恋愛で我を忘れると・・
翌日、二人で登校。健人を康子先生の処へ送り出し、俺は森岡先生の部屋に向かった。
健人は、昨夜は、ヘロヘロになるまで練習た。寝不足のせいか、涼やかな目元も今朝は隈が出来、唇はかさついてる。朝から緊張してるのもよくわかる。俺には、彼に”頑張れ”としか言えなかったけど。キツいよな、康子先生に何を言われるか、想像するだに恐ろし。
ところで俺も少し緊張してる。森岡先生の前で、トランペットの演奏する予定だ。とりあえず、まだ1年間だけど、ドイツでの勉強の結果を聴いてもらいたい。
本当は怖い。”カイトの音って、前と全然変わらないね”とか、ニッコリと森岡先生に言われちゃったりしただけで、俺再起不能になる事うけあい。ドイツで、コンクール対策にクラウス師匠に鍛えられた。俺の音も少しは変わったと、自分では感じてるんだけど。
緊張しながらドアをノックする。手も少しこわばってる。
部屋に入ると先客がいた。ピアノの側には女生徒が座ってた。トランペットを片手に所在なげに足をブラブラさせてる。
「新藤君。昨日はすまなかった。オケの雑用で忙しいんだろう?」
「いえ、それはちょっと事情がありまして・・それより授業中ですね。ここで待っいて、いいでしょうか?」
さっき事務で調べたら、森岡先生は、空き時間だったんだけどな。
「ああいいんだよ、丁度よかった。彼女は、斎藤菜穂子さん。今3年生。東京の夏のコンクールに出たいと言ってきてね。とりあえず、少し話しが終わった所。よかったらカイトの音を聴かせてくれるかな?」
斎藤さんの出るという、東京でのトランペット国際コンクールは、毎年、夏に開かれていて、俺も参加を考えてた。ただ残念な事に、去年はミュンヘン音楽コンクールと日程が重なっていて、迷った末、旅費のかからない地元のミュンヘンの方を選んだ。今年はどうしようか・・
「東京のコンクールは、8分の時間内で自分でプログラムを組まないといけないし、考えるのも大変だ。それに彼女、国際コンクールの経験もないんだ。で経験者のカイトの音を、聴くのも勉強になるかなと」
「少しかは、向こうで上達したと感じてます。先生に聴いてもらうつもりだったので、丁度良かったです。」
あまり長い曲もと重い、一昨年の日コンの課題曲・プログの”ポストカード”の1曲目だけ吹いた。独奏曲で伴奏が必要ないのも丁度いいし。
日本にきてからは、ろくな練習も出来なかったので、そこがちょい不安だったけど。
吹きだすと、オヤっとなった。前より音が軽くなってる。札幌の自宅で吹いた時より。北海道は本州より湿度が低いので、音が軽くなるのだけど。大雪で札幌の方が、湿度が高かったのかもしれない。
ここに来るときは、風が冷たかった。東京の寒空の下、トランペット親父が、ご機嫌で闊歩してる。そんな映像を思い浮かべての演奏。
どうだろう?少しかは斎藤さんの勉強に役立ったろうか。
「俺が日コンで3位とった時の、課題曲。日コントランペット部門は来年だね。3年に一回しかないのも、管楽器への差別だよな。」
斎藤さん。長い茶色の髪のショート、ジーンズ姿の彼女は、若干、釣り目で活発な印象を受けた。
「ああ、日コンは私スルー。国際コンクールに照準をあわせます。東京のコンクールは肩慣らし」
はい?肩慣らしって、自信があるんだな、きっと。俺の演奏に対して、”すごい”とか”素敵”とかは、少ししか期待してなかったけど、演奏に対しては、感想とか、(上辺だけだとしても)感謝の言葉も何もなし?
俺は、ちょっと戸惑って、森岡先生のほうを見ると、やれやれって顔で。
「斎藤君、新藤君に君の演奏を聴かせてみなさい」
え?彼女は実は、どぎも抜かれるような天才だったとか?
