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ラッパ吹きの休日  作者: 雪 よしの
ドイツへ留学する
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本番前の練習と眠れない夜

「カイト、すまないけど、ホールでの演奏を、客席の真ん中あたりで聞いてくれないかい?少しでいいから」


 俺は小練習室で練習していたが、交換条件で俺もヨゼフに演奏を聴いてもらう事にした。


 お互い10分だけという約束。指定の席はちょうど審査員が座るだろう席。観客とオケがはいれば、全然、響きが違ってくると思うが・・とりあえず、”人に聞いてもらう”というのも、大事だ。俺とヨゼフはまだ顔見知り以上親友未満の間柄、演奏することでお互い、何か得るものがあるだろう。


 ヨゼフはトマジのトランペット協奏曲の1楽章を演奏するとの事、この楽章は技術的に難しいけれど、聞かせどころも多い。


 彼の演奏が始まると、そこは彼の世界なのだろう。おとぎ話の兵隊が動いてる情景が目に浮かぶ。彼もCDを何度も聴き、脳内にバックのオケサウンドを脳内で再生しながら練習したのだろう。演奏の最初はその脳内オケを意識しすぎて、若干、重くなってる気がした。持ち直したけど、最後のほうミスった。超高速で半音階を吹く所だ。俺も苦手だけど。


 ステージから下り僕に

「どうだった?最初は、少し緊張して、もたついた自覚はあるけど。」


 それなら指摘する事もないだろう。あの半音階だな、問題は。

「後半の半音階の難しい処、あそこ、テンポはOK。音はなめらかだったけど、1,2か所、すべった所があったかな」


 ”俺もそうなりがちなんだよな” そう思っても、自分の事は宇宙の彼方に放り投げて、アドバイスした。


「ああやっぱり、この部分のここだ。」と今度は若干ゆっくりめで吹いた。完璧なんだけどな。テンポが速くなるとおいつかい部分がある。


 俺は、殆ど響かない小練習室で、音色や音程を確かめながら何度も練習した。本当に今更だよな。でも、練習せずにはいられない。


 一応、予定表は5時まで書いておいたけど、俺とアメリカのアーノルド以外は、9時までここを練習で使用出来ないかと、警備員と交渉してた。


「練習もいいけど、疲れすぎてかえって効率悪くならないかい?それに夕食を取りそびれてしまう。宿にも連絡したほうがいいんじゃないか?」


 結局、一旦は夕食をとりに帰り、またホールに戻ることにしたようだ。これが日本ならコンビニのお握りやサンドイッチで済ませる事もできるけど、ここは何せ田舎だ。夜遅くに開いてる店はない。ガソリンスタンドにコンビニのような小さな店があるそうだけど、そこまでは距離がる。


*** *** *** *** *** *** ***


 夕食は、俺は目一杯、食べた。宿の人が気をきかせて、お代わりをくれた。ラッキー。レストランの入り口のそばには、小ぶりな林檎が山積みになっていて、食後のデザートとして取り放題だそうだ。俺は5個、いただくと、周りはみんなびっくりしてた。今日、食べるんじゃなくて、明日用、明後日の列車の中でもと、とったのだけど、ちょっと意地汚かった。


 女子二人は呆れていて、ヨゼフはからかってくるかと思ったら、無言だった。そういえば顔の表情がさえない。食事も殆ど残してる。どうしたのかな。ホールで演奏した時は元気だったのに。


 本番を明日に控えて、ベッドにはいっても俺はすこし興奮気味だった。エドの伴奏で練習してたとはいえ、生のオケをバックに演奏するのは、去年のコンクール以来だ。もしオケとズレた時、どうしよう。俺は頭の中で、”オケと合わせづらいとこだろうベスト10” を自分で考え、いろんなケースを想定して、善後策を考えてみたりした。


 そんな事してるからか、すっかり頭が冴えて眠れなくなってしまった。まずいな。それにお腹が空いた。もう午前2時だ。


 とりあえず気分転換に、ロビーに降りていくと先客がいた。ヨゼフだった。


「なんだい、君も眠れないのかい?よくあるよな。本番前日だし。」


 ヨゼフは、ゆっくりとした顔を俺に向けた。何か、すごく眠そうというか怠そうというか、もしかして具合でも悪い?お腹すいたとか?


「前日になると、いつもそうなんだ。今回は2次予選は、伴奏者が励ましてくれて、曲も私の得意の曲だったし。それでも軽い睡眠薬を飲んで、眠る事が出来たんだ。もともと不眠気味なんだけどね。今夜はいつもの2倍、薬を飲んでもだめだ。眠気はくるけど眠れない。ベッドで横になっても、イライラしてくる。いっそ2次予選で落ちればよかった。」


 俺の眠れないとは、大分、事情が違う。俺はいわば、遠足前の子供のようにはしゃいでるようなもんだ。彼の場合、どうも前から不眠傾向があるみたいだし・・これって、周りがどうこう言ってもしょうがないものがある。


「小練習室で練習してて、音色はこれでいいのだろうかとか、自分の音にだんだん自信がなくなってきて、それをどうにも出来なくて練習時間も終わってしまって」


 ロビーで項垂れる彼の背中をさすった。


「一緒に林檎を食べないかい?君は夕食をのこしてただろう?お腹が空くと、眠れないんだよ」


 俺は林檎を3個持ってくると、2個をヨゼフに1個は自分で食べた。シャリシャリした林檎の触感が気持ちいい。そして香りがすごくいい。


 ヨゼフは、しかたなく義理で食べていた。結局、1個は食べた。残りの1個を返そうとするので、その林檎はベッドのサイドテーブルの上に置くように勧めた。


「林檎の香りって、催眠効果があるんだってさ。うちのばあちゃんの知恵さ」


 ...大嘘です。正解は意識が林檎の香りに集中するうちに、眠くなってくる(事もある)だ。


「本当に?お医者さんからは、そんな事聞いた事ないけど」

「間違いないって。俺は日本ではコンクール前はこの方法でグッスリだ」


 ヨゼフは首をかしげながらも、部屋に戻って行った。こういうのを”わらをもすがる”っていうのだろう。それとも日本人嘘つかないって思われてるか。


 その後、俺は部屋でグッスリ眠った。体は疲れてるのだから。どうも空腹で眠れなかったようだ。本番当日の朝、その事を皆に話したら、大うけした。


 ただ眠れなかったのは、程度の差こそあれ、アーノルド以外は全員、不眠気味だったそうな。


”みんな腹すいて眠れなかったんじゃ?”と聞くと、夕食の時からすでに空腹をかんじてなかったよ、なんて言ってる。ほぼ義務感で食べたのだとか。


 俺とアーノルドとヨゼフは、”ぐっすり眠りました”って顔だと、まわりに言われた、

ヨゼフは”リンゴの能力ってすごいね”と、さわやかな顔で笑ってた。あれで眠れたんだ。


 ちょっと罪悪感。ヨゼフには真実は絶対言わないでおこう。





 

土曜日深夜(日曜日午前1時ごろ)更新します。週一のペースです。

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