俺は音楽室で練習、先生は泥酔で帰宅
3月になるとだいぶ暖かい。札幌は、この時期は、まだ寒い日があるのだけど。ミュンヘンは山脈に近いのに暖かい。雪も比べると少ないか。
2か月間で、先生の家の中は、やっと整理がついた。(主にゴミを捨てただけなんだけど。)
今日は、日曜日でオケの仕事も事務もお休み。クラウス先生は、友達とスカッシュに行ってる。俺も誘われたけど、今日は練習。明日から1週間ほど留守(先生の金管アンサンブル演奏会のお伴)するので、やっておきたい。今、練習中なのは、トマジのトランペット協奏曲。メジャーだけど、カラオケ(オケの伴奏がはいっている)CDはない。伴奏者もいないので、自分の頭の中でオケを再現させて、練習。
ああ、やっぱり伴奏者、ほしいよな。と思い、一休みしてると、音楽室に女性がはいってきた。長い髪を一つにまとめ、メガネにシンプルな服装。えっと、誰だっけ?
「初めまして、ザビーネ・マイヤーです。クラウスから話しは聞いてると思うけど、私も、この音楽室を使わせてもらってます。よろしく」
「カイト・新藤です。カイトと呼んでください。今日は先生は留守です。マイヤーさんは、今日はバイオリン教室の日でしたか?」
「いえ、違います。突然、押しかけてごめんなさいね。クラウスはスカッシュやってるって聞いたから、自分の練習に貸してもらおうと思って。」
先生!そういう事は携帯に電話してほしい。今日はマイヤーさんの使う日かと思って、アセちゃたったよ。
ザビーネ・マイヤーさんは、オケのバイオリニスト。生徒をとって、週一回、ここで教えてる。彼女はアパートで暮らしていて、練習は本拠地のヘラクレスザールでするしかない。
コーヒーを二人分いれた。ちょうど俺も休憩したかったんだ。
「ごめんなさいね。クラウスから住み込みの弟子をとった事は、知ってたのだけど、一緒にスカッシュへしてると思い込んでて。練習の邪魔しました」
「いえいえ、明日から先生の旅行のお伴なんで。スカッシュは断りました。俺、少し休憩するんで、マイヤーさん、どうぞ使って下さい」
いや、本音はもっと練習したいんだけど、先生の同僚にあたる人だし、ちょっと遠慮。その間に晩御飯の用意でもするつもりだ。
「ありがとう。あ、今度からザビーネって呼んでください。音楽室、遠慮なく使わせてもらいます。ごめんなさいね。ウチは、音楽科の生徒専門のアパートなんだけど、それでも今日はちょっとウチで練習出来なくて...。クラウスはいいわよね、専門の音楽室作って。まあ、借金したらしいけど」
ミュンヘンの交通網は4つに分けられるそうで、クラウス先生の家は、中心から3番目。殆ど郊外に近く、少し行くと農家もあったりする。
俺はコーヒーをのみながら、ザビーネさんの練習を見てた。最初はチューニングから始まって、音階練習、テクニックの練習曲。どちらも最初はゆっくり、音程と音色・響きを確かめ、納得がいくとテンポアップ。それから曲の練習。バッハのシャコンヌ。大学オケでもよく合間時間に練習してる子がいた。”練習するならオケの曲にしてほしい。でなかったら休憩時間は休めよ”そう内心で不満に思ってた思い出の曲だ。
記憶を掘り起こし、当時の学生の曲と比べると、ザビーネさんの演奏ははさすがだ。テクニックの練習を思わせる重音ばかりの曲で、ちゃんと和声になっている。大学オケの子のは、ただ”音とリズムを間違えずに楽譜をなぞってただけ”だったきがする。バイオインは門外漢だけど、そのくらいなら聞き分けられる。
ザビーネさんは、お世辞にも”美しい”とはいえなかったけど、旋律の曲調の違いからか、くるくると表情が変わっていく。優しい顔の時は、札幌の母が、ごくたまに見せる顔だった。セリナちゃんは、ピアノを弾く時、優しく語り掛ける様で、それが恋人への語り掛けのようでやけた。思い出すと、セリナちゃんが恋しい。正確にいうと、セリナちゃんの伴奏で演奏したい。エ伴奏時のセリナちゃんの顔が好きだ。
ボヤっとしてると、もう1時間たってしまった。俺は、ずっといるのもザビーネさんが気を遣うかもしれないし、そろそろ夕食の準備をする事にして音楽室を出た。
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夕食を作っても帰りの遅いと、イライラするもんだ。
たいしたものじゃない。ハンバーグ(セリナちゃんのレシピで)、イモサラダにキャベツ。
明日のランチ用に、トマトやレタスを多めに切っておいた。
もう夜の8時。いくらなんでも遅い。スカッシュ後、おそらく外食しているんだろう。まったく、連絡くらいしたらどうなんだ!と、怒ってみて、”これじゃ旦那の帰りを待つ奥さんだよ”と自分であせった。俺はさっさと一人で夕食をすませ、余ったおかずは冷蔵庫に入れ、また、音楽室で練習を再開した。音楽室にはクラウス先生にあてたザビーネさんの手紙が置いてあった。(おそらく使用料とか入ってるのだろう)
結局、11時には練習をやめ、部屋でメールチェック。健人からの”自分通信”のようなメールがきてた。アホらし。”僕は康子先生のスパルタにもめげず、ひたすらベートーヴェンを再復習する毎日です”。ったく、お前はいいよ。セリナちゃんがどうしてるか、一言もない。少しくらい気を利かせよ。
何度もなるチャイムで、起こされた。午前2時半。うっかり開けて、ズドンと強盗に銃で撃たれたりしたら怖いので、最初は無視した。それでも鳴りやまないので、インターフォンで応じると、先生の顔が映った。これ、映像ありなんだ。なんだ最初に気がつけばよかった。
「カイト・・・鍵・・忘れ・・開けて」
先生の声は、酒に酔って、ベロベロだった。
ドイツの家は、オートロックにしてる場合が多いので、外出時はうっかり鍵を忘れられない。忘れると・・こうなる。
「先生、飲みすぎですって。明日からの仕事に響きます。」
「こちとら、江戸っ子だい、宵越しの銭はもたねえよ」
「・・・はいはい。水です。たくさん飲んで下さい。健康増進のためにスカッシュやってるとか、言ってましたけど、これじゃ全然、意味ないですよ」
確かにオケの人達はよく遊びよく飲むようだけど、年齢を考えてほしい。先生にもプライベートでいろいろストレスたまる事があるだろうけど、それはスカッシュで吹き飛ばす。スカッシュが実がドヘタでかえってストレスたまったりして。まさかね。
「俺は決めた。香澄を刑事告訴する。子供をかってにつれだした罪だ」
はぁ~。お酒を飲むほど、葛藤があったって事ね。今までは、裁判にかけるぞと脅してただけなのかも。どっちにしても、明日は車で移動なんだから、さっさと寝て下さいと、寝室においたてた。俺は、音楽とラッパの事ならなんでもするけど、先生の家庭の事は出来るならノータッチでいたい。
でも、がっちり巻き込まれることになった。
土曜日深夜(日曜日午前1時ごろ)更新します。週一のペースです。




