重なる時は重なる。
セリナちゃんに,今晩はウチで宿泊する事を勧めた。
彼女、今は泣き止んで、明るい顔に見えるけど、不安定そうでちょっと心配だったし。
クラウスから”夕食はいらない”と、電話がきた。そこでセリナちゃんの事は、OKをもらえた。だいぶ冷やかされたけど。
オケは今日が本番なので、クラウスの携帯に連絡するのも、気がひけたので、ナイスなタイミングだった。夕食は二人で外食もいいかな。今日は二人で食事。俺はうれしいけど緊張した。
セリナちゃんの荷物類は意外なほど少なくて、小さなボストンバッグ(多分ブランドもの)と、手提げバッグだけ。他の荷物は先に日本へ送ったとか。二人で空港を出てバス乗り場へ。なんだか旅行してる気分でウキウキしてきた。
3月のミュンヘンは、暖かく、今日は天気もよかった。彼女の気分も、少しか軽くなるといいな。
バスに乗る時、スマホが振動。セリナちゃん父からかと、あわてて出ると、予想外の相手だった。フェリックスの通う小学校の担任からの連絡。
「カイト君ですか?フェリックス君の担任のハウザーです。実は遊び時間中、フェリックス君が貧血で倒れかけました。怪我はありませんが、学校へ迎えに来てくれませんか?保護者の方には、連絡がつかなくて」
フェリックス、貧血が治ってないんだろうな。また主治医の先生に、説教をくらいそうだ。俺が。
「すみません。俺、今、空港にいます。これからすぐ向かいます。母親の香澄さんは、仕事中なのは、間違いないです。父親のシェーンバッハさんは、今日はオケの本番で、今の時間だと、多分、リハ中。携帯ももしかして電源落としてるかも。それで連絡つかないんだと思います」
セリナちゃんに軽く事情を説明して”寄り道してくから”と。まずはターミナルから、フェリックスの学校近辺に行くバスを探して乗車。
パリよりもだいぶ小さいミュンヘン。3月で春めく街並みを、セリナちゃんは、興味深そうに見てた。いい気分転換になったようみたいで、ホっとした。
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学校では、ハウザー先生が待っていて、小部屋に通された。
「あのフェリックスは?」
「ああ、保健室で念のため休んでる。帰宅したら医者に行く事を勧めます。で、君に頼みがあります。”フェリックス君の事でお話しがしたいです。都合のつく時でいいので、学校へきてください”とご両親に伝えておいて下さい。メールで伝えてもいいのですが、ちょっと雑談するくらいですから」
ああ、きたか! またクラウスと香澄さん、喧嘩になる。
この間もフェリックスは熱を出し、主治医から貧血を改善するように言われたばかり。ただ、彼は、食べ物の好き嫌いが激しいうえに、食も細い。嫌いなものは絶対無理 って拒否るし。
「そうそう、第三者の君の目からみて、父親と母親、フェリックス君は、どちらで過ごす時間が多いですか?前に母親と一緒に暮らしてると、訊いてたのですが、どうも着てる服がいつも同じとか、サイズがあってない事も多いんですよ。何か聞いてませんか?」
うわーーこれって、”お宅、ネグレクト(育児放棄)してませんか?”って訊いてんじゃね?
「俺は詳しい事はわからないです。クラウスには、彼が帰ってきたら伝えます。母親の香澄さんには、まず俺からメールします」
本当は、貧血を起こして倒れかけた事をふくめ、すぐにでもクラウスにもメールで知らせたかったけど、本番をスッポカシて、とんできそうなので、終了後の時間まで待つ事にしたんだ。
保健室では、フェリックスは退屈そうに、ベッドに腰かけ、足をブラブラさせていた。俺を見て、笑顔で駆け寄ってきた。これなら、すぐには主治医にみせにいかなくてもいいかな。
で、フェリックスの恰好をあらためて、みてみた。ズボンの丈が短いし、薄手のセーターも彼には小さい。前に日本でミニTとか流行ってた事あったけど、これ、フェリックスのこだわりのオシャレ・・・じゃあないよな。
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夕食はナポリタン。もっと栄養のあるものをと思ったんだけど、メニューはフェリックスの希望だったので。代わりといっちゃなんだけど、チーズとミニトマトのサラダ(野菜はほんの少量)を、完食するのを約束させた。
セリナちゃんと3人で食べ、なんだか家族のようでうれしかった。フェリックスもご機嫌で、サラダもちゃんと食べてる。
「フェリックス君、実は野菜とか嫌いでしょ?」
彼は俺のほうを、チラ見しながら小さな声で
「うん、大嫌い。酸っぱいキャベツもトマトも、ホーレン草なんか、ゲーって出しちゃう。飲み込めないし、お母さんとかシッターさんにも怒られる。でも頑張って口には入れてみるんだ。ただ飲み込めない」
俺はどうだったっけ?確か小3の時、ピーマンが苦手で、残したら、母に冷たく”おかずは、それしかないから”って言われて、大泣きした事だけは覚えてる。
