本選前の追い込み練習
本選用の曲の練習で、ネガティヴになったカイト。ここは一人で頑張ります。
本選に残ったのは10人。ロビーでは”今年は少ないな”なんてボヤきが聞こえる。俺はもう一度、メンバーを確認した。
エリカが残ったのは当然だ。コンクール経験不足の俺でもわかった。残念だけど、それがわかるくらい彼女の吹くトランペットの音色は、変化にとみカラフルだった。
「そう、それが私の強み。でもソロでは強みでも、アンサンブルでは、先生から”周りの音をよく聞きなさい”って時々、注意されたりする。本戦で自分の演奏が、”オケと調和してない”とか指摘されそうです」
エリカは俺の批評に、正直に、こわごわと話してくれた。
俺はといえば反対に、
”性格はアンサンブルに向いてる。ただソロを吹くには音色の数が足りない”
ドイツに着いたばかりの時、クラウスにそう指摘されてる。
名前が呼ばれ、本選の演奏の順番を籤で決めた。が...俺は運がいいのか悪いのか。
演奏番号1番、つまりトップバッターになってしまった。袋に手を入れて、番号の書かれた紙をとるのだけど、無造作にとったのがよくなかったのか?手の甲に触れた紙をなんとかつかめばよかったのか?
1番を引いた俺を、他のコンテスタント達は”自分じゃなくてよかった””お気の毒に”なんて、微妙な顔で遠巻きにしてみてる。
エリカに背中を勢いよく叩かれ、思わずつんのめった。
「アッハ~。やったわねカイト。いいじゃないの。あなたの演奏なら、本選も華々しく始まるわね。私なんて、最後よ。オケも審査員も疲れてるんじゃないかしら」
確かに、最後もイヤだよな。ベルリッツでのコンクールの時は、オケが疲労気味だった事を思い出した。
ヨゼフとハンスと合流する事に。エリカは背伸びしながら、”これからが大変”なんてブツブツ言いながら歩いてる。彼女は、俺より少し低い程度。ちなみに俺は180cm。他のアジア系のコンテスタント達は、大股で歩く俺たちにビビってそそくさと道をあける。
”フン!ジャップでも背の高い奴もいるんだな。”
”黄色いオサルさんね。演奏は良かったわよ”
ロビーにいる欧米人らしきカップルに陰口を叩かれたようだ。英語だったせいか、それとも悪口はわかってしまうものなのか。男性のほうは確か、本選には2次で落ちたはずだ。
ヨーロッパやアメリカの国際コンクールはアジア系の学生が大挙して押し寄せて、呆れられてるとか。アジアで有名なコンクールがあれば、もちろんそれに出るさ。さっきの人種差別の言葉も、そんな苛立ちからきたんだろうな。
「エリカ、面倒って何が?」
「反面、やりがいもあるんだけどね。今回のオケの演奏って、私、聴いた事がないのよ。っていうか、オケの伴奏で演奏する事自体が初めてかな。学生オケとは、1度だけソロの伴奏をしてもらった事があるけどね。コンクールの伴奏のオケは一流と二流の間位って、友達から聞いただけ。そのオケの特徴を知っておくと、曲のすり合わせするとき楽でしょ。」
エリカがコンクールでのオケ伴奏の演奏の経験がないのは、知らなかった。スウェーデンのコンクールで3位をとったと、パンフには書いてあったけれど、よく聞くと、国際コンクールとはいえないような、小規模のもので、オケ伴奏がつくのは、優勝者のガラコンサートのみ。
じゃ、俺はラッキーなほうだな。ベルリッツでは、オケに少し不満はあったけど。
「エリカは、ベルリッツは出なかったのかい?」
「あああれは、学内推薦枠があって、ヨゼフがとったから」
推薦枠が必要なほどのレベルじゃなかった気がするけど、確かに、事務局のあの手際の悪さじゃ、出場者を絞らないと、成立しないな。
本番の伴奏オケの事についでは、俺はエリカと共同戦線をはることになった。PCやツテで調べまくり、オケの評判や音源を手に入れるためだ。
これから本選まで、ミュンヘンに帰らず、事務局が提供してくれる安いビジネスホテルに泊まる事になってる。
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”予定は未定であり決定ではない”
真実だよな...
結局、俺とエリカ、ついでにヨゼフとハンスも協力しての”伴奏オケ徹底対策”は、あまり実りがなかった。
CDなどはライヴ録音以外は編集されてるものだし、詳論から、”最近、近代の曲の演奏に力を入れている”ってわかっただけだった
ヨゼフの家の音楽室で、本選までの最初の4日間だけ、4人での合同練習会のようになった。大学の練習室のように、グアンドピアノがはいっていて、部屋は広かった。土足厳禁の絨毯が敷いてあった。
曲を演奏しながら、残りの3人にオケの音をピアノで出してもらう。ただ、四人とも意見がバラバラ。っていうか俺の演奏する曲だから俺の主張を尊重してほしいが。
「カイト、最初の音、鋭すぎないか?オドシじゃないんだから、ここはもっと柔らかくていいんじゃない?
