新しい伴奏者
さっそく、桜井さんに連絡した。彼女はこの音大のピアノ科4年。
さっそく会う事に。
昼を食べながら、学内のカフェテリア(学食ってやつ)で打ち合わせすることになった。
午前中は、俺は講義もなく、学内の個人レッスン室で練習。
次の人が来て、 交代するように催促されるまでビッチリ。
ちょっとバテたかな。その後、図書室で、バロックの作曲家・ハイドンについてもう一度おさらい。
教会のお抱え作曲家で指揮者だったハイドン。
教会お抱え=当時の公務員みたいなものなんだろうな
”曲のインスピレーションがわいてきた、作曲だ”
って事じゃなくて、”いついつまでに、これこれにあわせた曲を数十曲”と頼まれる
忙しい生活だったそうだ。
演奏者ならどうだろう。もし、俺が楽団に入って、連日本番って事になったら、
きっと嬉しい。でも、だんだん練習不足から、演奏家じゃなく演奏屋になって悩むだろうな。
約束の12時にカフェテリアへ行くと、セリナちゃんは、すでに来ていた。
「ごめんごめん。ちょっと図書室によっていて」
「・・あ、いえ。私も今きたところで」
セリナちゃんは、”お嬢様が多いここの音大生にしては地味な子”って印象だった。
ショートカットで、チェックのブラウスに白いパーカー。
細い脚には、Gパンがよく似合ってる。
ここの音大の女子は、”いかにも女の子”って服装の子が多いので、
かえって、目立つかもしれないが。
「とりあえず、昼飯たべよう。日替わり定食、奢るから」
実のところ、日替わり定食二人分は、俺の財布には痛い。
「・・あのそれじゃ、悪いし・・」
と言いかけるセリナちゃんを無視して、俺は食券を2枚買った。
伴奏は、彼女にとって収入にはなるけど、確か今年、彼女も日コンにエントリーしてるって
聞いたから。断られないようにしないと。
(もちろん、俺のほうから断る場合もあるかもしれないが)
セリナちゃんも俺も、食べてる間中、無言だった。
最初のうち俺が2,3質問しても、むこうがスルーしたんで、
俺もどう話しかけていいか迷ったんだ。
ちょっと、俺にはきまずい時間が過ぎていく。
セリナちゃん 本当は、伴奏なんか乗り気じゃないけど、先生に断りづらかったのかな。
「で、伴奏の件だけど、1回、1時間。2000円。
コンクール当日は、一回の伴奏で5000円。でどうかな」
俺は勇気をもって話を切りだした。
今日は、こういう事から決めて、話を前に進めよう。
セリナちゃん、早口で
「あの、ヘタクソと思ったら、クビにしてください。
私、実は病気で1年留年してて、だから・・・」
その先の言葉が、消えていく。頭を項垂る。
何が不安なのかはわかる。
きっと彼女は、1年のブランクが取り戻せてないと思ってるんだ。
だけど、そんなはずはない。なにせ栄浦先生が推薦してくれたんだ。
「ははは、それは僕の言葉ですよ。”こいつのペット、ヘタ”って
思ったら、僕をクビにして下さい」
僕の冗談のような本気の言葉で、やっとセリナちゃん、緊張がとれたようニコヤカになった。
笑うと、無邪気な子供のようだな。
「これからよろしくお願いします。で日程なんだけど」
さっそく本題にはいる。
「今日の午後2時くらいはどうかしら。初顔合わせって事で・・」
「はい。じゃあ、レッスン室取ってお・・・」
「私、ピアノの練習のために、2時からとってあるから。そこで」
貴重な自分の練習時間をさいてくれるんだ。
小百合ちゃんでは、考えられないな。俺はいつも小百合ちゃんの練習時間とレッスン
日程にあわせるばかりだった。
思えば、ショパコンに出るくらいの意気込みで練習してたんだな。
それにしても、今日の2時か。っと、向こうは伴奏譜あるのか?ってか
セリナちゃんは、自分の練習ナシで本当にいいのかな。
2時からの練習、ハイドンのトランペット協奏曲をあわせた。
オケの部分をピアノで代用してひく、パターンだ。
楽譜は、小百合ちゃん→栄浦先生→セリナちゃんの経路で渡っていた。
二人での初練習で、セリナちゃんは、ピアノの伴奏をミスもなく、カッチリ弾いた。
「なるほど、新藤先輩は、どっしり演奏するほうですね」
「確かに森岡先生にもそういわれるけど、ハイドンだし。
初回だし、今日はいつもよりテンポは遅めでカッチリと吹いた。
あ、それと、俺の事は、カイトって呼び捨てでいいよ」
そのほうが、お互いの距離をなくすのには いいだろうし。
俺も桜井さんじゃなく、セリナちゃんと呼びやすくなる。
「じゃあ、カイト。私の伴奏はどうでしたか?」
どうもなにも、細かい処をすり合わせるのは、これからだし。
相性も、これからだ。
「ハイドンやモーツァルトの古典の曲は、オーソドックスにいくつもりなので、
問題ないと思います。問題は2次のフランセの曲かな」
「すみません、私も急な話だったので、ハイドンとモーツァルトはさらったのですが
他は、まだ譜読み段階です」
実はもう2曲、課題曲がある。Aプログのポストカードというトランペット独奏曲だ。
難しいのは当たり前として、作曲者のイメージと僕の受けた曲のイメージが、てんで違う。
自分でも腑に落ちない、と思いながらの演奏になってる。
あと、1曲は、ジョリベのコンツェルティーノって曲。本選の課題曲だけど、もちろん、
残るつもりで練習日程はくんである。
ところで、小百合ちゃんは、楽譜を渡したら、ろくに練習もしないで、
パラパラって弾くタイプだった。セリナちゃんは、事前にしっかり予習するんだ。
もちろん、小百合ちゃんが、”伴奏だからこのぐらいで”っていうような、適当な演奏を
する子じゃない。譜読みが早く、テクニックもセリナちゃんより上なんだろう。
「急な伴奏のお願い、申し訳ありません。どうぞ、よろしくお願いします。
フランセの曲ですが、”トランペットとピアノのためのソナタ”なので、
きっとぶつかることもあると思いますが、僕はそれも勉強と思ってますので
気にしないで、気がついた事、なんでも言って下さい」
小百合ちゃんとセリナちゃんが タイプが違うと思った僕は、早とちりだった。
二人は共通点が多かった。