暴走サックス
昼休みは、12時から45分間。残りは、合奏練習のための準備にあてる予定だ。
俺はコンビニ弁当をつつきながら
「先輩、ペットもだけど、他の金管もメンテナンスが必要のようだけど、
ここでは、どうしてる?」
先輩は、ボソボソと
「ここ、2,3年、専門のメンテに見てもらってないんだ。
何せ、お金がかかる事で、今の理事長は音楽に興味があまりなくて、
予算は、ギリギリしかでないんだ。
これでも、5年前までは、吹奏楽の強豪校で、生徒の指導にも、
楽器にも多く予算がとれてたらしいだけどね。」
私立高校は、スポーツや吹奏楽などの部活動に、力を入れる場合が多い。
生徒が多く集まるようにだ。
「スポーツや音楽より、まず偏差値を上げて、有名大学への進学率を
高くするのが、今の理事長の当面の目標らしい。
有名な進学塾の講師を、講習にバンバンいれて、平日は1時間半。
土曜日も午前中。教諭は原則、休みだけど、ウカウカしてられないから、
塾講師の講習を、見学してるよ。
まあ、音楽の授業はそういう点では気楽なもんだけどね」
二人で、音楽準備室でもくもくと食べながら、先輩の音楽の授業を
してるのを想像してみた。
ポヤンとした先輩に、生徒はちゃんとおとなしく、授業を受けてるだろうか。
若干、心配ではある。
1時を少しまわったころに、午後の全体練習が始まった。
曲は、コンクールの課題の中からマーチを1曲。
あとは、定期演奏会で演奏するポップスから1曲。
コンクールの自由曲は、まだ決まってないとの事。
そろそろ、自由曲、決めないと、コンクールに間に合わないんじゃないか?
音楽室に全員集合。出口側の中央に先輩・指揮者で、俺はその後ろで
イスに座って、まず演奏を聴いた。俺がすることは、基本的なチェックだ。
課題曲のマーチを、とおして演奏してもらった。
ミスがあっても、この部の現状をありのまま聴きたい。
演奏では、先輩、皆がわかりやすいようにふってる。
ハタから見ると、指揮初心者にもみえるが、このほうが、生徒は吹きやすいだろう。
先輩、緊張気味だ。
課題曲のマーチは、無難にまとまってるように聞こえたが、細かいところで
パート内でバラツき、パート同士のアンサンブルもできてなかった。
自分のパートだけ必死で、他のパートの音を聞いてないのだろう。
他のパートにメロディを受け渡す所とか、旋律をささえる”伴奏”の所、
全然、出来てない。とりあえず基礎的な事ができてないんだ。
セクション練習の不足かな。
演奏が終わって、助言を求められたので、思った通りのことを述べた。
これは楽器演奏のテクニックの問題というより、
智春先輩の指導力の不足もあるかもしれないが、生徒にも覇気がない。
パート内がまとまってないという事はまだ”部”として、未熟なのだろう。
全体練習では、指揮者は、指示はわかりやすく的確に、
厳しいだけじゃなく、時にユーモアを交えながら、生徒をノセていかないと。
実際、俺の母校の顧問は そういう指導をしてた。
先輩は、ユーモアというより、存在そのものが天然っていうのかな。見てて笑えるのだけど。
生徒にバカにされてる感ありありだ。
「えっと、ここの部分は、キザミのパートは、もっとあわせて」
そのセクションを演奏させた。
「まだ、全然あってないぞ」と俺がいう前に
「きっと緊張してるからだね。もう少しあわせてね」と
先輩は、切り上げてしまった。
全体の練習のバランスもあるから、そう、同じ所に時間もかけられないのもわかる。
でも、今の箇所。演奏してる部員は、緊張どころか、単に吹いてるだけだった。
”カッチリ、音をあわせよう!”という、緊張感がなかった。
だめだろう。智春先輩。
この時期に、しめておかないと、部員は”こんなもんでいいんだ”って、思う。
あまり口出ししてもいけない、と思いつつ、俺は我慢できなかった。
先輩がきりげた所、キザミを吹くセクションを、俺は音が合うまで、何度もやりなおさせた。
智春先生の指揮の頭越しだけど、キザミ=リズムをささえる所があわなければ、
全てが合わなくなる。
最初は、ゆっくりと、タクトで机をたたき、拍子を叩きこんだ。
音程も気になった。が、そこを突っ込むと、
時間がかかりすぎて他のパートの生徒が退屈する。
ここは、後で先輩に指導だな。先輩、部活の指導にはむいてないかもしれない。
元来、優しくて、気配りの人だけど、気が弱いんだ。
2曲目は、例のディズニーアニメの曲で、聞いてると、途中抜けてる。
抜けてる部分は、アルトサックスの独奏を入れる予定なんだとか。
「先輩、ソリストはもう決まったんですか?」
「いや・・あの・・まだ。後輩に頼もうと思ってるんだけど」
先輩、余裕の笑顔で微笑んでますが、もっと厳しく現状をみようよ。
