本選
いよいよ本線、カイトの演奏は意外な方向に。
前日のリハーサルで,3楽章だけオケとの合わせ出来なかったのは、大失態だ。1番目だったので残りの9人のコンテスタント達の演奏は聴いて、なんとかオケのクセなり傾向をつかもうとした。
午前の部の最後と、午後の2番目の奏者が、俺と同じくトマジの協奏曲を選んでいた。スコアで確かめながら聴き、少しかは参考にになるとは思うが。
他のコンテスタント達でも、持ち時間切れで、最後まであわせられない人も多く、ロビーで再度のリハを希望し事務局に談判する人もいた。
「不満は奏者だけじゃなく、オケの方からも出てるようなのよ。確かに本選の課題曲は4曲、そををランダムに複数回演奏するから、疲れるのは当たり前よね。だいたい本選を一日で済まそうとするのが無理だったかも」
リハを終えた最後の奏者・エリカがロビーでコーヒーを飲みながら、ため息をつく。
「録音しておいたけど、聴くかい?」
「ああ、私も録音してあるから大丈夫、それより、今日は奏者の半数以上は、最後まで通せてなかったわね。」
トマジを演奏する奏者のうち一人は2楽章で終わってたな。皆同じようなものだった。ホっとした反面、そんな自分が情けなくて落ち込む。
外はもう暗くなってるし、すこし雨がパラついてる。昼間は晴れ時々曇りって感じで、天気予報は見てこなかったし。傘はないけど、このぐらいならホテルまで走っていけるだろう。いや、先にスタジオを予約して練習したほうがいいか。
俺の予想は甘かった。
ベルリンでは、パラついてる雨が、普通の雨になりドシャブリになる事もあるなんて、知らなかった。ホテルに先に入った途端に大雨になった。
ホテルのロビーで、ヨゼフとハンスが待っていた。リハの様子を訊いてきたので、さんざんだったと、ICコーダを聴いてもらった。
「カイト、時間切れじゃん。まずくない?」
多いにまずいんだ。今までのコンクールで、オケ伴奏のリハの時に失敗する事はなかったんだけどな。1楽章でつい入れ込みすぎたというか、ちょっとこだわりすぎたのが原因。
「これは、日程に問題ありだな。録音、聴いてみたけどリハで最後まで曲を通せたコンテスタントも、雑でアセり気味だ。ゲネプロはあるんだろう?」
ゲネプロは本番前の最終チェックで、大学オケの定演の当日は、”リズムがばらつきそうな処”とか、抜き出して練習した。でもコンクールでは俺が経験限りでいえば、ゲネプロはなかった。
「5分でもいいから、ゲネの要求すればよかったんだよ、カイト。日本人は遠慮しすぎ。」
「いいんだヨゼフ、リハの後、少し落ち込んでてそれに浸ってた俺が悪かったんだ。」
コンクールで勝つためだけじゃなく、いい演奏をするため俺はもっと必死になるべきだったんだ。
そのあと3人でホテルで夕食をとり、スタジオにでかけ門限ギリギリまで3楽章を徹底練習した。ここはこうしようとか、あそこはテンポを揺らさないとか、いろいろ考えた。
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ホテルで朝食は食べず、かわりにパンだけもらって食べながら会場に向かう。朝の風が冷たく頬にあたった。手の冷え対策に一応もってきた手袋をはめた。札幌はもう冬支度してるだろうか。ベルリンも寒い。
ゲネプロの時間はもらえないだろう。オケ団員の労働時間という面もあるし、今更無理だ。たとえ一人5分もらっても全員で50分かかる。ただでさえきつい日程だ。
ところが、会場につくと、すぐ事務局の人が”5分以内だけど、追加の練習が出来るが希望するか”と聞いてきた。もちろんするにきまってる。誰か頑張って要求したんだろうか。ありがたい。
1番手である俺は、アップする間もなく、ゲネプロの舞台にあがった。ダンケシェーンと簡単に礼を言い、まず指揮者と打ち合わせ、3楽章のテンポ(♪=120とか具体的に)とか、特に危なそうな箇所、2か所を伝えた。ちょうど指揮者も合わせたかった処のようで、すぐオケと数小節あわせて確認。OK、これなら、なんとかなりそうと安心した処でタイムアップ。