演奏する曲は、ハイドンのトランペット協奏曲。定番だよな。俺も大好きな曲。でも演奏が始まると”なにこれっ?”て感じた。不安定でツヤがない音が混じってる。これじゃ”譜読み終わりました”レベルだ。3年生なら、この協奏曲は勉強してるはず。
彼女は、得意げに演奏してるけど、自分の音のアラに気が付かないのか?
もう一度、森岡先生をふりかえると、椅子に座ったまま、お手上げのポーズ。
いいんですか先生!これじゃ、国際コンクールじゃ、恥ずかしいんじゃないですか?演奏者の彼女じゃなく、彼女を教えてる森岡先生のほうが。
「この曲、入れたいんですけど、いいピアノ伴奏者さんがいるかどうか」
と彼女はボソっと言って、”失礼します”なんて、さっと部屋を出て行った。
斎藤菜穂子さん。あなたの伴奏者は、きっと戸惑う。彼女のハイドンって、主張がないんだ。伴奏者はあなたの意図をつかめず、迷子状態になるだろう。
って、心の中でアドバイスした。
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森岡先生に、一応、彼女の演奏について感想をのべた。自分で感じたよりは、表現はだいぶ抑えたが。
「ははは。カイトは耳に磨きがかかったな。辛辣な感想ありがとう。3年生の時の君なら、こういう感想を持つ事は出来なかったろう。それだけ成長したんだな。彼女の失礼な態度は許してやってくれ。なんだかそこまで指導するのもな。高校生じゃないんだし。」
「自分の方は、ちょっと練習不足気味なんで冷や汗もんでしたけど。で、あの斎藤菜穂子さんは、本当に4月から4年になる生徒さんですか?なんだかそれにしては、音が、いまいちのような・・・」
森岡先生は、康子センセのような鬼教官じゃあないけど、テストではニコニコ笑って、”不可”の判子を押すタイプ。曲よりも、音色や音程などの基礎練習にめちゃ厳しい。俺も大学時代は、絞られた。
「まあ、カイトの基準、厳しすぎってのもあるけど、彼女自身、自分の音を冷静に聴いてなくてね。自分ではすごいと思いこんでる。何度か注意したけど、改まらなかったな。1,2年の時はまだ一生懸命だった。3年生になった時、彼女に恋人が出来たって聞いた。その後くらいからだよ。彼女の上達が止まったのは。恋愛でノボせるのも人生経験。ただ、その恋人とやらは、音大生じゃないせいなのか、彼女の音を絶賛してるそうだよ。はぁ。私のいう事は耳を通り抜けていくようだ」
なるほどね。だからあんなに自信ありげで、国際コンクールだけ出ると、出るのは自由なんだ。予選を突破できないだけで。
俺は自分の音が完璧だとは思ってない。てか、音作りは日々精進でゴールがないんだ。これでもか!ってくらい音を追求しなければ、自分の音を見失う事になる。
ピアノ室の隣の教官室で、森岡先生とコーヒーを飲みながら、いろいろ話した。札幌であったゴタゴタとか、リンさんの入院とか。先生に、自分が大学院を辞める事も伝えたけど、なんの反応もなかった(予想済みかな)ドイツに残りたい気持ちもあるんだと正直に言った。
これも森岡先生にはわかってたようで、”だろうな”と、腕を組んで少し得意げだ。
俺もまだまだ学生気分(あと2か月は学生の身分だけど)。森岡先生にアドバイスを貰おうだなんて思ってなかったはずなのに。どこかで期待する気持ちがあるのか。
「悩むって事は、まだ余裕があるって事。そのうち追い詰められ逃げ場がなくなる。こうしないと生きていけない になるから。まあ、あまり心配しなくてもいいんじゃないかな」
う・・・厳しいご指摘ありがとうございます。ですよね。例えば、両親が倒れたとか、一銭もお金がない とかになれば、俺は動くしかなくなる。
「大学は辞める事になっても、いつでも相談にのるから。何かあったら遠慮なく訪ねてきてほしい。クラウスとも、君の将来について、PCで話してはいるんだけどね。」