「いや、ここは物語の始まり。いわば口上だから、聴衆にはハっとしてもらわないとね」
「口上はいいが、ここのGの音、少し長めじゃないか?」
「いやいい、ここは独奏だから。問題はこの後の弦のピッチカート。前にやった時も、タイミングを合わせるのが難しかった。」
この手の問答を前半二日間、後半はエレナの演奏する曲、”アルチュニアンダンス”で 徹底討論。
効率はいいとは言えないけれど、ドイツにきて師匠とエドとだけとのレッスンだったので、新鮮だった。正直、セミナーの時のようで楽しかった。
楽しい4日間の後は、地獄の3日間だった。事務局の手配してくれたスタジオで、一人で練習して曲をにつめていったんだけど、キツかった。精神的に。
ここのリズムのノリは、これでいいのか?とか最後の高音、音量はこれでいいかとか。もちろん今までさんざん練習もしてきた曲だ。なのに練習しだすと、今までやって来た事が、全て疑わしく思えてくる。これでいいのか?と。
そのうち、意地になってる箇所を練習した時、ひどく疲れてる事に気が付いた。これはよくない兆候なのだ。余分な力が入ってる証拠。こういう時は、問題の箇所は一旦、時間をおいて練習する事にした。
1日目は、集中するあまり夕食を忘れてしまった。ホテルでは何も食べる物がなかったし、昼はハンバーガー一個に水だけだったから、すきっ腹で寝る羽目になった。24時間開いてるコンビニなんて、ドイツでは殆どない。
2日目は、前日の失敗を繰り返さないよう、食料と水を買い込んで、スタジオで練習。昼食を食べすぎた。少し休んでからでないと、食べたのが逆流しそうで、少し休んでからジョギングにでも行こうと、思ったまま、寝てしまった。気づくと、もう午後4時。3時間も熟睡した。大失敗だ。
大慌てで、練習を開始したが、急ぐとろくな事がない、という真理を発見してしまった。
まず、譜面たてを肘がひっかかって、倒しそうになった。倒れると側にあるピアノに傷がつくので、とっさに抑えた。すると、床に置いてた飲みかけの水のボトルを、倒してしまった。コーヒーでなくてラッキーだったのかもしれない。
”クッソー”とぼやきながら、ピーペットの床を拭いてるとき、頭をピアノにぶつけた。目の前に火花が散るって、本当なんだな。
人生走馬燈は見なかったので、命に別状はないだろうって思いつくくらい痛かった。
気力を総動員して、練習を再開。ああでもないこうでもないと、自問自答しながら、自分って、今までちゃんと曲をつめてこなかったんじゃないか?いつもクラウス師匠や森岡先生にアドバイスをもらって、唯々諾々とこなしてただけだったんじゃないか?
なんだかため息しかでない。もう無理かも。その日は練習をやめ、ホテルまでジョギングして帰る事にした。途中、迷子になり徒歩に変更。さんざ歩きまわった末、やっとホテルに着いた。
運動したせいか、頭の血の巡りがよくなったせいか、さっきまでの自己否定の雲が晴れた。日コンで森岡先生や伴奏のセリナちゃんと、喧々諤々やった事を、しっかり思い出したからだ。
”大丈夫だ、ファイト!俺”3日目はもう開き直り。とにかく、1日中練習。迷った処や自分で今いちと思ったところは、ICコーダの録音を、確認。微調整して全体をもう一度演奏して録音を確かめた。例えば、一か所ニュアンスをかえても、全体とのバランスが悪いと、それは却下になる。
ハッキリしたリズムでテンポ感のある、1,3楽章より、ミュートを使った2楽章のほうが、よっぽど練習に時間がかかった。
ゆったりとしたテンポで音符の数が少ないと、それだけ音楽性というか人間性?がもろ出る。審査員の先生方には、時間が足りなくて練習不足なのがもろわかりかも。
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本番の前の日、オケとのリハーサル練習があった。持ち時間は、40分以内。一回通して、チェックして指揮者と打ち合わせしてを繰り返す。とてもじゃないけど40分じゃ足りない。でも時間厳守だ。
リハ順は演奏順だった。オケはさすがに前のコンクールより、音のツブが揃ってる。特に管楽器。
リハは、それほどオケとずれる事もなく、指揮者のデムライト氏には、特に”危険な箇所”だけ、ピックアップしてあわせてもらい、一回通しで曲を演奏してて3楽章の途中でタイムアップ。
残念だけどしょうがない。2番手と交代した。
休憩をはさみながら、リハが終わったのは夜の6時。他の人のリハも聴いたので疲れた。
それ以上にオケの方は、と思って注意してみると、そこは、さすがというか、解放されて晴れ晴れとした顔をして解散していった。
明日、頑張ろう。”ふふん”なんて、鼻で笑われたりしないよう。
日曜日か月曜日の深夜1時~2時に更新します。
今回、更新が遅くなってしまいました。すみません。少し忙しくて、文章を書く思考力0でした。




