ベルリンへ向かう列車にて
今、朝の4時半。5月の朝は爽やかで、少し涼しい。俺はミュンヘン駅で列車を待っている。
コンクールの2次予選の行われるベルリンの近くのノイルリッツという街へ、向かう処。
隣では、伴奏してくれるエドガーが、アクビをしてる。つられて俺も。
ベルリンへの直行便は便利だけど、朝の早いのにはまいった。到着は昼近く。6時間半かかる。ベルリンでローカル線に乗り換え、目的地に着くのは、3時ごろ。
クラウスと香澄さんの問題は、あのままだ。二人がいない時は、エドの奥さんが、またシッター役。でも、二人の喧嘩腰の言い合いをフェリックスに聞かせたくないな。そこだけが、俺はちょっと心配。
海外コンクールは初めてなので、ワクワクしてるのと、二人が論争しあうあの家を離れる事で、ちょっとホっとしてる。
「なあ、カイト。あの二人、一緒に住まないほうが、いいんじゃないか?」
「俺もそう思うんですけどね。話し合いが長引きそうなので、そうしないととお金が持たないそうです。今、息子の養育の事で揉めてるし」
セリナちゃんのメールに書いてあったので、俺も気になって調べたんだ。ドイツの法律では離婚には、離婚時の被扶養者の生活費も、扶養者は出す義務があるそうだ。離婚ってこっちでは面倒なもんだ。
俺は、離婚どころか結婚さえ遠いな。まず自活出来なければどうしようもない。そのための足掛かりの留学でありコンクールだ。
列車に乗り込み、俺とエドは隣同士で座をとった。ICE、いわゆる新幹線のような超特急もあるけれど、そこは節約して普通の鉄道にした。それでも列車内は、日本と違い、座席間の感覚が広く、席も大きい。やはり体格にあわせたのだろう。次々と乗客が乗り込むなか、日本人青年が、通路を挟んだ隣の席に座った。
背が低く少し太め、細い目をしたその青年の顔を俺はどこかで見た気がした。いや、セミナーで友達になった福井君に雰囲気にてるので、気のせいか?しばらく考えて、アっと思い出した。
バッハ音楽コンクール、オルガン部門で優勝した青年だ。確か名前は、青井なんどか君だ。何かの番組で特集したのを見た事があった。
思い切って声をかけてみようか。でも、彼の顔は暗く沈んでるような気がする。確か、番組ではコンクール優勝後の進路で悩んでいるとかで、終わっていた。そう思い出すと余計、話しかけづらくなった。
思いのほか、鉄道の旅は快適だった。2時間ほどたった時、かの青年は読んでいた本を、通路におとした。スマホが鳴ったのであせったのだろう(マナーモードにし忘れ)俺は内心”チャンス”とばかりに、顔はさりげなく本を拾って、”どうぞ”と日本語で渡した。すると彼の顔がにこやかになった。
「日本の方だったのですね。ありがとうございます。どちらへいらっしゃるのですか?僕はベルリンから乗り換えて、もう少し北の街へ行く予定なんです。正直、乗換がまだ不安なんですけどね。」
話し出すと、人懐こい青年だ。さっきの”思案気が顔”は、ひっこめたようだ。
「私も、やっぱりベルリンで乗換です。正直、乗換は全然わからないけど、ドイツ人の伴奏者が一緒なので、安心です。ああ、俺は、トランペットのコンクールにでるんです。」
”確かあなたは、パイプオルガンで...”と聞きたい所を、我慢した。6時間以上かかる旅の中で、音楽の話しが出来るのはうれしいけど、相手は違うかもしれない。そう構えてると、相手からは以外な言葉がかえってきた。
「僕は、パイプオルガン奏者で、青井 涼 です。奏者といっても、それで生活できてる訳じゃないんですけどね。」
自嘲気味で寂しい笑顔を、僕に向けた。俺もあわてて、自分の自己紹介をした。
ドイツにいるのは、やはり楽器のためだろうか。彼の弾くようなパイプオルガン自体、日本には少ないだろうし、まさか持ちあるける楽器でもない。グランドピアノは大きい楽器だけど音楽室ぐらいの広さがあればいい。でもパイプオルガンは、楽器となるパイプは、ステージの壁に広がり、その音はホール全体を使うような楽器だ。
