脳内音楽
曲を練習しすぎると、練習を終えても頭の中にその旋律がつねに鳴ってる状態になります。
「本選出場、おめでとうございます。新藤先輩。」
学内で見知らぬ女子から声をかけられた。純粋におめでとうと。俺の本選出場は、噂が学内をめぐってるのか?と思ってたら。よく見ると、玄関の正面に桜が丘音大で、日コン本選出場をきめた学生の名前と写真がのっていた。ここでは、俺とピアノ科4年が一人、だけだった。
照れくさいというか、プレッシャーが少しかかる。学校代表みたいじゃないか。
”一緒に写真いいですか?”とか。これは、ピアノ科の女子。ショパンの楽譜を持ってる。その後もひっきりなしに声をかけられる。モテ期到来ってわけじゃなさそうなんだな。残念ながら。
「よ、海人、おめでとう。さすがだな」
同期の辻岡が声をかけてきた。俺は”それほどでも”とか、口に出かかったが、やめた。彼は本選に残れなかったんだ。1次予選、通らなかった。そんな彼に謙遜な態度はかえってまずい。
「まあ、大分練習したしな。それに演奏中いろいろあったけど、セリナちゃんのピアノに大分助けてもらった。」
辻岡は、”そうだよな”って顔で、俺の肩に手をかけニヤニヤしてる。
「やっぱりな。伴奏の子、セリナちゃんっていうの?彼女、すごく上達したって話しだぞ。俺はたまにしかお前の演奏を聴かないのに、わかった。tp4ピアニストの腕前がわかるラッパ吹きとよんでくれたまえ」
基本、辻岡は明るい性格だ。反面、お気楽で楽天家だ。そんな辻岡が、スランプと森岡先生から聞いた時には、意外だった。ダメダメ演奏をして”どうです?僕って優勝できそうでしょ”と、平気で言うタイプなんだ。
「まあ、セリナちゃんについては、その通り。栄浦先生に紹介してもらって、二人で合わせ練習をしだした時は、結構、苦労した。ジョリベとか曲自体が難しいからさ、自分の演奏で手いっぱいで、合わなかった。彼女、真面目なんだ。努力の結果?てやつさ。」
もっと正確にいうなら、健人と同期の香織ちゃんの事があってから、彼女の前の先生・康子先生について、誤解がとけたようなふうだった。そして、夏の軽井沢セミナーの後の彼女は、小百合ちゃんばりの、弾き手になった。
「僕はさ、伴奏家のプロに頼んだよ。さすがプロでやりやすくて、これでランプ脱出できたと思った。1次予選は通ると思ってたんだけどね。演奏で普段は間違えない箇所で、発声でくぐもったり、曲の最高音の音程が若干低かったりと、ミスった。調子は良かったんだよ。スランプ脱出できたんだ。でも、本番で一度、小さいけどミスるとあせってしまって、調子がもどせなくてね」
辻岡は、そんな事を俺に打ち明けてくれた。事務室で練習室の鍵をもらい、コンクールの噂話をしながら歩く。俺はこの後、昼ぐらいまで、一人で練習、午後3時からはセリナちゃんがはいって、森岡先生と栄浦先生のダブルで特訓だ。
「新藤、お願いがある。セリナちゃんとの合わせ練習、見学したいんだけどもな。本当はもっと前にそうすべきだったと反省してる。」
”先生のレッスンだけど、許可してくれるだろうから”と辻岡に返事し、お互い、とってある練習室に籠った。辻岡の話しの中で、俺は2つほど、ドキっとする点があった。
俺はコンクールの時、他の演奏者の演奏をろくに聴かなかった。セリナちゃんに”勉強になるんじゃない?”って言われたけど、他の人の演奏を聴いてる時間を、自分の練習にあてたかったから。それは、かならずしも正しくはないんだ。辻岡の言ったように他のコンテスタントの演奏も謙虚に聴くべきだったのだ。
ただし、俺に耐えられるだけどメンタルがあるかというと、答えは”ノー”。他のコンテスタントの演奏を聴いて、自信をなくすだけならまだいい。天才少女・安奈ちゃんのやり方をマネして、他の演奏者のいい処を、即座に取り入れると、自分の演奏とまじってバランス崩れそうで怖かった。
もう一つは、一つのミスにパニくって次のミスをうんだ って処だ。予選では絶妙のタイミングで、セリナちゃんのピアノに助けられ平常心を保っていられた。それって情けないんじゃないか?