早く、決めるべきだろうが。こういうところがノンビリしてるっつうか、
学生っていったって、就職難の時代、いろいろ忙しいですよ。
早く人選して、スケジュールおさえておかないと。
”人選?いや、ちょっと待てよ”と、俺はいい策を思いついた。
但し、場合によっちゃ裏目に出るかもしれないが。
「先輩がソリストの箇所を演奏してください。とりあえず、今日は俺が指揮しますから」
「え~~。緊張するし」
と乗り気でない先輩を強引に説得。
アルトサックスを構え”ドキドキするな”って言いながら、ピッチをあわせ
音を調整する。先輩の音が、柔らかい布のように、音楽室を覆う。
サックスパート以外の部員は、”え?”って顔してる。
先輩、生徒の前であまり演奏してないんだな。
曲が始まった。
俺は一応、指揮の勉強はしたけれど、基礎程度だ。
ポップな曲だから、あまり四角四面の振り方はせずに、スイングするように。
生徒にある程度まかせた。
最初はとまどっていたけど、そこは高校生、リズムに乗り出すとなんとかなってる。
演奏中の部員の顔も、楽しそうだ。
課題曲のマーチの時は、やる気自体がなかったんだけどな。
もしかしたら、この部は、コンクールにむいてないかも。
問題のアルトサックスのソロの部分がきた。先輩は少し震えてるようだ。
ソリストの演奏中は、ドラムが小さい音でリズムをきざんでるだけなので、
俺の指揮はテンポをキープできればいいくらいの、小さな動きだ。
先輩のサックスが、遠慮がちだったのは、最初の4小節だけ。
後は、人が変わったように、ジャズアレンジで演奏しだした。
複雑なリズム、変化する音型。部員は先輩の演奏する音の波にもまれてる。
あっけにとられてる、ともいえるが。
ああやっぱりな。先輩の”ソロで演奏すると人が変わる”のは、高校の時と同じか。
いや、こっちが演奏時の先輩の本来の姿だろう。
演奏する先輩は、リズムにのり、攻撃的ですらある。坊ちゃん風の顔から、
今時のキレッキレの若者に変身してる。
部員も”おとなしい顧問”の変貌ぶりに、目を見張ってる。
だよな。俺も最初に聞いて見たときには、”別人?”と思った。
部員の中で、ドラムはただ一人 楽しそうに合わせてる。
先輩がキレはじめた。まずい。
ソロはもう終わりのはずなのに、ノリすぎて演奏が止まらなくなってる。
部員は、お互いに顔を見合わせてる。どこで入るのか、わからないからだ。
俺は、最後の望みとばかり、ちょうど演奏の区切りのいいところで、
ドラムにアイサインを、大げさに送った。
わかってくれたようだ。大き目な音で最初のリズムを叩いてくれた。
俺は、ドラムにあわせるよう、指揮をはじめ、部員は、ホっとした表情でついてきた。
どうだ。これが智春先輩のアルトサックスだ。びっくりしたべ。
なんとか入れたお前らもまあまあだぞ。
演奏が終わって。部員から拍手が送られた。皆、明るい顔をしてるけど、
心なしか、安堵したようなホっとしてるのもわかる。
先輩は、赤い顔をしながら、恥ずかし気に頭を下げてた。
「いや~。生徒の前だと緊張して萎縮しちゃったよ」
(どこがだ!!)
部員全員の心の中の ツッコミが聞こえるようだ。
とりあえず、演奏で部員の心をひきつけた。部をまとめ指導するのは、先輩の仕事だ。
高校の時のスパルタ方式も悪くないけど、この”ホンワカ癒し系”の部も悪くない。
(コンクールで全国を狙う野望を持たなければ)
ソロのあるディズニーの曲は、生徒指揮を育てるしかない。
上手く、智春先輩を現実にもどせばいい。
午後の指導も終わり、玄関で先輩に挨拶をした。
「今日は、どうもありがとう。見送り、遅くなってごめん。
部員の父母からのクレームで、”部活で塾に出られない”のは困るって。
その問題の生徒は、”今日は塾があるから欠席”って連絡受けてたんだけどな。
その事を話したら、担任と話ししながらの電話になってね。
まだ、解決してないから、もう一度、打ち合わせさ。日曜日なんだけどね・・・」
「見送りなんかいいけど、教師も大変っすね」
”これからも指導手伝って”の先輩のチワワ目のお願いは、見なかったことにした。
悪いけど、これ以上は先輩の仕事だから 頑張って下さい。
「各楽器の基礎指導なら、それこそコネを駆使して
音大生に頼み込めばいいじゃないですか?
それより、先輩。先輩は、絶対、ジャズやポップ系のミュージシャンに向いてます。
才能ありすぎです」
「何?ガラにもなく、オベッカかい?僕には無理だよ。緊張症だし。
それに、教師を天職と思ってるし」
俺は思いっきり脱力した。ここでも天然君が大活躍なんだな。
周りを唖然とさせるような才能というか鬼才、俺も欲しいもんだ
智春先輩が、名サックスプレイヤーとして、世に出たのは、数年後の事だった。