指導かイジメか
部屋にかえって、少し頭が冷えてきた。
ビールの飲みながら、頭の中を整理してみた。
塚田父の心配してる事は、理解できる。
将来、少しでも子供が、安定した人生を送れるよう、考えてるはずだ。
ただ、今の時代、彼の考え方が古いかもしれない。
恐らく、塚田父は、偏差値の高い大学=いい会社に就職=安定した人生の
等式が出来ているのだろう。
確かにある程度は成り立つけれど、大会社でも倒産することもある って、
バブルの後の不況で、わかってるはずなんだけどな。
ところで、俺の人生はどうなんだ?
結局、プロの道は富士山どころか、チョモランマへの道のりだ。
ズンっと深く落ち込んだ。
安定とは程遠く、奏者としてプロをの道筋すら見えない。
そこまできて、俺はこの事について考えるのを強制終了した。
夜、一人で考えても、しょうがないのだ。
そうだ、明日、セリナちゃんと行く予定の演奏会の曲は、なんだっけ?
チラシをごそごそ、さがしてみると、演奏会は、フランスの作曲家の特集だった。
最初は、サティか。聴くのも弾くのも緊張しそうだ。
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智晴先輩には、朝一番で、文句のたっぷり入ったメールを送った。
だいたい、音大受験希望の生徒が、楽典っていう言葉自体知らないというのは、
顧問が、本人と話しをしてないって事だし。
日曜日だけど、今日も学校の練習室で、Aジョリベの曲を練習。
なんか吹いてて、一本調子なんだよな。
俺は、たくさんの音色で演奏できるわけじゃない。
手持ちの色鉛筆が少ない中、絵を描こうと苦労してるわけだ。
その少ない中ででも、難しいフレーズは吹きわけに相変わらず苦労してる。
だめだ、落ち込んできた。目の前が暗い、フラフラするし、エネルギー切れか?
学食で、一番安いうどんを頼んだら、食堂のおばちゃんが、可愛そうに思ったのか
小さなおにぎりをつけてくれた。
「大丈夫かい?真っ青な顔してるよ。」
「そういえば、この時期、コンクールに出る学生は、いつもこんな感じだね」
「食欲あるうちは、まだいい。そのうち、ゲーゲーやりだす子もいるから、
人さまのお子さんとはいえ、心配でみてられなくなるよ」
そうか・・そこまで集中して、曲を追及しないといけないんだ。
俺たち学生を心配してくれる、おばちゃんお握りの効果で、俺は復活した。
ただ、満腹になったせいか、非常に眠い。
次は、3時から練習室とってあるから、まだ1時間以上ある。
結局、食べた後、そのまま突っ伏して熟睡したようだ。
女子のキャラキャラした話し声で、目をさましかけた。
夢うつつに、女子の会話が聞こえてくる。
「今日も、香織、康子先生にいじめられたって言ってたね」
「香織もさ、少し、ハキハキ返事すればいいものを」
「でも、”あなたの顔が暗いから、・・”とか、ひどくない?」
「だって、最初からそうだったじゃない。
”この曲は、あなたに合わない”とかさ。香織の話しだと、よく言われてるそうよ」
「これって、指導?っていうよりアカハラに近いんじゃない?
元の顔が暗い っていわれてもさ・・」
女子の会話は続いてる・・康子先生って、伊藤康子先生かな。
確か、小百合ちゃんの先生で、セリナちゃんも前に習っていたとか。
俺はセリナちゃんが、自分の顔を気にする理由が、少しわかったきがする。
演奏はともかく、容姿についてあれこれ言うのは、だめだべ。
今、標的になってるらしい香織ちゃんっていう子か。
話してる彼女たちは、先生に訴えるっていう望みは薄いかな。
ヘタに怒らせたら、単位をくれない先生かもしれない。
それにしても困った。ちょっとヘビーな話を聞いてしまったんで、起きるのも
バツが悪いし、もう一度、強引に寝てしまうか。
起きたら3時を20分すぎてた。やば、
あわてて練習室に走って行った。
練習室の前で、学生が4人、何か話してる。そのうちの一人は、同じアパートで
ピアノ科2年、武田健人だ。
何か、もめ事に巻き込まれそうな予感。
俺は、回れ右をしようとしたら、健人が、手をふった。
「先輩、健人です。少しだけ相談にのってほしい事があって」
俺は、練習したあと、セリナちゃんと演奏会へ行く予定。構ってられるか。
大体、健人の”相談”ってのは、俺に迷惑ごとを丸投げするパターンが多いんだよな。
「どこいくんすか?先輩がこの部屋で練習するって表にあったから、
待ってたんですよ」
逃げようとする俺の腕をがっしり掴んだ。
俺より背が低いくせに、さすがピアノ科。手はでかい。で、俺は捕獲された。
「わかったわかった。10分だけ話しを聞いてやるから、
そのバカでかい手を離せ」
待ってましたとばかり、健人がしゃべりだした。
「あの、岡本香織ちゃんです。ピアノか2年で俺と同じ先生に習ってます。」
あ、さっき夢うつつで聞いてた話に出てきた子だ。香織ちゃんって。
そうなら、これは面倒だぞ。
「ピアノの師匠は、伊藤康子先生。俺も同じ先生なんすけどね。気分にムラが
あるし、機嫌の悪い時は、まるでイジメてるようなキツイ言葉なんです。
俺も、演奏中、口をすぼめてたらしく、”まるでタコね”と大笑いされました。
まあ、俺は”タコは手が8本あってうらやましいです”って、言い返したら、
もうそれから、俺の事は、タコちゃんとしか、呼んでもらえないっすよ。」
「お前はそのくらいは、全然、気にならないだろう。で、本題は?」
健人はジャニーズ系ハンサムでスタイルもいい。
実際は、うるさいし人間関係の空気読まないし、服装もいい加減だ。
(いい加減な服装でも、イケメンだと、スタイリッシュに見えるらしい)
「すんません。この子、香織ちゃんが、その伊藤先生に、イジメられてるんじゃないか
って思うんっすよ。」
香織ちゃんは、どこかあか抜けない、小太りでパッと見ると、暗い印象を受けた。
「健人が、イジメじゃないかって感じるくらいだから、香織ちゃんは、かなり
キツイ事、言われたとか?」
二人いる女子が、口々に
「そうなんです。”あなたの顔は暗いから、この華やかな曲は似合わないわね”って」
「ひどいよね。顔でピアノ弾くわけじゃないのに。」
当の香織ちゃんは、泣きそうな顔をして、口をきつく、閉じてる。
本人の気持ちはどうなんだ?
「あの、私って田舎から来て、ダサイし、地味な顔です。
華やかな曲を持っていっても、顔が暗いからって指導もしてくれないのは、
納得できないんです。」
思ったより気が強そうだ。
まず、”先生に指導を拒否られた曲”を、弾いてくれるよう言った。
曲は、ショパンの「英雄ポロネーズ」だった。