発表会のお手伝い
ザビーネさんたちの、生徒さんの発表会の手伝いをする事になった、カイトとリョウ。大忙しの一日の終わりに待っていたものは・・・
俺のフェリックスについての意見は、クラウスと香澄さんの壮絶バトル にはならなかった。離婚時の取り決めた面会日も予定通り取れている。よかった。
相変わらず、クラウスも香澄さんも忙しくしてるようだし、俺は一人で練習する日々。
最近は、師匠からの課題はオーケストラスタディだ。略してオケスタ。オケで演奏する曲で、それぞれの楽器のパートで、難しい個所を拾い出して、曲集になってる。
今、練習中の曲は、ドビュッシーの交響詩「海」トランペットの連符が細かい。札幌の実家では車で1時間で、海だったので、家族でよく遊びに行った。でも、ドビュッシーの「海」のCDを聴いても、故郷の海と一致しないんだよな。俺って感性鈍い子かも。
もう夕食の支度をしてしてしまおう。楽器をしまってると、音楽室の玄関から、ザビーネさんが入って来た。
彼女の予約の時間より少しはやい。それになんだか大荷物だ。バイオリンケースと、もう一つ、大き目サイズのケースを持って来てる。あれはきっとビオラだ。手に持ったバッグと、楽譜を入れの鞄は、パンパンになってる。
彼女はバイオリン教師で、この音楽室を借りて教室を開いてる。いつも大荷物なのは知ってたけど、今回はまるで”夜逃げ”のようだ。
「持ちますよ、ザビーネさん。今日はビオラ持参なんですね。なんか大変そうですが。もし、俺で出来る事があったら、やりますよ。」
「ありがとうカイト。助かったわ。で、少しだけ助けてくれる?バイト代は出せないけど」
まあ、言った手前、”出来ません”と断れない所が、俺の弱点だ。気を付けよう。
という事で、今、山のような紙と格闘中。ザビーネさんは編曲のために、イヤホンを耳にツッコみ、編曲に奮闘してる。先生方で弦楽3重奏を披露するそうだ。
ザビーネバイオリン教室では、クリスマス前に、他の小規模な音楽教室と合同で、発表会をするのだそうだ。彼女の鞄の中身は、その演奏会のプログラム。プログラムには、曲の解説を書いた紙がはいる。それと父母に渡す、ミニレター。それと楽譜。鞄が一杯になるはずだ。
俺はプログラム・解説の紙を二つ折りにしたあと、はさめていく、というごく単純な作業を仰せつかり、黙々と作業を進める。やたら仕事が多いけど、合同する他の教室と、普通は仕事を分けないかな?
「ウチを入れて、4つの教室で40名ほどの発表なんだけど。他は面倒な仕事ばかりで、結局、比較的、単純な作業を勝ち取ったのよ」
「そういえば、チケットとかありですか?見たところ、プログラムに広告はないようだけど、費用は自費?」
発表場所は、とある会館の中の小さなホールだ。もちろん、使用料とは別に、譜面台、照明、暖房、は別料金で払わないといけない。大学オケで、外部のホールを使う時は、ただひたすらお金をどう工面するかが大問題だったっけ。
「ホール関係費用も、他の費用も全てこっちの持ち出し。伴奏者は友情出演。ついでに、全員に”頑張りました賞”として、クリスマスプレゼントも渡す。ハッキリ言って、教室側の感謝イベントね。お金を貰うのは、昼食を希望した保護者からだけ。収支はもちろん赤字よ。寄付をしてくれる父母もおられるので、なんとか今年も開けるってとこかな。」
クリスマスプレゼントだなんてサービスがすごいな。さすがに教師家業も競争が厳しのかもしれない。生徒を辞めさせないための、”飴”なのだろう。発表会は、練習のいいモチベーションになるし。
参加する教室は、バイオリン教室が他に一つと、バイエルンオケのチェリスト夫妻が、チェロとピアノで参加してる。ザビーネさんに聞くと、旦那さんのほうが、ピアノの教師だとか。
「ザビーネさん、これ午前中は、小さい子が多いんですね。」
大丈夫かな?弦楽器の事は詳しくはないけれど、弦楽器ってチューニングが面倒じゃなかったかな。それと小さい子は、集中力が続かない。多分、ホール内を走り回る子もいる。絶対だ。
「ああ、午前中ね。そこなのよ。当日、カイトに頼みたいの。出番が終わった子をそれとなく見ててほしいの。毎年、カオスの演奏会。騒ぐ子を注意しない保護者もいるし。こっちもクリスマスイベントだから、そうきつく怒る事はしたくないのよ。」
