父と対立 父には僕のことはわからない
それは、俺が決めた事だったんだ。院生の2年間のうち、1年のうちに、仕事を決める。だから、1年分の生活費と学費を、親にお願いした。俺の決意とケジメのつもりだった。
でも、”プロの演奏家になる”道筋は、今だない。不安に思う気持ちより”まずコンクールの事で頭が一杯だからだ。逃げ口上かもしれないけど。
父さんが、疲れて帰って来たのは、夜の6時。なんでも、他校での会議が早く終わったそうなのだ。(バスケ部の顧問をしてるので、普段の帰りは8時すぎだとか)
父さんは、俺を見ると疲れた顔から、教師の顔にはやがわりしたように、ビシっとした。
「父さん、お疲れ。母さん、さっき帰ってきたばかりで、今、あわてて準備してるよ」
”うm”とうなづく父さんは、背広を着たままで、ソファにすわり腕組みをした。
「海人、ちょっといいか?実は就職の事なんだけどな」
”いいか”?とききながら、勝手に話しを進めていくつもりなんだ。
「お前、教員免許はとってあるだろうな」
うmm。実はとってない。ちょうど教職課程の授業と、自分の取りたい授業がかさなった。
「いや、免許はとってない。音楽指導は履修したけど、教職の専門教科はとってない。だいたい、俺は、教師になる気はないし、俺の頭じゃ採用試験なんて絶対受からないってわかってる。
父さんも、俺の高校時代の成績は、知ってるだろ?」
父さんは、俺の言葉を聞いた途端、しかめっ面になった。ちょうど、母さんが、俺と父さんに麦茶をもってきてくれた。ゆでた枝豆もあって、気分はビールで一杯だけど、生憎と父さんは下戸だ。
俺の言葉を受け、父さんは微妙に機嫌が悪くなった。母さん、その雰囲気にちょっとビビリ気味であわてて、台所に逃げて行った。
「まったく、お前は勉強に関しては、はなからやる気なしだな。今からでもいい。教員免許をとっておけ。教育実習は母校で出来るだろう。学校で上手くいかないのであれば、通信制で免許を取る事も出来る。その分の学費は、出すから心配するな」
何、その決めつけは。塚田の父さんより、頭、固いじゃん。仕事まで指定してくるなんて。
でも、いったい今頃になってなぜだ?
「父さん、俺は断言する。教員採用試験には、絶対に受からない。だから免許をとるだけ無駄。
だいたい、今の採用試験、競争率60倍とか80倍とかありえないくらいに高いの知ってる?」
「まあ、高校の時のお前の成績だったら、受からないほうに100ユーロかけていいな。でも、免許だけはとっておけ。公立は駄目でも私立の音楽教師っていう道がある。ほら、お前もしってるだろう?私立山野高校。あそこの音楽教諭が、健康上の理由で来春、辞めるそうだ。道の採用試験は無理でも、私立高校の音楽教師になるという手もある」
私立高校の音楽教師か。俺は智春先輩の事を思い出した。部活のほうは、俺に早々に指導を頼むくらいだから、智春先輩、本業でかなり忙しいんだな。両親とも教員だから、よくわかる。
教師の仕事量は、半端なく多いんだ。
「俺は、吹奏楽部を教える事は出来る。少しだけど指揮法もならったし。音楽指導の知識もある。生徒と上手くやっていく自信もある。だけど、生徒の父母とやっていくのは無理だ。6月だったか、一度、行っただけの吹奏楽部の生徒と父親にさんざんふりまわされた。ああいうのは、まっぴらごめんなんだ。それに、私立高校の音楽教師は、吹奏楽で有名な指導者を、採用したりするし、公立よりある面、難しいんだ。吹奏楽コンクールの指導実績がないと、門前払いだよ。
それに、父さん、僕は、プロの演奏家で生活して行きたいんだ。音楽教師になりたいわけじゃない。バイト程度で 指導する事はあるにしても」
塚田親子といえば、彼らはどうなったんだろうな。メールがどちらからも来ないって事は、上手くおさまったんだろうか・・
俺は言いたい事を言いきったし、麦茶をのんで、もう東京での生活の事を考える。コンクールまでの練習スケジュール、考えないとな。そうだ、セリナちゃんとまた練習の日程を組んでおかないと。考え事は、テーブルをたたく音で中断された。
「海人、父さんが、真面目に話してるのに、上の空か。それとも私の声が小さかったか?」
父さんは、一気に麦茶を飲み干すと、母さんにお代わりをくれと大声で頼んだ(ビールじゃないのに、まったく)俺も不注意だった。父さんの話しをスルーしちゃったんだ。
「父さん、ごめん。俺、9月のコンクールにむけて、これからの練習の事で頭が一杯なんだ。でも、どうして、急に教員になれなんて。就職は自分で決めるよ、父さんの指示はうけないから」
父さんは、急に難しい顔になった。
「海人に、最初にトランペットを教えてくれた先生、覚えてるか?」
「ああ、若いお兄さんで、山坂先生だったかな。教えてもらったのは、中学校までだけどね。
優しい先生なのは覚えてるよ。高校入学時、先生から音大進学希望の生徒を教える専門の先生を紹介されたんだっけ」
「その山坂先生だが、この間、居酒屋で会った。店員のバイトをしてるそうだ」
楽器店のトランペット講師をしながら?それとも講師もバイトだったとか?
「お前が音大に入った後も、山坂先生、何かと私に相談事を持ってきた。主に指導に関する事だけどな。熱心な先生だったけれど、彼の本当の希望はJAZZトランペッターになる事だったそうだ。先生は、トランペット教室の講師は辞めた。JAZZに専念するために。私がその話しを聞いた時はバンドメンバーを探してる最中だと言っていた。その後、居酒屋で会って少し話したが、バンドのほうは、殆どプロでやっていくのは無理らしい。もっぱらバイトで生活してるそうだ。講師をやめなければよかったのにな。音楽に専念したいと辞めたのが、失敗の元だな。
お前がどんな演奏家を目指してるのか知らんが、やめとけ。それこそ教員になるより難しい道なんじゃないか?」
ところで、父さん、JAZZは俺には無理だ。アレンジもごくシンプルな演奏しか出来ない。だいたい、最初に譜面がないと、出来ないタイプだ。俺は。JAZZプロプレイヤーを目指す人は星の数ほどいるだろう。クラッシック音楽のプロの世界も、実は似たようなもんなのだ。俺は黙るしかなかった。
「お前は、プロの演奏家になぞならずに、給料と身分の安定した教員になれ。私の息子ならその才覚はあるはずだ。努力すれ。」
もう、教員になるって、決めつけですか・・。残念な事に父さんに、俺の夢、”プロのトランペット奏者になる”って事に賛成してもらえるような、いい情報がない。
山坂先生が、俺と離れたあとも、父さんを頼ってたのは、知らなかったな。父さんもなんだかんだいって、相談にのってたんだ。俺の”相談事を持ちかけられる才覚(?)”は、父親ゆずりだな。それでも、俺は教師の道はないわ。
「心配させて悪いけど、俺は、教師になる気はさらさらない。教職課程をとるぐらいなら、その分、練習する。」