こんな顧問はいらない
3年生の退部は、俺たちの時もあった。数名の生徒が大学進学に専念するために、2年で部活をやめていく。俺も、3年生の時は、吹奏楽部への出席率は、かなり低かった。音大の入試のための、楽典、個人レッスンと忙しかったからだ。
でもだ。一人もいないってのは、どういう事なんだ?学校側が何か言ってきたのか?
「あの、新藤先輩、実は去年のコンクールで地区大会で、ダメ金とった時ぐらいからなんです」
ネームプレートに、佐々木 とかかれた女子が、説明してくれるようだ。
”あんまり部外者にいう事じゃない””ちょっと、ウチらの恥だよ”
佐々木さんが、詳しく説明しようとすると、批判の声が上がった。
「確かにOBとはいっても、一度も指導に来た事ない。指導のほうは前の顧問の恩田先生に頼まれました。今は桜が丘音大の院生です。専攻はトランペット。地区大会も近いので、合奏指導をします。メンバーの事だけど、今更どうしようもないでしょう。26人でなんとか頑張りましょう。ところで、地区大会には、当然、でるんだろうね」
部外者と言われ、ムっときたが、彼らにしたら、当然かもしれない。OBとはいえ、俺の顔も見た事ないのだから。
「C編成にエントリーし直して、曲も変えました。ホルストの組曲第一から1楽章と3楽章です。あのこれは、恩田先生にアドバスもらいました・・」
佐々木さんが、不安そうに言う。まだ、何かあるのかな。その曲なら最低19人でできる少人数用の曲で、とても難しいというわけじゃない。いわば基本の名曲だ。
「あの、本当なら恩田先生の後任の里中先生に指導してもらうはずだったんです。でも、部活で
今年度最初の日に、”私は仕方なく顧問を引き受けましたが、吹奏楽の事は、わからりません。君たち、今まで通り練習しててください。”って、宣言されてしまって・・・。」
音大卒業→音楽教師でも、吹奏楽の専門家ではないんだ、普通は。里中先生は、多分、管楽器以外の楽器の専攻だったのだろう。吹奏楽の経験もなく、基礎知識くらいとかか?。それにしてもだ。もっと言い方ってもんがあるだろうに。人数減った部をつきはなしてどうするんだ。
さっそく合奏に入った。”なんとか合わせる”どころか、1楽章と途中で、演奏がとまってしまった。どちらかというとユッタリとした曲だから、かえってわかりづらいのか。
指揮は、2年のコンバスの生徒がやっていたが、演奏指導までは無理だろう。佐々木さんの不安はこれだったんだ。
時間がない俺は、指揮を交代して、3楽章を演奏させてみた。マーチだからリズムが揃えば、最後までいくだろう。指揮というより、指揮棒で譜面台を叩いて、拍子をとった。
「ところで地区大会はいつ?」
「後、1週間後です」
俺は、固まった。
本当に今すぐ回れ右して帰りたい。この演奏をどうすれと・・
1楽章は最後まで出来なかった。3楽章は、最後までいったけれど、リズムがブレブレだった。
音とか和音とか、絶望的だ。里中って、指揮の基礎は習ったはずだよな。一応、音大か教育大の音楽専攻科を卒業してるなら、スコアくらい読めるだろう。
いくら吹奏楽の知識がないからといって、最初から生徒に丸投げしてどうするんだ。もしかして、恩田先生は、この部を俺になんとかすれと?