「そうよね。どうしても食べる事が出来ないものって、あるわね。私も好き嫌いが多くで母に叱られてばかりだった。」
「そっかセリナねえちゃんも、そうだったんだ。食べるの無理なのに叱られるなんて、おかしいよね」
「そうね。私も我慢して食べたけど、吐きだしたり。でも、これじゃいけないと思って、少しづつ食べるようにと頑張った。でも、いつか、母は私を怒らなくなった。好き嫌いがなくなったわけじゃないのよ。怒られないのも悲しいのよ。」
途端に食卓の空気が、ドヨンとした。
さっきまでご機嫌だったフェリックスは困ったような顔で、セリナちゃんを、見つめてた。
前にセリナちゃんの家にお邪魔した時、確か、ピアノの練習の事で怒られ、中学生の時、反抗してたとか言ってたよな。好き嫌いの話しは、初めて聞いた。
「フェリックス、嫌いな食べ物があっていいんだ。他の食べ物で代わりにその栄養素が取れればね。セリナちゃんは、そこを上手くクリアしたんだよ。な!だからミニサラダ、残さず食べる。レタスが苦手ならチーズに巻いて食べる」
俺は、強引にでも場の雰囲気を変えたくて、明るく大きな声で、フェリックスの気持ちを変えようとした。
なんとか食事終わり。フェリックスも自分の分は完食したし。さて後片付けして、寝る用意をして。シャワーの準備とベッドの準備と・・
いつもは、からまってきそうなフェリックスは、今はセリナちゃんに本を読んでもらってて、助かる。これって共同育児だ・・・。
未来の事を妄想してしまった。俺、今、幸せかも。
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フェリックスが寝付いた後、俺はセリナちゃんといろいろな話しをした。HPにアップしたマヨルカ島の話しとか、クリスマス市の話しとか。
音楽関係は、話したいけど今日のセリナちゃんにはNGのような気がしたから、俺の楽しい話しだけ。
「カイト、私に気を使ってくれてありがとう。私ね、日本に帰りたくなかったのよ。正しくは、日本の自分の家に帰りたくなかったのだと、空港で気が付いた」
あぶね~。空港から連絡、もしとれなかったら、彼女、そのまま”放浪の旅”にでも出るつもりだったのか?
「家ではね、今、妹がピリピリしてるはず。多分、母もね。それに母は、私には期待していない。私がバイオリンを辞めた時からずっとね。私が帰っても、二人で私を邪魔ものにするし、音楽室も自由には使えない。妹優先ね。」
「そうなんだ。家で居場所がないってのは、つらいんだろうね。ところで、セリナちゃんバイオリンも弾けるんだ?すごいな。」
「はは、カイト、慰めてくれるなら、ちょっと方向が違うわ。」
「家族といるのがイヤなら、一人暮らしすればいいんじゃ?」
母親はともかく、セリナちゃん父は、彼女を溺愛してるように思えたんだけど。正直、箱入りお嬢様ってかんじで。
「私、実はコンバトに受かるしか道はないって、思い込んでたの。だから落ちた後、パニくった。でも冷静になれば、そうなのよね。一人暮らしすればいい。私はまだ桃ケ丘音大生徒なんだし。で、父にお願いして防音室のあるマンションと、ピアノを用意してもらった。自宅に帰っても、自由にピアノが弾けないのは、苦痛だしね。」
東京で音大近くとはいえ、そういうマンションの家賃を払えるとは、すごいな・・やっぱり、そういう処は彼女と距離を感じてしまう。家賃、敷金、にピアノ・・彼女は4月から4年生になるはずだけど、結構、金額がいく。200万は軽く超えるんじゃないか?家賃1年分だけでも、すごいはず。
一方の俺は、300万の軍資金(母上からいただいた)が、底をつきかけてる。師匠のクラウスにだいぶ面倒みてもらってもだ。
空港で、父親への電話一本で、即決できる環境って、想像できない。
「あ、家に帰りたくなくて、ジュヌビなんとか先生の内弟子になるとか、言ってたんだ。」
少しイジワルだったかな。俺に少し”嫉妬”の気持ちがあるんだろうな。後悔しても、もう口に出してしまったので、どうしようもない。それに俺はあの話しには、あまり賛成じゃなかったし。
セリナちゃんが、怖い目で俺を見てる。
「はいはい、そうですよ。私は家に帰りたくない放蕩娘です。
でも、こっちにいるほうが、コンサートとかセミナーとか、行けるし、西洋の雰囲気を感じられるし、私のピアノには栄養になったわ、カイトもそうでしょ?」
「はい、もっともでございます姫。ま、俺は、どっちかっていうと、いきなりパリで内弟子生活するのには、賛成じゃなかったけどね。」
大体、試験の手配やレッスンをしてくれた康子先生に、義理を欠くんじゃ・・
「カイト、フェリックス、来てるでしょ?明日も学校あるし、連れて帰りたいんだけど・・・」
そう言いながら、香澄さんがリビングに入ってきた。
そのすぐ後、
「カイト、どうしてすぐに連絡くれない!事務局経由にすれば、よかったものを。メールみて慌てて帰ってきた。で、息子は?」
第○次 クラウス VS 香澄 戦争 勃発の予感。。




