セリナちゃんの告白2 ピアノが怖い
「私、一時期、ピアノが怖かったの。」
セリナちゃんは、そんな話しから始めた。怖いって、練習でトラウマになったとかか?
「私ね、小百合ちゃんとずっと幼馴染。でも性格は正反対だったかもしれない。私はどちらかというと、ノンビリしてたというか、練習も適当だった。高校の時からピアノのレベルも離されて行った。でも、その時は康子先生は、それほど強く私に指導しなかったわ。今、思うと、見放されてたのね。反対に小百合ちゃんは、かなり厳しいく指導されてたみたい。」
康子先生とは小学生の時から教えてもらってるそうだ。クセが強すぎる先生だけど、この間の香織ちゃんの一件で、”先生の言っている事が実感できた”ってセリナちゃん、言ってたよな。長い付き合いでも分かり合えなかったのか。
「”康子先生のきびしい指導”は、俺だったら耐えられないかもな。ピアノ科でなくてよかった。
長い付き合いだから、先生とは阿吽の呼吸というわけでもなかったんだ」
セリナちゃんは、”残念ながらね”と、紅茶を飲んでため息をついた。
「小百合ちゃんは、すごい努力家だったのね。高校の時に康子先生から指導された事は、時には夜遅くまで練習してたみたい。で、メキメキ上手くなっていった。その時の私は、”彼女は天才だから”で、何も不思議に思わなかったし、小百合ちゃん本人も、そうふるまってた」
いやいや、天才は天才。森岡先生だって、トランペットの天才女子高生の事は、別枠のように話していた。俺としては悔しい処ではあるけど。
「音大に入ってね。だんだん小百合ちゃんとの実力の差がさらに離れていくのが、つらくなったの。康子先生一門では、つねに比べられるもの。それに私、同門の弟子からイジメられた。ほら女子って結構、嫉妬とかがあるから。先生から認められ、周わりも納得する実力の小百合ちゃん本人には、ネタミとか嫉妬の心はあっても、何も言えなかったみたい。その分、私がいいように言われまくった。」
他の人に嫉妬をすることは、しょうがないだろう。そういう感情が人間の向上心を刺激する面もある。でも、実際に口にだしたり、ましてや八つ当たりはNGだろう。
「”実力もないくせに、大きな顔するな”とか、”小百合ちゃんの腰巾着”とかね。
小百合ちゃんと私はいつも一緒だったから。海人、誤解しないで欲しいんだけど、別に小百合ちゃんの側にいれば、自分も上手くなるとかは、まったく考えてなかったのよ。ただ、気が合う親友で私は彼女のピアノの音が好きだった」
「俺は、セリナちゃんの音のほうが好きだよ。小百合ちゃんの音には、なんというか”ドッシリ”したものがあって、俺なんかいつも負けてたよ。伴奏なのに、俺の音楽を立ててくれないし、
彼女とはよくケンカ腰で言い合いしてたもんだ」
決してセリナちゃんと言い合いをしてないというわけじゃない。言い合いの激しさが違うんだ。小百合ちゃんは伴奏や室内楽には向いていないかもしれない。
この喫茶店を選んでよかった。人の多い処で話しずらい話題だ。幸いに(?)ここは、閑古鳥が鳴いてる。証明も暗めでかえって落ち着く。
「そのうち、私も”小百合ちゃんのようになりたい”って思って、本格的に練習しだした。
康子先生も、厳しく指導してくれた。それはいいんだけど、ある時、”あなたの顔、鬼のようにこわばってるわよ。もっと優雅に”って、注意された事がきっかけで、私への中傷やからかいがひどくなったのよ。事実、私の顔はひきつり、ピアノを弾く時はこわばり、手もガチガチになっていた。それは自分のアセリが悪いのだから仕方ない。でも、私が練習してる最中に、これみよがしに、”ふふ、鬼というより山姥?””みっともないわ、一門の恥”とか言われだして...」
俺はゾっとした。本人を目の前にして、平気でそんな事が言えるんだ。俺だったら、そういう集中砲火をあびたら、キレるな。不本意ながら、暴力にでるかもしれない。
「そこからが、思い出したくもない地獄の始まりよ。ピアノは弾きたいのよ。好きなのよ。でも、練習するたびに、同門の皮肉な言葉が頭の中から離れなかったり、顔が鬼のようになってないかと鏡をみたり、かえって緊張して手がこわばったり。実際、腱鞘炎を少し起こしてた。そうしてるうちに、ピアノを触るのさえ、怖くなった。で、3年生の時、どうしようもなくなって休学。大学側は何か勘違いしてるけど、康子先生の私への”鬼発言”は、私は傷ついたけど、むしろ同門から”一門の恥”って、言われるのが耐えられなかったのよ。
で大学に復学した時には私の指導教授は栄浦先生になっていた。
以上、終わり。ごめんね暗い話しばかりで。でも誰かに打ち明けたかった。」
セリナちゃんの話しなら、俺はいくらでも聞くさ。これほどまでに重いものを背負ってるとは思わなかったけど。
「で、海人の伴奏をしてるうちに、音楽って楽しい。海人のトランペットの音は、灰色の私の世界を切り開いてくれるような音色だと直感した。あなたについていけば、いい景色が見る事ができるって。私の勘はあたった。あなたと練習するうちに、音楽の苦しいのも楽しいって、やっと思える様になった。そうしたらもう、自分がもっともっと上にいけるよう、前向きになった。軽井沢のセミナーもためになったし、楽しかった。ふふ、康子先生ったら、私が伴奏で出るコンサートをわざわざ聴きにきたのよ。暗いホールの中でサングラスかけてスカーフかぶって。」
それじゃ、昔の女スパイで、かえって目立ちまくりだ。
二人だ笑い転げた。康子先生、グッジョブ!おかげで、笑ってすっきりした。
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話しは、俺のドイツ留学の事になった。期間は未定(お金がなくなるまでかも)
その間に国際コンクールに出まくる。もし、向こうでオケ奏者とかプロの口があったら、そこで就職する可能性も0ではないって事も。
セリナちゃんは、真剣な顔でうなずいて、
「私も海人に負けてられない。日コンや浜松コンクールでいい成績がとれたら、留学したい。
それにしても、海人。ドイツ語の勉強してる?確か、日常会話くらい出来ないと駄目じゃなかったかしら」
日常会話?ドイツ語で?そうだよ。いろんな手続きも面倒そうだけど、ドイツ語を勉強していかないと、ダメダメじゃん。音大生の時に、基礎ドイツ語は確かに習ったけど、やたら面倒だったのしかおぼえてない。まずいよまずい。後、三か月だよ。
俺がその事で、ドっと落ち込むのを見て、
「大丈夫、考えようによっては、面倒な文法を覚えてしまえば、ドイツ語のほうが楽よ」
セリナちゃん出来るんだ。ああ女神さま。私にドイツ語の”アーベーツェー(ABC)から教えて下さい。
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