高校時代、”恩田は狸だ”と思ってたけど、大化け狸の間違いだ。佐々木さんからの相談で部の窮状は、わかっていたはず。俺は今日の最終便で帰るって言ったのに・・。
仕方ない、大急ぎで、なんとかごまかして演奏できるまで、特訓するか。
今度は俺は生徒指揮の後ろに立ち、時々、指揮の指導や曲の注意点を教えながら、1楽章をやりなおした。
”はい、ここFLが旋律ね、休みのパートはカウントする。それと、旋律以外のパートはあまり頑張らなくていいから。リズムと出だしだけそろえて”
”OK この際だから、そこ、バーンっとだして、最後はちょっと遅くして盛り上げる。曲がいいから、聴衆は感動してくれるかも。
”1楽章は、入りが難しいと思ったら、リーダーに確認すること”
1時間半はやったろうか、もうこれで俺の指導はいいだろう。後は生徒にまかせて。
「じゃあ、俺の指導はこれまで。コンクール、C編成だけど、楽しんでください。」
俺は、生徒に挨拶をして、出ようとしたら、引き止められた。
「先輩、もっと教えて下さい、少しの間でいいですから」
というわけで、昼休み抜きで1時半まで特訓。この生徒たちはやる気がないわけじゃない。
困ってるだけだ。金管の指導もしたい所だったけど、結局、合奏だけでシゴクことになった。
職員室に帰ると、里中先生が、ノンビリコーヒーを飲んみながら雑誌を読んでいた。
「月刊リスト」か。ピアノ科出身だ。時間があるなら、吹奏楽がわからないなら、俺の指導を見てみるとか、少しは努力してもいいと思うんだけどな。
里中先生は俺に気づくと、”お疲れさま、ご苦労様でした”と挨拶して、又、雑誌読み始めた。
いくら年下でOBだからといって、曲りなりにも指導した俺なのに・・・
言いたい事が山ほどある。俺のアドバイスを聞いて、里中先生が部に正面から向き合ったとする。でも今更、彼と部員との関係が、すぐ修復できるとは思えなかった。
手を握り締め、里中を睨みながら、”じゃあ、失礼しまっす” と、職員室をでた。
靴を履いてる時、林先生があわてて追って来た。
「もしかして、新藤君、かなりキレてる?」
「なんですか、あの里中先生。最初に”指導できないから”って生徒を放り出して」
林先生は困ったように、首をかしげ腕を組み
「僕も、吹奏楽部の生徒から、何度か苦情を受けてるんだ。クラスの子に3人、部の子がいるからね。でも、新藤君から見てどうだった?里中先生」
「どうもなにも、もう部の生徒との関係修復は無理ですね。特に2年は恩田先生の事を知ってるから余計に。2時間以上、突貫工事のように指導しましたが、後は生徒しだいでしょう」
そう、1週間しかないから、後は生徒が危機感を持ってくれれば、部全体がまとまって、それなりの演奏は出来るんじゃないかと思う。ただ、他の事が問題だ。楽器運搬の手配とか、ステージでのあれこれとか。ようするに裏方仕事。
「林先生、コンクールは会場への楽器の運搬とかもあるし、結構、仕事あるんです。そういうの、大丈夫ですか?顧問の里中先生があれでは・・」
「里中先生、部活の顧問は本当は断りたかったらしいよ。実は僕は吹奏楽部の副顧問でね。本当は羽球部に顧問なんだけど、管理職に頼まれて兼任。音楽は本当に中学校卒業レベルなんだ。それでも、裏方仕事はちゃんと手配するから。困った時は恩田先生に”助けて~”ってメールする」
思わず、笑ってしまった。思い出した。林先生って、”羽球命”の熱血教師だった。その先生を動員するなんて、この高校も本当に人材不足だな
部活は本業ではないとはいえ、里中みたいな教師が顧問になった部の生徒は不幸だ。
あれなら、さすがに俺のほうが”まし”だ。
*** *** *** *** ***
家に帰ると、母さんが”あんた遅い。いったい何をやってるの”とお怒りの言葉と同時に、お握りを渡された。それから、母さんは、自分の仕事用の机まで俺を呼ぶと、通帳と印鑑を渡した。俺名義の預金だ。
「これ、少ないけれど、もし、留学したいなら、少しは役に立つでしょう」
「母さん、これ300万ある」
「ふふふ、不労所得よ。たまたま宝くじが当たったので、それをもとでに株取引をやったら、そこそこふえてね。誰にも内緒ね。それにもう株はやってないから、心配しないで」
株は半分、ギャンブルのような所があるからな。
母さんには、言葉でいいつくせないくらい感謝だ。俺は留学は憧れだ。海外でのコンクールにも出たい。それに先立つものは、やはりお金なのだ。
「そうそう、JR千歳線、運休だそうよ。今、父さんが帰ってくるから、空港まで送るって。荷物は全部できたの?そうそう、これ、レトルトのカレー、ご飯、カップラ~メンにビタミン剤。いろいろ入ってるから。手間がかからないものばかりだからね。食事だけはとるのよ」
母さん、ありがとう。食費を浮かすことが出来る。それにしても、運休か・・。父さんがいなかったら、最終便、アウトだったかも。
そうして、俺は最終便に乗り込んだ。冴木君と同じ便だった。
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