「別室を借りて、シッターを頼むってのはどうです?」
「部屋代・シッター代が出ないわ。それに、他の人の演奏を聴くのも、いい勉強。」
で、シッター代わりに俺を使おうと・・・参ったな。まあいいか。オーケストラ・吹奏楽団の求人案内などを、探してるが、まったくない。クリスマス前だし当然といえば当然。丁度、中途半端でクサクサしてたところだ。将来、何かの役に立つ事も、もしかしたらあるかもしれないし。子供の発表会を見学して、得る事もあるんじゃないか。
そう思い直して、プログラムみると、一日つぶれるくらいびっしりだ。ところで俺は一人では子供40人相手に自信がない。そうだ。リョウも巻き込もう。あいつはバイオリン専攻だから、俺よりかは役に立つだろう。これも語学研修のうちと言っておくか。
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今日は発表会。11月の最後の日曜日。リョウを迎えにいってから、ぎりぎり9時にホールについた。ドアを開けると、思った通り”子供自由天国”になっていた。俺たちは、先生方4人とお互い自己紹介をすると、すぐ仕事にかかった。
「はいはい、リハーサル始めますよ。順番に前のイスに座って下さい。それから最初から5番目まで。ステージの横に来てください」
参加するもう一つのバイオリン教室の先生、マリアンヌさんが大声で叫んでいた。
さて、俺らの出番だな。
出演者は順番が書かれた名札を付けてる。席にいる1、2番の女の子二人は、先生が先導して連れて行った。後、3人だな。俺とリョウは手分けして探して、捕獲してきた。ここはジャングルか!
「ありがとう。この3人、発表会って初めてなのよ。興奮してるのかも。許してあげてね」
ザビーネさんに言われなくても、怒りはしないが、保護者は何もせずに笑って話しに夢中になってるのには、飽きれた。
「やれやれ、子供はすぐオダツからな」
「カイト、オダツって何?」
ああしまった。日本人同士でも、話しが通じない事もあるんだよな。ましてや、初めてのドイツ語でリョウが途方にくれるのも無理ないか。
リハーサルは、袖から出てきて、挨拶をする場所を教えるところから、教えなければいけなかった。
立つ位置は、目印として床にテープが貼ってある。
「ここに立って挨拶するんだよ。弾く時は伴奏の先生のほうを向くこと。」
最初の5人は、バイオリンで、始めたばかりの子だ。マリアンヌさんは、そう教えると、子供のバイオリンの最終チェックをしてる。リョウもそれを手伝ってる。ザビーネさん、チョロ奏者夫妻、俺は、リハーサルを手早くできるよう、生徒を椅子に座らせようと格闘中。
本番も大騒ぎうちに進んでいった。途中、ある子のバイオリンの弦が切れて、頬にキズが出来て泣きだしてしまった。
”あるある”なんだよな。こういう事。大学のオケでも、切れた弦が勢いで頬に当たり傷を作った団員がいた。
大泣きした子はザビーネさんの教え子らしく、先生は慌てて、弦を取り替えてる。その間、マリアンヌさんと、チェロのアリエルさんが、その子の手当てをしてなだめてる。
時間もおしてるし、間があくと子供が騒ぎだすので、次の子を先に弾かせる事になった。弦の切れた子は、やっと泣き止んで次に演奏したけど、元気はなかった。
「弦が切れたのって、きっと初めての経験だったんだよ。だからビクビクしてるのかも」
リョウはそんな説明を、してくれた。
午前の部の最後のほうで、バイオリンのコマが倒れたとかで、ザビーネ先生が、慌てて代わりの楽器をとりに走ったり。中断すると、また子供達が騒がしくなってきた。もうそろそろお昼だし、集中力も限界なのだろう。
「あの、コマっていうの?倒れたら、起こせばいいだけじゃないの?てか、何かでくっつけてるわけじゃなかったんだ。」
「カイトは、弦楽器の事はあまり知らないだね。コマは弦を張る事でバランスで立ってるだけ。そのコマが倒れると、バイオリンの中の魂柱も倒れて、メンテは専門家でないと無理なんだ。」
”知らないんだね”というリョウの言葉と上から目線に、ムっときたけれど、事実だからしょうがない(授業でやったけれど、俺が忘れてたとか?)
