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ラッパ吹きの休日  作者: 雪 よしの
ドイツへ留学する
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カーニバルの季節に

 俺がミュンヘンに来てから、1か月以上たつ。オケの事務アシスタントの仕事は、思った通り、ドイツ語がほぼ出来ない事で、あまり仕事はなかった。せいぜい、荷物持ち、イス運びだ。後、団所有の楽譜の整理とチェックは出来た。

この仕事は、団の資産ともいえる楽譜保管室に入る事が出来、いろんな楽譜を見る事が出来た。これは楽しかった。(出来るなら、コピーとかしたかったけど)


 俺は、事務局長にイヤミを言われた後、ひどく落ち込んだ。自分の無力さに歯がゆかった。

セリナちゃんへのメールは愚痴メールになった。彼女に優しくしてほしかったのかもしれない。で、かえってきたメールは、辛口の激賞の言葉と、俺にでも出来そうな料理レシピ、ドイツ語勉強法が書いてあった。


 セリナちゃん曰く

”海外の著名な奏者の弟子になったのだから、短期間でも少しでも音楽の技を盗んでくる意欲をだしてください。それと、堂々と行動したほうが、カイトらしいです。そのほうが物事、なんでも上手くいくと思います。”


 だよな...セリナちゃんはピアノに対して恐怖症のようになって苦しんだ。自分で立ちなおったんだ。自身の音楽の世界を広める事で。俺の伴奏もそれに少し貢献したかもと思うとウキウキした。彼女は自分の殻をやぶった。俺は、ドイツ語出来ない事で意気消沈して、いじけてダンゴムシのように丸くなってたかも。セリナちゃんに比べれば俺は努力が全然足りない。俺は甘えていた。そしてセリナちゃんのやさしさが恋しかった。


*** *** *** ** *** *** *** ***


 クラウス先生のオケの仕事は、2,3日同じ演目の公演が続き、2,3日練習日・移動日という、ちょっと変則的なものだった。今日は先生の時間があいたので、二人でスーパーへ買い物。1週間分、場合によってはそれ以上買い置きするので、荷物が半端ない。ちなみに、今日の夕ご飯は、ポトフ。野菜が多く健康的で作るのも簡単。明日の朝も夜もこれでOKかな。


”今日は、夕食にポトフを作ります””ドアを開けて下さい””部屋の中が少し寒いです””暗いのであかりをつけます”などなど、買い物から帰って来て、俺が口に出したドイツ語のセンテンスだ。

これが、俺の教えてもらったドイツ語勉強法。朝おきてから寝るまで、自分の行動や身の回りのものをドイツ語で発音する。発音できない単語は、ヒアリングも出来ない という理論からだ。


「カイト、その奇妙な独り言は、奇妙におもわれるよ」

「先生の侍言葉も、俺には十分、変な人にみえましたよ」


 このくらい言い返せるだけ、師匠とは気安くなった。冷蔵庫に食品をかたしながら、”今日は夜8時からレッスンでいいですか”と声をかけたが、返事がない。あれっと振り返ると、師匠は郵便物のチェックをしていてて、封筒をもったまま固まってる。封筒は2通あった。


「どうしたんすか?先生」

俺はしばらく、固まった先生を放っておいたが、いつまでも動かないので。地雷を踏みそうでヒヤヒヤもんだけどな。


 俺の言葉に我にかえった先生は、そのうち一通を読むと、突然、のたもうた。


「カイト、5月にはブリュッセルへいくぞ。エリザベト妃だ」


 はぁ?ブリュッセルって、あのこの間ひどいテロのあったベルギーの首都だ。なんでまた。


「はいはい、先生。最初から話して下さい。」

俺は先生を落ち着かせるように両腕をつかんだ。


「香澄が、妻がエリザベトに出る。そこでつかまえてじっくり話さないと。」


 俺はしばらく考えて、エリザベート妃国際音楽コンクールの事と、思い当たった。由緒ある有名なコンクールだけど、残念だけど管楽器部門はない。ピアノ・バイオリン・チェロに声楽と作曲。先生の奥さんは、ピアノかバイオリン奏者だった?