5分はあっという間だった。ゲネ中の次の奏者を邪魔しないように、荷物をもって控室に行く。
何せトップバッターだ。はやく音出ししとかないと。運動前に準備運動が必要なように、演奏の前には音を出してある程度、楽器を温める必要があるからだ。
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アナウンスが聞こえた。コンクールの会長や審査員長の話のあと、司会者が 本戦開始のアナウンスをつげ、俺の名前と曲名が紹介された。
やっぱり緊張する。予選の時のほうが落ち着いてた。ここまでくると、欲がでてきたんだろうか?それとも、舞台袖からほぼ満員の聴衆を見てしまったからだろうか。
ホールの係員さんに、”頑張って”と背中を軽く押され、俺はステージに立った。
俺のエントリーしてるコンクールは、今年はこれが最後だ。来年のぶんは未定。必死に自炊と節約してたおかげで、思ったほど預金は減ってないけれど、いとしのセリナちゃんがフランスに来る(だろう、多分コンバト合格する)9月までは、持参の資金と少ないバイト代だけでは持たないだろう。2月に試験で来るようだから、その時、会えるだろうか?ああでも、試験前だし迷惑か・・・
定位置に立ち聴衆と指揮者&オケに軽くお辞儀をした。
いろんな人が座席に座ってるのが見えた。学生らしい人、家族づれ、音楽ファンっぽいおばさん。
横にあるミュートを置く台を、もう一度を確かめた時、オケの人たちの様子というか雰囲気が伝わってきた。さすがにプロだから、緊張はしていないようだ、でも何か物足りない気がする。
指揮者のタクトに合わせて、出だしのファンファーレを吹いた。この次の弦のピッチカートは、”強く鋭い音”と、リハの時にお願いしてたんだけど・・・
ああくそ!やっぱり!弦のピッチカートの音は、希望してた音どころか、音のツブが少し揃ってなかった。
なんだこの音は。トマジを演奏する他の二人も俺の要求と同じ事言ってたのに。もしかして、はやダレダレ気味とかか。勘弁してほしい。
指揮者に、”俺はこれから、オケを緊張感あふれるリズムにのせるため、やらかします”と、目で訴えた。もちろん伝わらないだろうけどな。指揮者ならなんとかしてもらおう。
それから俺の演奏は、若干テンポアップし、音色をキレッキレにした。俺のトマジは、本戦の始まりのファンファーレだ。
指揮者は俺のほうを見て、”大丈夫か”って顔で眉をしかめた。俺は無難に合わせるほうじゃなく、このオケの音を、俺の演奏するトマジの世界に、引き込む。そう決めた。
大幅な変更ではない。リハでやった時より、鋭い音にしてテンポアップした。ただこれは俺の挑戦状だ。オケはどう反応するか。スルーされたら、俺は終わりだ。
結果、オケとの掛け合いの処は、丁々発止のやり取りに、オケだけの演奏の時には、オケはうまく俺の挑発にのってくれてノリノリに。
演奏はあっというまに終わってしまった。綱渡りひやひやでもんだったけど、そこが楽しかったかもしれない(指揮者先生には悪いけどな)
聴衆の拍手に送られ俺は速足でひっこんだ。
次の奏者からなんだか睨まれた気がしたけど、気のせいだろう。欧米人は目が大きく彫りが深い顔だかだ。
控室に入ると、すぐソファにグダグダとへたれた。今頃、汗が出てきてとまらない。
「緊張がとけて、ダウンかい?」
「まあ、そんなとこかな。お腹もすいたし」
アメリカのアーノルド・ブラックスというコンテスタント、エリカの一つ前の演奏順だっけ。
俺はホテルから持ってきたパンを食べてると、笑われた。
「俺は舞台袖で君の演奏を聴いてたんだ。やるね~。最初からオケの音を、がんがん鳴らして。君が挑発したんだろう?”俺についてこれるか”みたいに。」
バレたか。俺もまだまだだな。
「2番手に演奏した彼はどうだったんだろうね。上手く波にのれたらいいんだけどね」
アーノルドの口調は、2番手の奏者には出来ないと予想しうてるようだ。やっぱり、さっき睨まれたんだな、俺。
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