マーラー交響曲1番の練習を見学。
土曜日深夜(午前1時~2時)に更新します。週一のペース。
ここ最近、更新時間が遅くなってすみません、((+_+)
気ままなオルガニスト・青井 優は、ミュンヘンから日本へ帰って行った。少し羨ましい。彼はバッハコンクール優勝という金看板を持ち、小規模ながらコンサートもドイツで開いた。キャリアもついた所での凱旋帰国だ。俺もこうなりたい。後に続きたいもんだ。
俺は優のいる間”割と長い時間の日本語での会話”が出来て、少し気持ちが軽くなった気がする。それは香澄さんも同じのようで、今朝は、機嫌がいい。いつも朝は弱いとかで、ボーッとしがちだけど、鼻歌まじりにフェリックスの面倒をみたり家事をしてる。本当は日本に帰るほうが彼女にはいいんじゃないか?
今日はオケの練習日。クラウスの車に同乗して職場(オケの事務局)へ行く。先生から、度々、運転をするよう言われるけど、無理だから。俺は殆どペーパードライバー。車を運転したのは、父さんの車を借りた時ぐらいだし。
「今日、仕事の合間を見て練習を見学していいですか?」
「そういう事は事務局長へ言っておけ。ま、海人には大した仕事はないはずだがな。」
事実だけど、ちょっと悔しい。それって、”使えない奴”って、公式認定されてるって事。
これでも、会話も文章読解も、高校の時、追試の前ぐらいに、必死になって勉強してる。文章読解はいい。新聞・雑誌、最優先は事務局にある書類で、いらなくなったのをもらい教材にしてる。会話のほうは、いまいちだ。コンクールの時は、英語交じり。これはまずい。ミュンヘンについた当初は、語学学校へ通っていたけど、コンクールの練習とかで忙しくなり、2か月しか通わなかった。
「海人、聞こえてるか?」
「はぁ?」
「聞いてなかったな。日本人女性は、ほぼ初対面に近い男性にも、笑顔で話すのか?」
ああ、香澄さんの事か。彼女と優が日本語で楽しそうに話してるのを、クラウスは不機嫌な顔で見てたっけ。確かに日本女性の男性への笑顔対応は、欧米人には、”オレに気がある”と思われがちだ。日本ってスマイル0円のスタンスだしな。
今回の場合、外人をもてなす”ホストファミリー”感覚だった事、後、香澄さんは日本語での会話を楽しみたかった事、それをクラウスに説明した。合点がいった顔をしたけど、同時にため息もついた。
ちょうど職場についた時、杉本 哲太 君からメールが来た。春の市場で出会った日本人留学生で俺よりドイツ語が、超上手い。なんの用だろう。開いてみると、”日本人の留学生の事で相談があるので一度会いたいのだけど”との事だった。
いや、俺なんかまだ相談したい側だ。役には立たないだろう。さっきも語学力についていろいろ考えたばかりだ。それでも予定を確認して、今度の週末に彼のシェアハウスのお邪魔する事になった。杉本君には僕に紹介したい人がいるそうだ。
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仕事の合間ををぬって、練習を見学に行く。今日に限って、なんだか雑用が多い。文字通り”パシリ”。あそこで◎◎勝って来てとか、資料室から◆◆持って来てとかだ。しまいに楽譜保管部署から応援を頼まれた。なんでも他の複数の楽団に貸していた楽譜が、偶然、同時に戻ってきたのだとか。
楽譜は楽団の財産でもあるけど、そこは楽団どうし。貸出ししたり借りたりする。貸し出して戻って来た楽譜は一応チェックするそうだ。大抵は、せいぜいサインぐらいだけど、ごくたまに、書き込みとかあったりする。マナー違反だ。そういうのを見つけては消す。(普通は鉛筆で書いてあるので、ケシゴムで消すのだけど)。そのほか、楽譜の数があってるかどうか、上の整理暗号をみながら、チェック。今回も欠損なし。(あったら大問題になるけど)
そんなこんなで見学に行ったのは、もう練習の終わり近くになってしまった。
練習は、マーラーの交響曲1番の4楽章をやっていた。クラウスが、”この指揮者はこの曲振るの2度目”なんて言ってた。そのわりに演奏をとめ、指示してる事が多い。
「練習番号Bの10小節目は、た~ら、た~ら、じゃなくた~らた~らで。」
どっちも同じにようでて、微妙に違う指揮者の言葉。こんな感じで練習してるのなら、オケの人もさぞや大変だろうと、思ったら、そこはプロ。平然と指揮者の意図を理解し平然と演奏してる。
直す前と後の演奏を何回か聞いてるうちに、俺もなんとなく指揮者の意図がわかってきたきがする。なんとなくだ、なんとなく。
大学の有志て作ったオーケストラでも、演奏した事のある曲だったので、少し懐かしい。管楽器がそれぞれの楽器が、ほぼ2倍。いわゆる4管編成ってやつだ。マーラーにしては短めの50分前後の曲なので、日本でも演奏機会の多い曲。それでも、長い曲だ。バイオリンの子達は、
”楽譜を捲っても捲っても終わらないの”と、泣きが入ってたっけ。
プロの演奏はさすがだ。大学オケでの演奏は、お客さんのアンケートに”長くて退屈”って感想が多かった。演奏が散漫になっていたんだ。これは指揮者にも責任があった。
その点、当たり前なのだろう。曲を聞いていて、セリフの長い内省的な劇を着てるようだった。人がいろいろ悩んでるように、曲の中でいろんな意見(楽器の音)が、ヒョコっとでてくる。”なるほど、そうか”って何度も納得。
まったく音楽ってやつは、同じ曲を何度聞いても、”新しい発見”があったりする。そこがおもしろいけれど、難しいとこなんだろうな。