結局、楽器から離れられなかったのだろう。もちろん、マイ楽器なんて考えられないし。
その後、1時間ほど彼と話した。エドが気をきかせて、席をかわってくれた。それでも大声にならないよう注意したけど。
バッハ音楽コンクールは、世界的に有名だ。あの大バッハの曲を極めるのは、難しい。そのコンクールで優勝したのだから、もっと楽にオルガン奏者として活躍できるかと思ったけど、実際は違っていたようだ。日本でプロのオルガン奏者になるには、需要が少なすぎたのだろう
「あの、実はTVの番組であなたの特集を見ました。バッハ音楽コンクール優勝って、すごいですね。俺もコンクールでなんとかいい成績を残したいと、思って頑張ってます」
どれだけすごいってのは、セリナちゃんからの受け売りの処もある。俺にとっては、海外コンクール優勝 ってすごいって尊敬のまなざしだ。
「ははは...我ながら不便な楽器にとりつかれたもんだと、思ってるよ。今回は、ある教会にあるオルガンを弾かせてもらいに行くだけなんだ。好意で弾かせてくれるってとこ。あの番組の収録のあと、日本へ帰ってプロとして活動しようとしたけど、上手くいかないし、第一、楽器を演奏する機会すら少なくなってしまった。」
本人にとっては、ヘビーな事だろうに、あっさりとした話し方だ。第一、楽器と離れるって処が、ピンとこないのが残念だ。持ち運び楽なトランペットだしな。俺のは。
そんな彼の夢は、”ヨーロッパ中のパイプオルガンを弾く事”だそうだ。かなうといいな。その夢。教会ならば弾く事にはお金はかからないだろうけど、移動にお金がいる。
よく”今の若者には夢がない”なんて年寄りに言われるけど、その夢をかなえるお金がない若者が、現実に多い。音大でも留学などして、音楽を極めたい人がいても、実際問題無理と諦めていく人が本当に多い。
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列車はベルリン平野にはいると、平坦な農地・牧地がひろがり、緑の世界が車窓からひろがっていた。ベルリンまでは飛行機で移動というのも考えたけれど、節約と半分、観光もかねて鉄道にして大正解だった。なぜなら、青井 涼 さん(実は年上だった)と知り合いになれたのだ。
駅で軽く昼食を3人でとったあと、エドが青井さんに乗り換えの説明をしてくれた。どうも青井さんは、ドイツ語が苦手なようで、途中で俺が日本語で確認しながらだった。
「はいこれ、僕の名詞。裏にアドレスが書いてあるから、よかったらメール下さい。日本人の音楽仲間をの知り合いをふやしたいし。」
青井さんの、笑顔が俺には痛い。明日は我が身なのだ。
「こちらこそ。所詮、まだひよっこのラッパ吹きですけれど、よろしくです。」
青井さんは、今度は本当に楽しそうに クククと笑い、エドに丁寧にお礼を言って。乗換のホームへ向かって行った。俺は青井さんに、「頑張って下さい。俺、応援してますから」と後ろ姿に声をかけた。(日本語でだ)
エドが不思議な顔をしてる。しまった。日本語で話すのに夢中で、エドに、詳しい経緯を説明してななかった。エドは、”オルガンか”と難しい顔をした。もちろん、彼はエドにも名刺を渡してあったけど、彼の身上までは知らなかった。
「バッハコンクールね。確かピアノ部門もあるけど、難しいんだよな。いわば、バッハマニアのエキスパートたちだから。俺も一度は挑戦したかったけど、無理だった。バッハの音楽の深さを追求しだすと、もう迷路の世界になるんだ」
前に、チェロの無伴奏ソナタを、トランペットで演奏を聞いた。俺も挑戦してみると森岡師匠に軽く肩を叩かれた。”バッハは精神の深さが必要なんだ” なんて言われてしまった。大学一年の時の、トラウマだ。
ま、一年の時は、音大に合格した事にうかれてたけど。
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