「午前の最後の子は、ヴィバルディのアーモールだね」
もちろん、俺はその曲は聞いた事ないっての。威張って言える事じゃないけれど。
アーモール(イ短調)という曲(?)は、入門者の目標らしく、今まで聞いた曲の中では、一番、難しそうだった。
フェリックスより少し年上の男の子が、緊張して演奏してるんだけど、一心不乱になってるうちに、伴奏とあわなくなってきた。テンポアップして伴奏を置いて行ってる。
「あーあ、最後だと緊張するのかな。これじゃ伴奏さん、ついていけない。」
「ほらほら、音楽が止まって、マリアンヌ先生があわててステージにあがった」
こんなに忙しくてしかも赤字。とってもやりきれない。でもこれも、子供を教える事で大事なのかも。
それにしても、子供の発表会は初めてだけど、責任がないおかげかな、結構、楽しい。リョウは、バイオリンのチューニングに駆り出されて、大忙しのようだけど。
午後の部は、ピアノの部が中心で、主に、中級程度かそれ以上の子が演奏した。
「発表会に出る事で、人前で弾く事に少しでも慣れるというのが、私の生徒の目標だ。来年早々に、小さなピアノコンクールもあるしね。」
ピアノのルドヴィッヒ先生は、腕を組みながら、自分の生徒の演奏を、ニコリともせずに聞いてる。生徒にはすごいプレッシャーだろう。
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発表会も終わり、最後の生徒を送り出しつつ。会場の片づけ。終わってみると少し疲れてる。俺もオダってたかな。舞い上がってたかも。
「カイト、リョウ、本当にどうもありがとう。ささやかだけど、この後、ビール園で打ち上げよ。奢るわよ。もちろん、来るわよね」
ザビーネさんの魅力的な誘いを、リョウは簡単に断った。
「あ、僕、アルコール弱いです。それに少し練習したいので、帰ります。ごめんなさい。今日はいい勉強になりました」
「あ、俺も帰ります。今日はクラウスがフェリックスと出かけてるので、もしかして、家によるかもしれないので」
リョウが言うように、”勉強になった”とも思えないけど、少なくとも、ザビーネさんとチェロのアリエルさんはオケ団員だ。副業で教師をしなければいけないほど、給料が低いのか?それとも勉強とまでいかなくても、何かの刺激になるのでやってるのか・・今度クラウスに訊いてみるかな。
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家に戻ると、居間にクリスマスツリーがデンと鎮座してた。そして、その横には困りが顔のクラウスと、背をむけてスネてるフェリックス君が。
「どうしたんですか?フェリックス、どうしたんだい?今日は一日、お出かけで楽しかったろう?お腹すいたのかな?」
「ずっとはしゃいでたんだけど、24日のクリスマスイヴに仕事で家にいない、って言った途端スネちゃって。どうも香澄もクリスマスツァーだかの引率でいないそうだ」
日本じゃよくありがちなんだろうけどな、多分、イヴだから、こっちでは特別なんだろう。俺は、実は24日の夜は哲太と日本人仲間で簡単な飲み会をするはなしが出てる。
「カイト、頼む。24日一晩、面倒みてくれないか」
”僕は、フリードのように、夜はパパとママと一緒にいたいんだ”と、フェリックスがヒステリックに抗議する。
”一緒は無理”である理由なんて事はまだわからないだろうな。どちらも仕事でいない という理由では納得してくれなかったんだ。
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