留学を前に、自分をふりかえってみた
留学か。俺は桜が丘音大に合格しただけで、有頂天になっていた。思えば2年間”有頂天”状態だったのかもしれない。楽しく、時に苦しくトランペットの練習をし、音楽の勉強をする。仲間と音楽のコンサートを開く。充実していた。
思えば、その時はまだ、高校の部活のノリの延長だったんだ。実際、俺は3年生になってから、”トランペットで食べていく事がいかに難しいか”いっていうのを、卒業生の先輩からイヤというほど聞かされた。
ソロ・トランペッターになる事が出来るのは、余程の才能の持ち主でないと無理。
リサイタルを開いてる奏者は、大抵は、金管アンサンブル、オーケストラ、吹奏楽団 などに所属し、合間にソロ活動をしている。
本業ではないけれど、例えば自衛隊の音楽隊、警察の音楽隊もある。音楽活動もできるが、例えば、自衛隊なら基本自衛隊員になるわけで、訓練が必須。しかもどちらも高倍率。というかプロのオケや吹奏楽団、その他、音楽隊も、結局、定員に空きがなければ、どうしようもない。
それでも俺は演奏家への道を進もうと決めた。同時に2年以内にプロとして食べていくメドがなければ、それ以上”無職”状態を続けない(学生をふくめて)と、決めた。
今度の留学は、俺にとっては、なけなしの最後のチャンスだ。そこでスキルアップ、海外のコンクールでいい成績を収める。その事でプロへの道を強引に開いていく。
それで無理ならあきらめる。残念だけどいつまでも両親に頼って暮らすわけにいかない。
”留学したって、コンクールでいい成績をとったって、それ演奏家につながる確実な道ではない事も、心しておかないといけない。
額に皺をよせ、よっぽど難しい顔をして歩いていたんだろう。突然、ファイルのようなもので頭を、叩かれた。
「優勝できなかった事で、悔しがってるのね。ほほ、若いわね海人」
「康子先生、なんですか?俺は3位ですよ。天才少女と競ってだから。満足です。少しは悔しいけれど」
まったく、傍若無人、神出鬼没、百鬼夜行の康子先生だ。今日はパステル調の色とりどりのひらひらワンピース姿。芸人か、芸術家なのかがわからない微妙なところ。一般人に見えない。
「あら、せっかく”3位”になった事への、お祝いを言うつもりだったのに。とりあえず、おめでとう海人。」
「はい、お祝いありがとうございます。これも伴奏のセリナちゃんのおかげですよ。わかってます。本番で何度か助けられました。はい。」
康子先生は、フフンって顔、”あらわかってるじゃない”と言わんばかりだ。
先生は俺の後をついて来た。カラフルなデカイ金魚にストーカーされてる気分。
「先生、あの俺、これから練習室にいくんですが...]
さりげに、ついてこないでくださいと、言ってるのだ。が、”丁度いい”と康子先生と一緒に、練習室に入る事になった。
「ジョリベの曲を吹きなさい。私が伴奏するから、光栄に思いなさい。青年」
いやいやいや、ありがたいというか、ありがた迷惑というか。
ジョリベのコンツェルティーノ。コンクールの課題曲で俺は今、のりにのってる。どんとこいだ。と堂々と吹いたが、惨敗した。何がって?ピアノの表現力に負けたんだ。ピアノが主旋律のところで完全に上をいかれた。邪魔してるわけじゃない。俺の意図をわかった上での伴奏だ、
「先生の伴奏は、素晴らしい。俺、わかってるけど、今はまだ合わせる事は出来ない。俺のほうが先生の表現力に見合った演奏をしてない」
こんな事いうの悔しいけど、事実だし、俺自身、その事を認めるためにだ。
「それはあなたがまだ”経験不足”っていう事よ。ま、人間性の差?」
康子先生に、人間性云々をいわれたくないな。ささやかに抵抗してみる。
「はい、”若い”ですから、経験不足の点は仕方ない面もあります。」
”若い”と俺は強調した。
「あなたの負けって事で、セリナちゃんを私に返してくれるわね。健人もね。二人は今が大事な時なんだから」
ちょっと待て、今の合わせはそういう意味だったのか?確かに先生のピアノのレベルに、俺の演奏が負けていたけど。
「セリナちゃんを返してって言われても、俺は拉致したわけじゃないし、彼女は喜んで伴奏を引き受けてくれた。これからは、これからは、わからないけど...」
言い淀んだのは、自分の留学の事が頭にあったので。
「セリナに、喝を入れてくれた事は、お礼を言うわ。セリナは、私の処に戻ってくることになったから。来年の日コン目指してこれから猛特訓よ。ああ、健人の事もね。いろいろ面倒みてくれてありがと。あの子も才能あるくせに、ウダウダしてたのよ。セリナが本選の伴奏に出た事が、いい起爆剤になったわ」
ええと、セリナちゃんは、訳あって栄浦先生(室内楽担当の先生)にソロのレッスンを受けている。その栄浦先生の処から康子先生の処に戻るって事か? 健人が才能あるって?それは。うそっぽいな。俺とジョリベをあわせた時には、彼はやっとついてこれただけだぞ。
「セリナちゃんは、栄浦先生から康子先生に”戻る”わけですね。来年の日コン目指すのは聞いてます。練習で忙しくなって、俺の伴奏どころじゃないでしょう。そういう事ですね。理解できました。でも、健人のアホに才能があるっていうのは、信じられないっすね」
練習室のピアノのイスにどっか座り足を組んでる。次は”コーヒー”って命令されそうだな。
「タコちゃんには、あるのよ。この私が見込んだ子だからね。あなたが健人の伴奏に”全然だめ”って、最後にダメだししたのが、その証拠。」
帰ってもらおうか、それともジックリセリナちゃんの話しでも聞こうか。いやいや、セリナちゃんの事は、本人から聞くべきだ。それに今となっては、無理に聞き出した所で、俺は日本を離れる事になる。聞いてもフォロー出来ない。
ところで、留学の事、セリナちゃんにはどう伝えよう。俺が日本を離れたらショックだろうか。ショックを受けて欲しいような気もするが。
俺も頭がヒートアップしてきた。ここらで、考えるのは小休止だな。
「康子先生、コーヒーでもいれましょうか?」
「気が利くじゃない。でも、もういいわ、私は今はこれよ。アンチエイジング?私はそんなの気にしなくても十分に美しさは保ってるんだけどね。予防のためよ」
康子先生の取り出したのは、今はやってる飲料水だった。水素が入ってるやつ。
康子先生、あなたは、おっしゃる通りアンチエイジングなんて、気にしなくていいですよ。
あなたの”服装”、演奏と心は、十分若いですからね。と、俺は心の中でイヤミを言った。
土曜日深夜(日曜午前1時ごろ)更新します。週1の更新です。