すごくうれしかった。学校を辞めても、森岡先生とつながっていられる事が。
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帰りに、お土産を渡しに、康子先生の部屋にむかった。途中、その康子先生に廊下でヘッドロックをかけられた。
「カイトく~ん、うちの可愛いタコちゃんに、何を言ってくれちゃったのかな?」
おわ!苦しい。ピアニストの腕の力。半端ねえ。
「何も言ってないですよ、本当に。ただ、健人の演奏に、ちょっと感じた所があったので、ためしに片手で弾かせてみたんです。」
息もたえだえの中の弁明。お願いだから、腕をはずしてくらはい。
「あら、そうなの。健人もまだ少し冷静さが、残ってたわけね。”この曲を恋人のために弾きます”なんて恥ずかしい事を言った時は、中身は独りよがりでボコボコの演奏だった。おもしろそうだから、出禁にしてやったんだけどね」
”おもしろそうだから”ってなに・・・俺はゲホゲホ咳をしながら、お土産を渡した。マヨルカ島で買ったスペイン製のハンカチ。
「趣味とかセンスの事は、勘弁して下さい。俺のセンスはイモなんです」
「いいえ。素敵だわ。花瓶敷にぴったり。ああそれと、健人が恋人にのぼせ練習不足になってるのは、私は知ってた。でも、放っておいたのよ。人生で情熱的な恋愛が出来るって、素晴らしい事。音楽の面でもプラスになるかなってね。まあ気が付かなければ、それでオワリだけど。」
で、あえて注意をしなかったんだ。というか健人があのままだったら、康子先生、どうするつもりだったんだろう。
「康子先生は、恋愛が自分の音楽の糧になったんですね。」
って言った途端、またヘッドロックをかけられた。ギブギブ。どうも地雷を踏んだようだ。
「”あなたのピアノに恋しました”って人は山ほどいたわ。でも、皆、友達どまり。ったく。脚光を浴びてた時期なのに、暗黒面ありよ」
いやいやいや、すみませんすみませんと謝って、やっと解放してもらった。
向こうから健人がやって来たのを幸いに、すぐ学校からでた。最強の危険地帯をクリアした。
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健人が空港までついてきた。
「いいよ。いくらなんでも、羽田空港までは行けるから。練習してた方がいいぞ。鬼の康子先生が待ってるし」
「その鬼の元に行けるようになったのも、カイト先輩のおかげです。思い返すと、俺、自分のピアノの練習、上の空だったりしたんだ。自分の伴奏で彼女がバイオリンを弾く場面ばかり、頭の中で再生してて。」
「いや、俺は何も言ってないぞ。康子先生に迫られたけど、ああいうのって自分で気づく事が大事なんだろうな。健人はちゃんと気づいたじゃないか」
そう、健人は大丈夫だ。あの斎藤さんは、俺の音を聴いても自分で吹いても、自分の音を顧みなかった。
「音色・リズム・音程、にダイナミクス。いつも注意深く練習しないとな。お互い。」
「うぃっす。俺、気を付けます。」
空港の搭乗口で頭を深々と下げるなよ。健人。恥ずかしいだろう。
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札幌に戻り、家と病院を往復の日々。家事時々雪かき。俺にとっては、随分ノンビリした気分。実家っていい。
リンさんが退院したので、一緒にミュンヘン行の便に乗った。”日本の医者ってのは、ああも過保護なんだな。”なんて、言葉を頂戴したが、そうなのか?
出国日はちょうどオケの大阪公演の終わった日だった。
ミュンヘンに着いたのは夕方で、家に着くと、30代後半くらいのサラリーマン風の男(日本人?かな)が立ってた。
誰?




