誤解をまねく言葉
香織ちゃんの、”伴奏させてください”のお願いに、
俺は、”忙しいから” とお断りした。
セリナちゃんは、俺の伴奏をして、レベルアップしたんだ?
それは噂でも、うれしい。それにしても香織ちゃんの気持ちがわからんな。
セリナちゃんに指摘された事、ちゃんとわかったのかな。
”上達するためのパワースポット” のように思われるのは困る。
練習室にさっさと向かう俺に、香織ちゃんは、”お願いします”と、
あきらめずについてくる。
この子には、ハッキリ言ったほうがいいか。
「伴奏なんて、あなたには無理よ。岡本香織さん。時間の無駄。」
ひぇ~~キツイお言葉が聞こえた。俺は何も言ってません。
香織ちゃんの後ろに、先生とおぼしき女性が言ったのだ。
「康子先生・・」
香織ちゃんは、呆然としてる。あれだけハッキリ言われたら、ショックだよな。
康子先生は、見た目40代後半?年齢不詳だ。
若いころは華やかな美女であったろう、日本人離れした顔立ち。それに似合う、派手目な服装。
ホンワカ系の栄浦先生とは、人種が違うように思えるくらい違う。
「でも、セリナ先輩だって、新藤先輩の伴奏をするようになってから、
すごく上手くなったって評判ですし、私も伴奏して指導うけたいです・・」
俺は、セリナちゃんに一言も指導なんかしてないぞ!!
曲の事で、話しあう事はあったけど、それだけだ。
「香織さん、あなたに出した課題の進み具合はどうですか?バッハの平均律1集からもう一度、
さらいなおしですよ」
香織ちゃんは、悔しそうに、何も言わずに教室棟のほうへ行った。
本当は、その課題について、文句がありそうな顔だったけど。
廊下で講師と言い合いは、さすがに避けたのだろう。
俺は、気をとりなおして、練習室に入ったら、康子先生もついてきた。
「新藤君。ちょっといいかしら」
よくない!は俺の練習がしたい。でも、”ダメです”とも言えなかった。
こういう処が、俺の弱い処なんだよな。
康子先生は、パイプ椅子に座ると足を組んで
「まず、岡本香織さん。何があったの?」
”傲岸不遜”って言葉がピッタリの先生に、この間の事を説明した。
”そんな暗い顔で、この華やかな曲は弾けないわよ”とかなんとか、香織ちゃんに言い、彼女が悩んでいて、セリナちゃんも入れた数人で話した事だ。
康子先生は合点が言ったようだ。ため息をつき、
「困ったちゃんなのよ。あの子。自分の好きな曲には熱心だけど、そうじゃないと、投げやり。
彼女が好きという曲を弾いてても、暗いのよ。弾いてて、脱力が出来てないから、
苦しいだと思う。それなのに、技術的に無理のある曲とか持ってくるから、私もキレちゃって。
音楽的な解釈がどうとか、ってレベルじゃなく、ちゃんと譜読みも出来てない。
困った事に、本人、”出来てない自覚”がない。
このままじゃ、試験は通らないかもしれないのに、本人、わかってるのかしら」
なんだ、いい先生じゃん。生徒の事を考えての言葉だったんだ。
でも、今の言葉、ちゃんとわかりやすく香織ちゃんに、言ってないかも。
きっと、”ちゃんとしてきたの?これじゃ試験に落ちるわね”
ぐらいに、はしょってるかもしれない。
例も、わかりやすいとは言えないし。
康子先生の言葉はセリナちゃんが、解説してくれたけれど。
「あの~ちょっと生意気なんですけど、康子先生、さっき
俺に言った事、岡本さん本人には、だいぶ省略して、言ったんじゃないでしょうか。
すみません。偉そうで。
桜井セリナさんが、説明してましたけど。香織ちゃんのさっきの調子じゃ、先生の気持ち、わかってないと思います。」
康子先生の迫力に負けそうだけど、これ以上、ピアノ科の問題がこじれ、放っておくのも後味悪い。
先生は、僕の言葉にしばらく考えてから
「・・・そういえば、確かに半分、エキサイトしてたから。
どうもレッスンでの悪い私のクセなのよね。ちゃんと弾けてないのに、
”私のどこが悪いですか?”みたいな顔されると、キレちゃって・・
ところで、セリナちゃんの事。ちょっとホっとしたわ。
あなたの前の伴奏者だった小百合ちゃんとセリナちゃんは、私の教え子の中でも、センスのいい子達で期待してたのよ。でも、セリナちゃん、ピアノの音が、鬼にとりつかれたように、トゲトゲしい音になってしまって。しばらくして、彼女、1年休学しちゃって。私が原因じゃないかって、気にはしてるけど」
なるほど、おそらく、先生は”鬼のような顔”とかなんとか言ったんだ。
それを気にして、俺に聞いてきたのかもしれない。康子先生に、セリナちゃんに、どんな事を言ったのか聞いてみたら、”具体的にあまり覚えてない”との事。口が悪くて、言いっぱなしなんだ。
いくらレッスンとはいえ、”鬼のような顔”とかいわれたら、
女子にはショックだろうな。だからといって、それだけで1年の休学にまで追い込まれるとは、
思えないけど。
「あ、ちょうど、この間きいたセリナちゃんのショパンの曲、聞きますか?・・」
まあ、録音じゃ生よりは音は落ちるけど、今のセリナちゃんの雰囲気が、伝わるといいな。
康子先生は、今は彼女の先生じゃないけどさ。
康子先生は、セリナちゃんのショパンの”バラード3番”を、
じっくり聞いてるようだ。
「コーヒー、くれる?新藤君。」俺に命令が下った・・・。
俺は、管楽器専攻の院生なんだけど、康子先生のマネージャー?うっかりすると、
下僕のように使われそうだ。用心用心。
それでも、インスタントのコーヒーを出すと
”まずいわね”と文句を言いながらも飲んだ。
「これが、今のセリナの演奏なのね。岡本さんが新藤君に固執するのわかる。
セリナ、彼女本来の音に戻って、さらにレベルアップしてる。」
言いたい事だけ言って、康子先生は出て行った。
その日、帰るなり、健人に、はやしたてられた。
「先輩って、熟女も守備範囲なんですね。へへ。見ちゃいましたよ。
練習室でデートしてましたね。
おのれ、健人、見てたのなら、お前も康子先生に説明すれっつうの。話しの半分は、お前が持ち込んだ、ピアノ科女子の問題だぞ。
俺は、健人に康子先生との話しを、説明。”今後、この手の相談はお断りだ”と念を押した。
健人は、シュンとしてたけど、実際、俺はピアノに関してはソナチネくらいしか弾けない初級者だ。相談を受けても、答えられない事が殆ど。この間は、セリナちゃんがいてくれたから。
ピアノ科は、男子も女子も先生も、早とちりで、オシの強いタイプが多いのか?