非常事態
それからが、大忙しだった。よく考えると、俺自身はたいして仕事してなかったのだが。
リンさんは即入院。病棟の事務さん&ナースに病院と保険関係の書類を、ドサっと手渡された。この病院は、外国人に対応できる病院で、英語版の書類も用意されてた。ドイツ領事館の丸岡さんに、”助けて”コール。すみません、丸岡さん。時間外労働ですよね。もう夜の5時、病院内は夕食のにおいにつられ、俺のお腹はグーグー主張してる。
リンさんは肺炎だったそうで、熱も40度、2週間は入院が必要と診断された。
ゼルダさんが、ホールに戻っていった。ベース奏者の補充をどうしようかと、悩んでる。
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次の日の昼に、俺が病室に入ると、その物音でリンさんは目を覚ました。
「カイト君か。リハにはまだ間に合うかな?」
「リンさん、今、ゲネリハ中。7時から本番です。今回は本番でのるは、無理のようですね。まだ熱が38度あるってキナースさんから聞きました」
「いや、このくらいの熱なら、解熱剤で・・」
と、身を乗り出したとこで、咳が出てとまらない。
「昨日、休憩してた時、倒れたのを覚えてますか?あのあと、リンさん、ほぼ意識なかったんですよ。点滴をしてもらって、やっと声が聞けたくらい。今だって酸素かけてますね」
え?って顔で、自分の体に管が何本かついてるに、気が付いたようで。少し座って話すのも大変だったのか、リンさん、そのままベッドに上半身を投げ出した。
「そうか、札幌の演奏会は無理か。ああそれじゃ、代わりの奏者を用意しないと。」
と慌てて起きようとするのリンさんの体を、抑えた。
「大丈夫、なんとかメドがついたようです。S響を去年の秋に退団したベース奏者にいて、その人に頼んだそうです。」
ホっとしたような残念なような顔を俺に見せるリンさん。
「カイト君のコネクションかな?ここは地元だそうだね。」
「いえ、僕の”友達”の、竜樹君が頼んでくれました。4月からS響の指揮者だそうです」
ホーーって、もろ意外だったってリンさん。俺も意外でしたよ。俺が病院へ行ってる間、竜樹君が来ていて、あせってるゼルダさんに声をかけた。トトン拍子に話しが決まった。リンさんには内緒だけど、東京公演もお願いしたいという団の意向があるらしい。
東京公演は来週だけど、退院はムリッポいかな。
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本番当日、病院へ行った後、本番前の舞台袖に滑り込む事が出来た。当然のように 水野竜樹君が、そこにいた。
俺は竜樹君にお礼を言った。自分が役に立てなかったのは悔しいけど、ゼルダさんの困りごとを、一つ解決してくれたんだし。
音楽の仕事をするのには、コネクションは大事だ。俺も大学の先生はもちろんの事、セミナーで師事した先生、連絡やお便りメールはかかさない。それでも、竜樹君のコネクションにはかなわない。当たり前だけどさ。
「僕も、ミュンヘンオケとつながりが出来てうれしいよ。呼んでくれれば、飛んでいくよ。都合が着く限りだけど」
「じゃあ、こんど一緒にドイツで飲み会をしよう」
「いいね、スマホかスカイプで参加するかな。はは」
彼は留学経験がないとはいえ、東京近郊のアマオケ、アンサンブル、合唱団の指揮と、芸大を卒業してから”指揮の仕事”をしてきたと新聞記事にはあったけれど、やはり経験豊富なせいかな、俺よりかなり年上に見える。堂々としてるし。ホントは2,3歳、彼が年上なだけなのに。
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本番の演奏が始まった。
最初の、モーツァルト、フィガロの結婚「序曲」は、そつがない、と言う感じだ。
有名な曲で大学オケでも定番だったけれど、同じメロディを弦楽器全員と木管で演奏するんで(しかも速いテンポ)、オケの主張がまるわかりなんだそうだ。
”しっかりした音で、さすがだけど、モーツァルトのコミカルで軽快な感じは、少し足りないかも”(by 竜樹)
竜樹君の話しだと、2曲目のブラームスのバイオリン協奏曲は最後まで、すり合わせが大変だったそうだ。選曲ミスかな。もっと軽めの協奏曲のほうがよかったのか。
「ソリストの”ドレスのすり合わせ”も大変だったんだ」
「ドレス??」
「そう、ソリストの辻さん、今回、4kgやせたそうだ。で手持ちの衣装がガフガフで、演奏に支障がでないよう、急遽、専門の人を探したんだ。なんとかタックとベルトでごまかせたようで、安心した」
協奏曲のソリスト、リサイタルでの演奏。奏者は、練習で体重が落ちるっていうのは、よくある話し。
ゼルダさんはトラブルの連続で、それこそ痩せたんじゃないかな。
メインのベートーヴェンの交響曲7番は、聴衆に受けがよかった。アニメで赤丸急上昇の人気曲になったんだったよな、この曲。
「俺も、水野さんを見習って、いろいろ頑張らないといけないですね」
本気半分、追従半分ってとこかな。
「カイト君、そろそろ日本に帰って来るだろ?コンクールで上位入賞を3回なら、経歴に不足はないし、後は人脈だけ。それとも向こうで、もっと勉強を続けるつもり?」
「そこのところで、悩んでるんです。やっぱり向こうの音楽は向こうが本場って雰囲気で。ただ金銭的に限界が近くて。」
いや、もう堂々巡りなんだよ、この問題は。この演奏旅行から帰ったら、もっと積極的に動いてみよう。クラウスのようにアンサンブルを組んでもいいし、吹奏楽団でも、アマなら参加できるかもしれないし。
「お金がなくても、なんとかなるさ。ただ一つ、アドバイス。ネットで新藤海人ってググっても、HPもフェイスブックも出てこない。僕の検索がヘタなのかな?もしないなら、日本語と英語でHPで、自分をアピールしたほうがいいかもな。自分をなんとしても売り込まないと、今の音楽業界では、厳しい。」
絶句した。確かにHPはあるけどほぼ更新してない。フェイスブックは、ドイツ語で少しづつってとこ。そうだよな。俺は絶大な勘違いをしてた。コンクールに出て、いい成績をとり、なおかつ人脈をいかし、自分をアピールする。
ちょっと”ウザイ”くらい、アピールしないと。少し尻込みしてたかな、俺。
「ありがとう水野さん。こっちに帰るかどうかは未定だけど、頑張ります。」
「あっは。リュージュでいいよ。ともだち だし。後でメールくれな。あそっか。今、スマホないんだよね」
「向こうに戻って、PCでメールおくります。」
本番が終わった後の喧騒の中、竜樹とホントに友達になった。攻撃力が2くらい上がったかな。
高校の時からの親友と待ち合わせてるので、ホールをうろついてると、ゼルダさんから肩を叩かれた。
「カイト君、すまんが、リンさんの見張り、いや、看病のため残ってくれないかな。」
ガーン!やっぱ俺って必要ない?最初こそ、地元の強みでアクシデントで、役に立つ事できたけど。
「機転のきく君は抜けるのは、こっちとしては痛いんだけどね。コンマスとの話し合いで、今日、来てくれたエキストラさんに、東京と大阪も頼む事にしたんだ。リンさんトップだから、抜けた穴が大きいし、少しでも馴染んだ人に頼みたいんだ。」
うん・・・りんさん、東京公演には間に合わないと思うけど、大阪はギリでいけそうだけど。問題は本人が納得しないかもって事。
「責任感の強い彼のことだ。病院を脱走・・いや無許可で退院してきそうだ」
はいはい。見張り番ですね・・・




