戻ろうと思ってまた違う方向で、結局迷子になって。遅くなって本当にごめんなさい。」
ハーハー息を切らしてる。バス停から走ってきたのだろう。ただ彼女の言い訳が、かわいいのか、おバカなのだか、団員が笑ってる。迷子で無罪ってとこか
「はいはい、クラリスちゃんだっけ。落ち着いて、落ち着いて。はい、息を吸ってはいて。」
コンマスが、声をかけた。コンマスは気さくな人のようだ。助かった。俺にも本番前にやってほしい。きっと緊張してる。
「クラリス・フォン・リッターマイヤーです。本当に遅れてすみませんでした」
栗毛のセミロング。ドイツ人にしては小柄。声がかわいい。妹にしたいタイプだな。これはなんとしても、足だけはひっぱらないように。
クラリスちゃんを入れて、曲の練習が始まった。この曲の最初の音は、C、つまりドの音だ。
出だしは、俺でも知ってるベートーヴェンのソナタ”熱情”の冒頭とよく似てる。
この曲は、なんというか、ころころ和音もリズムも曲の雰囲気も変わる。それに上手く乗れるかどうか。今のところ、ピアノは安全運転でゆっくりめだ。指揮者の指示どおりに弾いてる。
でもなんか、俺は不安な気がした。俺じゃなくピアニストのクラリスちゃんに。彼女はとても真面目でひたむき。もしかして本番でキレるかもしれない。というのは、ゆっくりめの演奏がもどかしいとう表情をした。特にテンポの速い4楽章で。
土曜日深夜(日曜日午前1時~2時)に更新。 週一のペースです。




