奇妙は同居生活
俺とクラウス先生、離婚の話中の香澄さんと息子のフェリックス君。5人のギクシャクした共同生活が始まった。あまり雰囲気の悪さに、俺は別に部屋を借り、通いでレッスンを受ける事を、先生にお願いしたが、逆に先生から、”頼むからこの家にいてくれ”と懇願され、そのままとどまる事になった。
その日の朝食も、香澄さんとクラウスは無言か、嫌味の欧州だ。
クラウス先生が、目が笑ってない笑顔で、
「香澄は、ジャン・ポール君の処から、離婚の手続きに通えばいいじゃないか?フェリックスは俺が面倒みるから。」
これには言い返せない香澄さん、悔しそうだ。朝食のベーコンエッグにフォークをつきたて、ムキになって食べてる。フェリックス君は、相変わらずのマイペースだ。無表情に黒パンを食べてる。それでも、俺の方に何度か話しかけて来た。この間、一緒に遊んだゲームでまた遊びたいと。クラウスは、英語とドイツ語でさかんに彼に話しかけるが、反応のない時もある。多分、言葉がわからないんだ。
食事の後片付けは、香澄さんと二人で。さすがに主婦やってただけあって、手早い。皿を洗いながら
「ごめんなさいね。クラウスって怖いでしょ?私、大声とあの大きな青い目でにらまれると、体がすくむわ。本当は、ホテルで暮らしたい所だけど、お金もないしね。クラウスはお金を出すわけないし。でも、私には、ホテル代を請求する事が出来るのよ。そこでまた揉めると、手続きが長くなるし。ホントに。あなたがいてくれて助かったわ。母国語で話す事でこんなに癒されるものだとは、思わなかった」
と最後には、機嫌よく二階に帰って行った。今日は、短期間でも子供を見てくれるシッターを探しに役場へ行くのだとか。クラウスはオケの練習日。俺は事務局のほうは休みで、音楽室で練習できる。
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6月の初めに本選のあるコンクールに、エントリーしてる俺は、先日、1次予選になる書類とCDとDVD審査の合格通知が昨日きたので、心底、ホっとした。
先生からは、”小さなコンクールだから腕試しと思ってやってみるといい”と言われたが、DVD審査の曲は、手ごわかった。Allen Vizzutti の”Cascades”という曲。トランペットの独奏の曲だけど、とにかくテクニカルな曲で、テンポがはやい。
この作曲者のメソッド(練習曲)は、大学時代にやってる。Cascadesも、課題とは別に練習で手をつけた、大学2年の時だった。自分では出来たと思って、辻岡らに聴かせると、ダメ出しされた。4分もかからない短い曲、最初は分散和音で、音が飛びまくってる。現代曲の象徴のような部分、中間部ははてしない半音階の中にエスニックな主題が隠されてて、最後は最初と同じような分散和音で終わる。大学の時は、とにかく音程とタンギングの甘さを指摘され、中間部は...まあ、とにかくボロクソに言われた。
あのころの俺は、今よりずっとヘタだった。そして何より耳が出来てなかった。自分の演奏を冷静に聞く耳。
黒歴史の思い出の曲が1次の曲で、正直、何度練習しても、駄目な気がした。トラウマだろうか。クラウス先生にもダメダシをうけながら”なんとか仕上がった。”(と先生は言っていた)俺はまだ自信がなかったけど。
2次予選は、ヒンデミットの”トランペットとピアノのためのソナタ。本選は、トマジのトランペット協奏曲。ヒンデミットのソナタは、古典的な要素がある。大学生の時、これもかなり練習したほう。
ヒンデミットにひさびさに取り掛かると、これまた、当時、”俺ってヒンデミット得意”なんて思ってた自分が、恥ずかしい。いわゆる”音はとれてるから、これから本練習だね”と言われるレベルだった。いや、ひさびさだからと、もう一度注意深く演奏しても、少し、よくなった程度の気がする。
まずい。とてもまずい。曲想も考え、自分なりにアナライズしたはずだ。それが、ふりかえると、全然、未熟。穴だらけだ。俺はさすがにあせって、自分の部屋でPCでヒンデミットのソナタを検索、楽譜をみながらチェック。大学時代もこういう方法で勉強し、それでも悩んでたんだっけ。
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リビングからいいニオイがしてきた。お腹がギュルギュルなってる。時間は丁度12時半。
香澄さんとフェリックス君の昼食は、豆腐の味噌汁とお握り、卵焼きとホーレンソウのお浸し。俺は、お握りのノリと味噌汁のにおいに食欲倍増したんだ。うちにお米はないけど、香澄さん、買ってきたんだろうか。
「香澄さん、おいしそうですね。純和食。ところで、ご飯、どうやって炊いたんです?」
「クラウスを問い詰めたら、納戸の奥にあるって、白状したわ。最初は、”捨てた”なんて言ってたけど、これは私の嫁入り道具=財産 だからね。クラウスなら勝手に処分出来ないと思ってた。」
昼は不規則になるので、各自で ということになってる。クラウスは俺が昼用に作っておいたサンドイッチを、勝手に持って行った。”弁当泥棒!!”とメールで抗議したら、”今日の夜に特別レッスンで埋め合わせを。”ときたので許してやった。一言、いってくれれば、先生の分を別に作るぐらいどって事なかったんだけどね。
「カイト君、よかったらお握り、どうぞ。中身は梅で2個しかないけど。」
「ありがとう、助かりました。ひさびさの日本食だ。ところで、香澄さん、日本の食材って、高くないですか?」
米も海苔も豆腐。いくら日本食ブームといっても、高級食材のはず。だから俺は、安い黒パンやイモを食べる事が多いのだけど。
「私は、ほら、一日に一回はごはんを食べないと我慢できない人なのよ。それなのに、クラウスは、日本食は好きじゃないみたい。お米が嫌いみたいで」
俺はおいしくお握りをほうばりながら、吹きだしそうになった。
この二人が一緒にくらすの、全然、無理じゃん。暮らし始めた時に、わからなかったのかな。
土曜日深夜(日曜日午前1時ごろ)更新します。基本、週一の更新です。




