遊びも勉強のうち
大学院は専門分野を狭く深く研究する。マスタークラスと言ってもいいか。
レッスンは、自分の音楽性の表現能力が師匠から追及される。
昨日は、あのあと、智春先輩からメールがあった。
”楽器のメンテについて、業者と交渉中”との事。
そういえば、塚田君に、ましな楽器は、あたったろうか?
聞いてみると、なんと自分で楽器を購入するって、本人、意気込んでるそうだ。
今回のように、一日でも音楽の仕事が入るのはありがたい。
札幌の両親からの仕送りだけでは、正直、しんどい時がある。
学校の授業以外、吹奏楽部に入り、金管アンサンブルをやってたので、
一応、それらの演奏会を開くとなると、一苦労なんだ。
大学の専用のホールを安く貸してもらえるけど、やはりお金はかかる。
そのほか、来日した有名トランペッターの演奏会に行くとか、
学生対象の音楽セミナーに参加したりとか、
コンクールに出たりとか・・無論、別途、お金がかかる。
一般の大学生から見ると”遊び”の中に入る事なのだろうけど、
僕ら音大生にとっては、演奏会を開く事は、将来のための模擬みたいなものだし、
いい演奏会を聞き、セミナーで勉強する事は、大学では学びきれない部分を、
補ってくれる。
それに、大事なのは、そこで友達や知り合いを作る事。
そこから、プロの演奏家になる機会が、あるかもしれない(あくまでも”かも”だけど)
ってわけで、万年、金欠なわけで・・
バイトも考えたけど、結局、昼間は練習、夜間は楽譜の研究にあてたりしてるし。
自分の演奏に本腰いれないと、実は、まじやばい。
日本音楽コンクールにエントリーしてあって、なんとしてもこのコンクールで
上位に食い込み、就職するためにも、名前を売っておかないと。
朝、桜丘音大大学院の校舎まで、走って行った。5月とは、もうすでに夏の気分だ。
汗が止まらない。趣味のジョギングではなく、これもトレーニングの一つ。
管楽器奏者にとって、肺活量と体力はとても重要だ。
広い敷地内でも、ジョギングをしてる学生が何人かいる。
そうそう、早急に伴奏者を手配しないとな。
思いつく限りの友人、知り合いを頭に浮かべた。
だめだ。コンクールの伴奏を引き受けてくれそうなピアノ科の子はいない。
トランペットの、レッスン時は、伴奏の先生が大抵はついてくれる。
それ以外、試験やコンクール、自分の演奏会を開く時は、伴奏者は自分で
見つけないといけない。
今まで俺は、小野小百合ちゃんという、ピアノ科のマドンナが伴奏をしてくれた。
同期で、卒業と同時に、”ごめんねカイト、私も今年は勝負の年なの”と言って、
フランスへ留学してしまったんだ。
小百合ちゃんは、うちの大学のピアノ科の輝く星。
長めのセミロングの髪はストレート。色白で笑うと優しそうな目。
可愛いだけじゃなく、ピアノは、去年の日コンで2人の2位のうちの一人、
ちなみに、一位はその年は出なかった。実質、優勝ってことかな。
そんな小百合ちゃんが、俺の伴奏者を引き受けてくれたキッカケは、合コンだ。
初めての合コンで、小百合ちゃん、お酒を飲むピッチがはやくて、ダウン。
場が盛り上がっていた時だったけど、早々に、俺は彼女
をタクシーにのせて自宅まで送っていった。
”お前、あんとき、上手くやったんだろう”と、小百合ちゃんのファンからは
やっかまれたが、正真正銘、何もしなかった。
その後、小百合ちゃんに伴奏者を頼むと、快諾してくれた。
伴奏者としての彼女は、基本、俺に合わせてくれたけど、
マイペースな所もあり、小さな事で何度か口喧嘩しながら
曲を仕上げた時もあった。思えば、喧嘩しながらも楽しかった。
1年の時からの付き合いだけど、友達以上にはならなかった。残念な事に。
例え二人でいたとしても、やっぱり話題は音楽の事になり、
そんなロマンチックな雰囲気にはならなかったからかな・・・。
俺も、小百合ちゃんは、”男友達”目線だったし。
ところで、今日は、俺のレッスン日。
担当の森岡先生から、レッスン後、話があるから時間をあけておいて。
って言われてる。
俺、何かやらかしたか?高校での指導は上手くいった。(と思う)
もしかしてその前の、エキストラの演奏?
バンダで出番が少ないとはいえ、エキストラとしての演奏は、緊張の連続だったっけ。
俺は自分の演奏を思い出し、”うん、ミスはしなかった”と確認して
指導官室へ、恐る恐る入った。
「あら、新藤君、残念ね。森岡先生、急に高熱が出たとかで、今日はお休みですって。
スマホに休講の連絡が入ってたんだけど、それ見た時には、私、もう来てたので」
まるっこい体型で、コロコロ笑うように話すのは、森岡先生のレッスンの時に
伴奏をしてくれる、栄浦先生だ。ピアノ科非常勤講師をしてる。
森岡先生は、音大の講師というより、”高校の体育教師”のようながっしりした体格。
高熱で休講とは・・こういうの”鬼の霍乱”っていうんだっけ。
スマホ確認すると、お休みのお知らせと、宿題が出されてた。
”来週までの、毎日の基礎練習、エチュード 内容と感じた事をレポートで提出。
コンクールの課題曲の作曲者の一人、プログについて調べる事”
調べる事の方は、わけはないけど、毎日、感想を書くのは 小学生か!ってつっこみたい。
でも、案外、難しいか。
「ところで、新藤君、小百合ちゃん、留学したって聞いてるよね。
彼氏追いかけてなんてふざけた事、言ってたけど、本当は、ショパンコンクールに
エントリーして、もう予備審査は通ったみたい。
あの子の師匠の伊藤康子先生なんか、ほうぼうで自慢してたわ。
まあ、小百合ちゃんの事はおいといて、新藤君、新しい
伴奏者なんだけど、アテがある?」
そうなのだ。俺も小百合ちゃんから留学の話を聞いて、音楽家の卵として応援しつつ、
彼女と同等の伴奏者となると、なかなかいないかもだ。
プロだとギャラが高いし。
今日、森岡先生に相談もするつもりだったんだ。
「確か、日コン、9月が1次予選よね。桜井芹菜って子を私からの推薦するわ。
私が教え子の一人なんだけど。どうかな?」
「もちろん、お願いします。すぐ連絡します」
「もし相性が悪いようなら、遠慮なく断ってね。」
レッスンで伴奏してもらってるベテラン講師からの推薦。当然、ありがたく
桜井さんの電話番号を書いた紙を、押し頂いた。
これで、悩みの種が一つ減った。ホッ