俺は豆腐メンタルのヘタレで情けない奴だったんだ。
午前中の一人での練習は、その事がグルグルして、集中してなかった。ただ疲労しただけ。もっと疲れたら、頭の中もかえってスッキリするかもと、昼前に練習をやめ中庭に出た。幸い青空のもと、北海道出身の俺には”まだ夏だ”という日差しの中、軽くジョギングした。
当たり前だけど、暑くて汗をびっしょりかき、ヘロヘロになった。思惑通り、悩んでいた事を脳内の隅に閉じ込める事に成功した。
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「お、辻岡君、見学だ。うんうん、いい事だ。日コンだけじゃないから、なんでもいいからコンクールにエントリーしなさい。私は君は、1次予選は通ると思ってたんだ。まあ、本番になると、精神的な面も試されるのか、いろいろ起きるしね。終わった事が気にしないで、頑張る。
ファイト!」
森岡先生の前向きエールに、辻岡は少しだけ目を潤ませ、うなづいてた。逆の立場だったらどうだろう。俺が落ちて辻岡が本選にでることになったとして、すぐ頭を切り替えられるだろうか・・。いや、切り替えなければいけないんだ。俺は”プロの演奏家”になりたいのだから、その気持ちで頑張る。うん出来る。自分を信じなくてどうするんだ。俺!
練習は、ジョリベの曲から始まった。
”そこの音色は、もっと際立たせて。前のフレーズを考えて、こう吹く”
”でもそれじゃ、あっさりしすぎで、印象が薄くなるんじゃ”
”ここは、もっと最初の音を重く吹きたい。次の伴奏が音が大きいから”
”伴奏じゃなくて、コンクールの採点対象はカイトだ。君がどう演奏するかだ”
俺はまだ反抗期だったのか?森岡先生のアドバイスに”いや違う”と思うと、言わずにいられない。アホだな。俺は。言われた通りに演奏すればいいものを。
「セリナちゃん、伴奏いいかな。海人に3楽章、実際に聴かせるから」
先生とセリナちゃんの演奏は、当然、合わせただけだった。セリナちゃんは不満が残ったらしく、「先生、もう一度吹いて下さい」と2回目の演奏が始まった。
セリナちゃんは、びっくりするほど演奏を変えてきた。俺じゃなくて、先生の演奏にあわせようとしてるんだ。
「海人、わかったかい?フランセの曲と違って、ジョリベの曲はコンツェルティーノだ。協奏曲だよ。海人が主人公だ。もちろんピアノの独奏の処もあるけれど、伴奏はそこも海人の演奏にそった弾き方をする。セリナちゃん、どうもありがとうね」
それから1時間半、ジョリベの曲をみっちり練習。テレマンは30分の練習しか出来なかった。明日から本選まで、時間の許す限り特訓してくれる事になった。
その夜、俺はなかなか寝付けなかった。頭の中でジョリベがリフレインしてる。なんとか寝たけど悪夢で苦しめられた。悪夢というか、コミカルアニメというか。手足のついたトランペット父ちゃんが、タッカタッタと旋律を口ずさみながらスキップして、俺にまとわりついてくる。
翌日、セリナちゃんにその夢の話しをしたら、
「ははは、楽しそうな夢。海人って想像力バッチリね」
俺は、頭が混乱して大声で叫んだ夢 だったんだけどな。
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