本選に残ることが出来た6人
本選へ進めるのは6名。内訳は、キム・テジュン(韓国)アーノルド・リュウ(アメリカ)フランソワ・デイストレ(フランス)クララ・ハイムス(スイス)ヨゼフ・シュミット(ドイツ)に、俺だ。女性が二人入っていた。
国籍よりも、現在、どこで勉強しているかを、プログラムに書いてほしかったけど、コンテスタントのもらうプログラムには、そこまではない。
一日目7人の中からは、俺とヨゼフの二人、あとは二日目の演奏者の15人の中から4人。他のコンテスタントの演奏が、ちゃんと聴けたわけじゃないけど、”これは全然、敵わない”と感じた演奏はなかった。ヨゼフの演奏だけ”やるな!上手い”と感じたくらいか。
不合格者は、そのまま手続き後、宿に戻って行った。合格者6人は、明後日の本選の演奏順番のクジを引いた。俺は6番目。最後だ。他の人の演奏を聴けていいのか、かえって悪いのか。どっちにしても待ってる間、メンタルボロボロになるかも。最後だからオケのクセや特徴を掴む事が容易かもしれない。ただ最後だからオケも疲れてるだろう。人間だものな。
ヨゼフは、4番目。彼の演奏は、控室で聴く事になるかな。
「お互い、本選では頑張ろうな」
「最後だなんて、ちょっと同情。まあ1番目よりはいいけどさ」
その後、日程を再確認した後、俺とヨゼフは宿に帰った。明日は一日お休み。コンテスタントも疲れてるだろうけど、審査員は疲労困憊だろう。ほぼぶっ続けで同じ曲を22回聴き、優劣を判定、点数をつけたのだから。
コンクールの結果を、バイエルンオケ事務局(俺のバイト先)と、クラウス先生にメールした。先生からは、”君の実力なら2次通過は当然ですよ。本選頑張れ”と、返信がきた。その当然を落ちたら、破門されてたかもな。紙一重だ。合格不合格は。俺が本番演奏中に急に鼻がむずくなってクシャミをしたらアウト!(まあ、絶対我慢するけど)、必要以上に緊張してもだめだったろう。審査員からの総評も”実力にほぼ差はない”とあった。
宿に帰りレストランへ行くと、女性で本選に残ったフランソワとクララと、一緒になった。ヨゼフが声をかけたのだそうだ。(残りの二人には断られたとか)
「まったく、東洋人って人見知りなんだね。本選に残ったのは6人だし、仲良く出来るかなとおもったんだけどさ。」
「いやいや、ヨゼフ。本選だからこそ、緊張して一人になりたいタイプなんじゃない?」
ホールは閉まってる。音楽室はもちろん用意されてない。宿は楽器演奏禁止。後出来ることはCDを聞いて復習するか、早く寝るか、気分を落ち着けさせないといけない。こうやって、コンテスタント同士で話すのもリラックス出来するのも一つの方法だ。
「それより、その美人さん二人を紹介してくれ、ヨゼフ。どうやって口説いたんだ?」
俺の言葉(ドイツ語を、クララは英語にしてフランソワに話し、二人は楽しそうにコロコロ笑ってる。本選への重圧や緊張が感じられない。女子は強いな。そういえば本選前のセリナちゃんも、楽譜めくり役の健人がこなくても、ドンと構えてた。最初のころは、もっと自信なさげだったのに。
「こんにちわ、カイト。ヨゼフとは去年11月に出たコンクールで友達になったの。私もヨゼフも本選へはいけなかったけどね。このコンクールは腕試しというか、キャリアを積むため。コンクールで受賞できれば、有利だしね。それと審査員の先生方とお知り合いになること。これが私にとって重要かな。」
金髪碧眼、まさしくフランス人形そのもののフランソワの自己紹介は、超現実的だ。キャリアを積む。こうやって地道にコンクールに出て、少しでもいい成績をとる事か。
彼女は自分のHPのアドレスの入った名刺をくれた。わお。バーコードもついてる。これでアクセスすれってか。
「クララです。よろしく。スイス出身。英語、ドイツ語、フランス語OKね。私の名刺ももらって。エキストラのお仕事とかあるかもしれない。営業活動よ。まあ、可能性は薄いけどね。」
茶色の猫っ毛を、ポニーテールにしてる彼女は、少し小柄だけど活発そうだ。
二人とも大学4年だという。俺は4年の時には、日本国内のコンクールに出た。一つは吹奏楽のソロ部門、もう一つはトランペットの国際コンクール。ソロ部門は本選までいきながら、直前で高熱が出て、薬で熱を下げて出たけど結果、入賞ならず。もう一つの国際コンクールで、本選までいかなかった。奨励賞はもらったのだけど。
俺のコンクール歴を話すと、”風邪には気を付けないとね”3人で納得してる。話してみると。この中で一番、コンクール参加の回数が少ないのは、俺だろうな。
「コンクール慣れするとよくないけどさ、コンクールを通して自分をレベルアップさせたいんだ。私は。一人でウダウダ練習してても行き詰る時ってあるし、コンクールは自分を追い込むいい機会なんだ。とことん追い込まれれば、時たま同じ曲でも違う面が見えて来る。他の奏者の演奏から刺激を受けられるし、友達もふえる。難をいえば、お金がかかる事かな」
ヨゼフのいう事に全面賛成だ。特に”お金がかかる事”は声を大にして言いたい。好きな音楽を続けるためとはいえ、海外まで出るのはつらい。いっその事、最初から海外の音大のほうがいいかも。
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次の日は、朝早くからホールへ。他のコンテスタントも集まり、練習室とホールの取り合いになりそうだった。ホール、リハ室、小練習室、それぞれ響きも違う。ピアノがない部屋もあり。
互いに自分の希望を優先させてばかりいるので、時間がたっても、ちっともは話しが進まない。で俺はキレた。鞄の中からノートを取り出し一枚破って、それに練習場所を書きだし表を作った。
それから時間を決めてローテーションで回る事を、つたない英語で提案した。最初の1時間だけ全員でホールでウォームアップ。練習時間を決め、クジをひいて3つを公平に回る事ができようにした。二つある小練習室の一つは休憩室として確保。ローテーションの時間内で、何かあった時のため。
「すごいカイト。私がプロのソリストになったら、マネージャーやってほしいよ」
ヨゼフの言葉に俺は苦笑いするしかなかった。大学でのオーケストラでは、なにかしらトラブルが多かったので、この手の采配は得意になったのだろう。
論争になりかけてたとこを、なんとか無事に練習日を平和にすごせそうだ。
どうもこういうトラブル事に、黙ってられないというか、損な性分だ。もしかして、俺がトラブルを引き寄せるのか?嵐を呼ぶ男か?
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