「先生、エリザベト妃のコンクールは、最初のDVDによる審査が厳しいはずですが、奥さんは通ったんですか?結果がでたんですか?」


 俺の言葉に、先生はもう一度、手紙を食い入るように見ると、ガックリした。


「ちがった。審査に通るまでに、裁判を取り下げて欲しいってことだった。」

「すごいですね。審査通る事前提なんですね。ちなみに楽器はなんですか?」


 多くの人が書類審査で落とされる。1次予選に出る事ができるのが、たった40人だって話しだ。先生のほうは、ため息をつきながら、ソファに腰をおろし、手紙をテーブルになげだした。


「香澄は、いつもだよ。自信過剰すぎるんだ。日本人にしては珍しいだろう?チャレンジ精神旺盛なのは結構だけど、少し、自分の実力を知らなすぎる。ちなみに香澄はチェロ奏者。私のピアノ伴奏者と一緒に家出した。離婚届、かってに書いて提出してね。まったく」


 うへ~ヘビ~だ。夫の知り合いと不倫か。先生の黒歴史を知ってしまった。セリナちゃんと、まだGF以上恋人未満の俺は、その点では子供だ。その子供の俺でも、先生は、そこまでした妻を許す事は出来ないだろうと推測できる。


「先生、奥さんの事、愛してる?まだ?」

「いや!もう駄目だ。俺から子供を奪った」


 先生がどうしても譲れない事。それは自分の息子、フェリックスの事だそうだ。ドイツでは書類に親権を明記しないと離婚できない。奥さんは、息子さんの親権を自分にして、勝手に離婚届を出したとか。裁判はこの親権の関してだそうだ。


「確かに香澄が出て行ったときは、フェリックスは4歳。まだ母親ばなれできない中、私は仕事三昧で、育児に協力できなかった。香澄はそこに不満をつのらせていた。自分のチェロの練習が出来ないってね」


 息子の名前を言う時には、やさしい顔に、奥さんの事をいうときには、何かをはきすてるような口調で、クラウス先生、わかりやすい。それにても、日本では母親が重視されるから、日本で裁判したら、父親が負けるかもしれない。ドイツでは平等のようだけど。


「先生、俺、ハッキリ言っちゃいますけど、小さな子供を産んで育てながら、国際音楽コンクールに出るのは、かなり難しいんじゃないでしょうか?それとも、実は天才で、ちょっとやればできるとか、ですか?」


 別に育児を負の要素にしてるわけじゃない。女の人は、出産と育児で時間がとられるだろうと思ったからだ。


「無理だろう。フェリックスは、どうしてるだろう。香澄はきっとシッターに、預けっぱなしにして、練習してるんだろう。心配でしょうがないけど、居場所がわからない」


 封筒を見ると、ロンドンとしか書いてない。住所を知らせないつもりだ。


 街は今、ファッシング(いわゆるカーニバル)で、賑やかだった。仮装パレードあり、即席ステージあり、屋台ありで、俺と先生は、買い物帰り、眺めながらちょっとうかれて帰ってきたのに、一つの手紙で先生は、不機嫌になり、そして落ち込んだ。家庭が壊れるとこうなるんだ。


「ちなみに、もう一通は?差出人が日本人のようですが、日本語の手紙なら翻訳しますか?」

「ああ、まあどうせ、日本語で書いてあって、一度、翻訳してもらったんだけど、香澄の両親からと思う。読む気にもならない」


 いやじゃないならばと、読ませてもらった。内容は、”娘の居場所を教えてほしい。孫を返してくれないか”とあった。


「向こうの両親、奥さんの事、しらないんっすね。不倫して子連れで家出したって。ハッキリ書いてやったらどうです?」

「代筆のほど、よろしく。」


 実家にも連絡がなしって、ちょっとあやしいな。友人にでも知らせてるかもしれない。


 チェリストの奥さんは、エリザベト妃は、DVD審査で落ちたらしい。俺はいい気味と思った。ところで裁判になって彼女が有罪(子供の誘拐とか、私文書偽造?とか)になったら、指名手配という事になるかな?なにせ子供がらみだ。アメリカも欧州も子供の権利には日本よりはるかに厳格に反応する。


 夜のレッスンは、「熊鉢の飛行」を師匠が、ハイスピードで模範演奏した。なにか怖いぞ。

熊蜂じゃなく、スズメバチの飛行 のようだ。音が体につきささった。


 



 

土曜日深夜’日曜日午前1時ごろ)更新します。週一のペースです

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