クラウスと香澄さんのトラブルの発端。
「”訴え”は、今、検証中だ。自分が何をやったのか、わかってるのか?」
クラウスの感情を殺した低い声で、俺までゾワゾワと寒気がするほど。香澄さん、何をやらかしちゃったんです?
「クラウス、熱いコーヒー入れるよ。少し寒いしね。息子さんにも何か持ってこようか?牛乳とか大丈夫?」
家では、飲み物がほしいときは、自分で入れる。俺がこう特別に動いたのは、家の中の雰囲気を少しでも和らげたかった。家庭内傷害事件の証人になるなんて、ごめんだ。台所に向かう俺に、”私にも、カフェオレで。フェリックスはお砂糖入れて”と。香澄さんからの日本語でリクエスト。むかついた。俺は召使じゃねえっての。
台所で用意しながら、俺は二人のこれまでを復習した。香澄さんって、ジョン・ポールって男性と子連れで駆け落ちしてたんだよな。で、エリザベス杯の前に”訴えを取り下げて”って手紙が来て、そしてそれきり音信不通。クラウスは香澄さんへの未練は、まったくないって言ってた。2年も所在不明、逃げていたといってもいい・その香澄さんが来るってのは、何か事情があるのだろうが。よく帰ってこれたもんだ。
”お待たせ”と、飲み物を持って行くと、二人は口論の真っ最中だった。やれやれ。子供、フェリックス君だっけ、なんか怯えてるよ。二人の様子に固まって動けないようだ。俺は部屋にもどる。ついでにあの子もつれて。両親の口論を聞くのはイヤだろうし。
「クラウス、俺、この子と部屋にいるから。話し合いがひと段落したら、呼んで。」
まきこまれとする俺の心情を無視して、クラウスはここまでこじれてしまった事情を勝手に話し出した。
「カイト、香澄は、私の事を家庭内で暴力をふるうDV夫として、離婚の申し立てをしたんだ。たまたま、階段ですれ違った時、ぶつかって香澄が転んだ事をあって、それをDVとして申し立てたんだ。私がDV夫なら、香澄だけの申し立てで離婚できるからな。で、私の処には、すぐ警察がやってきたりで、さんざんな目にあったよ。子供の虐待を心配したんだな。虐待もなにも俺は、何もしてない。ま、最終的に誤解ってわかってもらい、離婚は白紙になった。」
先生のプライベートのトラブルの詳しい事を、俺に話してもしょうがないだろうに。
「カイト、違うのよ。さすがに暴力はないけど、モラハラっていうの?精神的苦痛を受けたのよ。家計の財布はクラウスが握ってるのにやりくりは私。あっちは家計費がどれだけかかるかもしらないくせに、”香澄の努力がたりないから赤字になる”っていつもせめる。クラウスが休みの時に子守もしてくれない。私は自由がなかったのよ。まるで奴隷よ。」
香澄さんの訴えは、よくあるパターンなんだろうけど、クラウスは背が高く(外人だから当たり前か)ガタイもいいので、ひょっとして真剣な顔で怒られると恐怖感を感じて、何も主張出来なかったのかもしれない。クラウスが頼まれた子守をしないのであれば、徹底的に要求すればいいんだ。多分、香澄さんは新婚の時とかは、そう出来なかった。俺はクラウスに初めて会ったときは、彼は泥酔状態のベロベロの無様な状態だったから、そういう印象はもつことは、なかったけど。
香澄さんが日本語で訴えて来たんで、クラウスにドイツ語で説明。香澄さんのクラウスへの不満はわかった。だからといってDV夫に仕立てるのは、ヤリスギじゃね?
彼女の不満を聞いてクラウスは、また細かく反論してる。黒髪のショートカット、小柄でちょっとツリ目がちなアーモンド形の目。その外見や言動から香澄さんは、かなり気が強いのだろう。いや、虚勢をはってる?どっちにしても俺よりドイツ語が話せるが、スムーズに意思疎通できるわけじゃないようだ。二人から部分通訳を頼まれたけど、固辞。
俺はフェリックス君と、部屋でタブレットでゲームで遊んでううち、夕食の支度の時間になった。今日は、パスタとサラダで終わりにしようってか、面倒だし。ああひょっとして、明日の朝食も4人分作れとか?勘弁してほしい。
夕食時、クラウスはフェリックス君に何度か、ドイツ語、英語で話しかけるも、あまり話さない。重苦しい雰囲気の中、”眠たくなった、ママ”の言葉に俺は救われた。二人は2階の客間で寝る事になり、その夜は、そのまま香澄さんも寝てしまったようだ。
*** *** *** *** *** *** *** ***
夕食の後片付けを一緒にしながら、クラウスはさっきの話しの続きを、俺にしてきた。
なんでも、ドイツで離婚するには、1年間の別居生活後、双方、弁護士をたて裁判所での決定ができまるそうだ。たとえ双方、離婚に合意していてもだ。親権の問題、財産分与、その他いろんな諸手続きが面倒。最終的に10か月は軽くかかるそうだ。比べれば、日本は書類一枚で結婚・離婚が簡単に出来るのだから、ドイツは非効率的に見える。ただそれもこれも、子供と被扶養者の福祉を考えての事。
そこに例外がある。配偶者がアル中、麻薬中毒、犯罪者、暴力を振るうなどの場合は、一方の申したてだけで離婚できるそうだ。香澄さんは、そこを狙ったようだ。が、戸籍役場の役人に怪しまれ、そこで子連れで逃避行したってわけだ。クラウスはDV夫の汚名をはらし、逆に香澄さんが勝手に子供をつれ失踪した旨を警察に届け、裁判には名誉棄損の訴えを出した。
「日本とは制度が違いすぎるからさ、俺は何にも言えないよ。香澄さんのクラウスへの不満も、日本でよく聞く類のものだしね。だいたい、結婚までもう少し時間をかけるべきだったね」
「確かに速かった。兄妹からも反対する声があった。でも、先にそのなんだ。子供が出来てしまって、香澄が、”結婚してくれないのなら、日本に帰って一人で育てるからいいって。私は子供がほしかった、若くもなかったしアセってたのかもしれない。」
クラウスは、お皿を拭きながら意気消沈で説明してくれた。でもその様子は”がっかりしてる大型犬”に見えて、想像するとおかしくて俺はちょっとだけ笑える。ごめん先生。
その夜、俺は音楽室で2時間だけ練習。トマジの協奏曲を練習。第一楽章からトランペットのソロが多いこの曲。それでも協奏曲だから練習は、伴奏の部分を頭の中で再生しながらだ。そういえば、はやく伴奏者さんを決めてもらわないと。
”世の中って上手くいかないもんだな”なんて気分だったのか、その夜の演奏は随分、メランコリックなり、何度かやりなおした。
ここで読者の皆様に陳謝。前に”香澄さんが離婚届を勝手に出した” というのは、ドイツの結婚制度からすると無理なんです。日本ではできますが。日本の常識世界の非常識でした。後日、関係する箇所を修正いたします。誠に申し訳ありません。私の下調べミスです。
更新は土曜日深夜(日曜日午前1時ごろ) 週一のペースです