本選を終えて、友達になった。
あっというまに本選は終わった。その後は、順位発表、表彰式の後、簡単な慰労会があった。参加したのは本選に残った6人、審査員の先生方、事務局。伴奏をしてくれたオケの人達は、本拠地のあるベルリンへ帰って行った。明後日に学校での音楽教室があるそうで、一日、ゆっくり休みたいのだとか。
慰労会で審査員の先生から、個別に批評を聞く事が出来た。もちろん非公式にだけど。
「あ、カイト君だね。演奏に似合わず、おとなしい雰囲気だね」
ジョーンズ・マッケイという審査員の先生の言葉は、俺には意外だった。演奏に似合わず?そんなトゲトゲの演奏だったろうか?
「まあ、オーケストラの方も、最後のほうは精神的に疲れていたようだからね。そこを君が、”もっと情熱的に”とあおるように、せめていった。君の意識的な”そそのかし”は、大成功だったよ。但し最後は盛り上がったけど、荒い音があったね。」
あはは。お見通しだ。もし、俺が1番目だったらどうだったろう。疲れはないかわり、オケは慣れない曲に、肩ぐるしい演奏になったろうか?6人で1曲20分位の曲とはいえ、二日に本選を分ければよかったんだ。そうすれば俺たちもオケも楽だったのに。
「すみません、最初、そんなつもりはなかったのですけど。1楽章を演奏を始めると、ちょっとこれは違うかなと・・・俺の意図、まるわかりでしたか?」
俺は、マッケイ先生に恐る恐る、顔色をうかがいながら聞いた。コンテスタントのくせに生意気なとか、思われただろうか。
「ははは、いやいや。オケとの演奏に緊張するコンテスタントが多いなかで、プロの奏者のように、その手綱を握ったのは、すごい精神力だよ。演奏も3楽章以外は完璧に近かったね。」
でも、フランソワとアーノルドの演奏には及ばなかったわけだ。それでも1,2楽章は、あれで俺はいいと思った。もしかして次に、この曲を演奏する事があれば、また、違う解釈になるかもしれない。
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朝一番のベルリン行の列車に、俺たち本選入賞者6人、一緒に乗る事になった。”昨日の敵は今日の友”だっけ?俺たちは”ライバル”である自覚が、あまりなかった気がする。それは2次予選の練習時間の交渉から始まり、いろいろな要望を事務局へ、一緒になって交渉したせいもあるかもしれない。
俺の隣に座ったヨゼフが、感慨深げに教えてくれた。審査員の中に知り合いの先生がいたそうで、前に出たコンクールでも、審査員だったそうな。その先生が、ヨゼフにいろいろ感想をのべたそうだ。
「前に出たコンクールは、俺、2次で落ちたんだ。緊張しちゃって、演奏前は胃痛で吐いてしまった。眠れてないのもあって、フラフラしてた。演奏はその時は、おとなしいというか”ただ吹いてるだけ”に終わってしまって。そして今回は、睡眠はばっちりとれたし、腹痛はなかったので、自分としては、それだけで嬉しくて舞い上がったようなんだ。先生から”君の演奏は、出来不出来が激しいな。体調に振り回されてるのかい?緊張のしすぎでそれが体に影響してるのなら、その対処方法を考えるべき。まあ、基本は練習することだろうけどね”って」
うれしくて舞い上がっても緊張しても、演奏しだすとある程度、落ち着く。でも俺は逆に1楽章を演奏しだして、すごく緊張してアセった。ただ、ヨゼフのように、睡眠薬を飲んでも眠る事が出来ないような緊張はなかったけど。
「はは、俺だって緊張はしたさ。前の日はそれほどでもなかったけど、演奏が始まってからね。最悪パターンだった」
「へ~、全然、そう聞こえなかった。むしろ、オケが振り回されてたきがする。まあ3楽章でテンポがカイトの想定より速いって気がしたから、そこはハラハラした」
「ビンゴ!3楽章は、吹いてて綱渡りだった。ははは」
ベルリン駅で昼食を6人一緒にとり、メルアドを交換して、互いにいろんな話しをした。
ヨゼフは、ベルリンの音大で勉強をしてるので学校に戻る。フランソワとクララは国に戻り、そして3人とも次のコンクールのために準備するそうだ。
アーノルドとテジュンのアメリカ二人組は、この際だからと、ベルリンフィルの演奏会を聴きに行くとか。演奏会のチケットは日本と違い、学生は割安で聴く事が出来る。その後はアメリカでのコンクールに出る予定とか。ヨゼフには、会いに行けそうだ。
アメリカでのコンクールか。JAZZの分野で有名な奏者を何人も出してる。奏者の何人かは作曲家に転身してる。これからは、トランペットはアメリカの時代になるのか?俺はアメリカの国際コンクールにも出たい。ただ、ヨーロッパでの修行が終わってからだ。いくら行き来が多いといっても、飛行機でアメリカ往復するのは、財布が痛い。
日本にいるときと違い、俺は同世代の仲間が出来ず、ぽっとだった。今回の5人と友達になれてよかった。直接は会えないけれど、FACE BOOK 仲間になった。
5人と別れ、ミュンヘン行の列車にのる。クラウス先生には本選の結果は知らせてある。怒られはしなかったけど、たいして喜ばれもしなかった。予想した順位だったのだろう。列車で一人になると、本選での演奏の事を、どう説明すべきか。事務局の方からは、後で本選の演奏を録画したDVDが送られてくるそうなので、嘘はつけないだろう。
”上の順位の二人は超上手くって、もう敵わないってかんじだったです”
なんて、嘘はつけない。俺はフランソワとアーノルドの演奏は、超上手いとは思わなかった。
ドングリの背比べって言葉がぴったりだったかも。俺が3位になったのは一重に、3楽章の速くて荒い部分があったからだと、思ってる。うぬぼれだろうか。
今回のコンクールで、良かったのは、”友達が出来た”って事が一番かもしれない。あと、自分のこの課題曲では練習不足だったというのが自覚できたた事。そんな事を考えてるうちに、寝てしまったようだ。たった1週間あまりミュンヘンを離れてただけなのに、疲れが出たのだろう。
寝入って夢を見ていた。夢の中ではクラウス先生と香澄さん、フェリックスが楽しそうに笑って話しをしてた。ああ、俺は中に入っていけないけど、それでも喧嘩してるよりいい。俺はあの春市場で怒鳴りまくってたおばさんの家に下宿するから。目が覚めて。なぜ、あのおばさんが夢に出て来たのかが謎だった。
キュンヘン駅に着いた。俺はホっとする反面、あの家でまたギスギスの雰囲気の中で暮らすのかと思うと、少し気が重かった。
クラウス先生は、先生として尊敬してるし、フェリックスはかわいい、香澄さんは思ったよりも、純情というか幼い人だった。その3人の歯車があわず、俺が中に巻き込まれてる。3人とも嫌いになれない所が、俺に”先生の家を出る”決心を鈍らせてる。
家に戻り、”二人の奇跡的な和解”を期待したが、そんなのはやはり夢の中だけの話しだった。
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