エキストラで練習参加
エキストラのバイトは、管楽器操作は弦楽器奏者に比べると、需要が少ない気がする。クラッシックと呼ばれている音楽では、管楽器は、それぞれの管楽器パートは2本編成が殆どで、3本編成の曲は、チャイコフスキーやロマン派以降の曲だ。
プロのオーケストラでは、管楽器は、各楽器、6人ほど人数がいる(ホルンは少し多め)そのオーケストラによって差はあるものの、今度、エキストラへいく都京フィルも同じようなものだろう。
森岡先生経由できたこのバイト、どうも都京フィルは、今、団内の雰囲気が悪いらしい。
定期演奏会のプログラムでよばれ、メインはストラヴィンスキーの「春の祭典」
楽譜が送られてきた時には、”うわ~これか”と、猛練習した。
実はこの曲には少しだけトラウマがある。3年生の頃、まだ大学の管弦楽団にいたとき、この曲を演奏する事になった。曲は八分の五とか八分の七などの変拍子が、立ち替わり出てきて、俺は自分のパートの演奏しまとめるのに必死だった。それ以上に指揮者にとっては難しい曲だったらしく、スコア暗譜での指揮に挑戦したものの、気がついたらオケの演奏が崩壊していた。
誓って言うけど、俺は間違ってない。他の奏者もそうだったはずだ。でも指揮者に間違われては、もうどうしようもない。演奏が止まってしまった。これは大事故だ。少しの間をおき、指揮者と必死で元にもどした。が、大学内の講堂での演奏だったので、聴衆の多く音大生。ブーイングさえなく、諦めのため息をつかれた。一般の聴衆はパラパラとお義理の拍手をくれたが。
初めてこの曲を聴く人は、終わりさえそろっていれば”全員が間違っていた”なんてわからないかもしれない。
都京ではこの曲は、当然、レパートリーには入ってるので、本番が土曜日なら、練習は、金曜日・リハーサル、土曜日・ゲネプロで終わり。そう思ってた。違った。月曜日に午前中から練習があり、首をかしげながら会場の都京ホールへ行った。
本拠地のホールは、都内の比較的新しいホールで、各パートのための練習場所が用意されてた。トランペットは2階の奥の小練習室。
練習室には5人いた。まずは自己紹介。俺とあと一人がエキストラ。後は団員だ。このオケのトランペットの定員は3人なのか?俺は不思議に思いながらも「春の祭典」の練習にうちこんだ。月曜日は、エキストラのために設けた練習日だったようだ。
練習は、さすがに上手くはいった。ただそれだけって感じだけど。エキストラによばれる人はそれなりの技量があるんだ。ふふん。俺もだろう。ただ、合奏になるとどうなるか。午後の合奏が勝負だ。もう一人のエキストラは、先崎さんと同じようにフリーランスのトランペット奏者。
彼は31歳。中川 彬 さんという人で、手慣れた感じでパートの中に入っている。
管楽器の分奏も終わり昼休憩、午後からは合奏と言う時、トランペットパートのトップ(リーダー)の人に、昼食を誘われた。
噂で聞いた”雰囲気悪いオケ”は、ブラフだったのだろう。俺にはごく普通のオーケストラに感じられた(そう多くはエキストラをこなしてないけれど)昼休みは1時間半。トップの桶川さんという人は、温厚そうな40代の人。演奏ではこの人に合わせて...ってわけでもないだよな。パートが違うから、この人のリズムを聞きながらの演奏だ。
桶川さんが連れていってくれた店は、洋風ランチの店だった。パスタやオムライス、サンドイッチなどの軽食もあり。どちらかというと女子が好きそうな店だ。
黒縁メガネの桶川さんは、日替わり定食。俺も同じにした。(選ぶの面倒だし)
「新藤君だったね。日コン3位おめでとう。それにしても村井安奈ちゃんは、天才だね」
「はい。あの、周りの音から飛びぬけて際立ってました」
くそ!ここでも村井安奈ちゃんか。お世辞でもいいから俺のことだけ褒めてほしかったりして。ま、それだけ彼女がすごいのと、桶川さんが本音ボロボロこぼす人ってわかって、かえって安心したかも。
「ところで、新藤海人くんだっけ」
「海人って呼んでください」
「海人君ね。君、桜丘音大の院生だったね。これからの予定は?」
ランチにあるマトをフォークで取りながら、桶川さんは、軽く笑って聞いてきた。どうする俺?正直に答えていいのか?
「はい、師匠の兄弟子にあたる人がドイツにいるので、そこでしばらくは内弟子です。その間に国際コンクールに出るつもりでいます。今の処はそのくらいで...」
「そうかい。ドイツね。うんうん。もともと僕らのやってる音楽は、ヨーロッパ生まれだしね。向こうの空気を吸って雰囲気を肌で感じた方がいい。見聞を深めるという意味でもね」
桶川さんの、ホっとしたような顔と、笑顔で、正直に話して正解と思った。地雷がありそうだったんだけどな。
「本当は、エキストラは海人君じゃなくて、先崎さんにお願いするつもりでいたんだ。彼、何度かうちのオケでエキストラの経験もあるしね。顔なじみってとこか。今回は珍しく、先崎さんG響で演奏旅行を含めたエキストラがあるそうで、どうしても無理って残念がってたよ」
そうか、先崎さん。エキストラで何度か同じオケに来て、”顔なじみ”なんだな。残念だな。ここではペットの欠員は、先崎さんで埋まりそうだ。
「この間、彼にいろいろアドバイスをもらいました。なんといっても先輩ですから。」
「彼も日コン3位だね。女子高生にしてやられたってくやしがってたよ」
そうなのか?俺と話した時は淡々としていたけど。それとも、ポーズ?そりゃ、俺も悔しかったけど、そういうのを口にだせるほど、僅差ではなかった気がするが。彼女の多彩な音色は見習うべきところが多かった。ただあの素敵な音にも、落とし穴がありそうな気がした。今日の「春の祭典」の練習でフと感じたのただけだけどな。
「ところで、うちのオケ、ペットの欠員があるんだ。揉めてる最中。事務局は人件費削減のため、定員は4名って方針だそうだ。必要な場合はエキストラでって考えでね。6名いた所、一人は早期定年退職でやめたけど、一人は喧嘩のようになって退職してってね。それ以来、オケ団員と事務局が、リストラをめぐって、対立関係さ。」
「そうなんですか。大変なんですね」
俺を昼食に誘ったのは、半分、愚痴もこぼしたかったのだろう。俺が来年からしばらく日本にいないと聞いて安心したんだろうか。トップも板挟みになって大変だろう。
「でも、今日は団員が3人でしたけど。」
「ははは、春祭いれてフルで演奏してたらもたないからね。」
今回のプログラム。あと、「火の鳥」と、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲だっけ。確かにヘビーだよな。まあ、定期演奏会なら年間のプログラムが決まってるけど、リストラの話しで揉めてる時に、”春祭”やらなきゃいけないとは。言い伝え通り、”春の災典”だな.
「それと、海人君。君の音はツヤツヤしてて素晴らしいけど、周りの音色と合わせてね。ソロじゃないし。」
最後に爆弾を落とされた。これが言いたかったんだ。ミスター桶川。
土曜日深夜(日曜日午前1時ごろ)更新。週一のペースです。