実力は変動相場制
2次予選のカイト、ヨゼフ、ハンス、エリカの4人は、演奏が終わり結果がでましたが、カイトにはまだ悩みが多いようです。
心配は必要なかったようだ。ヨゼフと、待ち合わせのホールの玄関に,ごく普通にやって来た。
「ごめん、カイト。寝過ごした」
「まだ大丈夫、それより体調は大丈夫なのか?」
「カイトに、又、面倒をかけてしまいました」
ヨゼフはそういうなり、俺をギュっとハグした。
”いや気にするな、それより人目を気にしてほしい”といっても、彼もは通じなかった。そうだ、ヨーロッパでは親しい人への挨拶はビスやハグだった。
気持ちの切り替えが上手くいったかな?ただ、俺をハグするヨゼフの手が力がないような気がするのは、きのせいだろうか。無理して平常心を総動員してるだけかもしれなが、そこは追求はしないでおく。
コンテスタントは、多かれ少なかれ、無理して強がる時あるだろうし。そういう俺だって、昨日の本番はひどく緊張したが、精神をコントロールしようとと必死だった。
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予定表を見ると、ハンスもエリカも出番は、午前中だった。慌てて二人で聴衆席へ行くと、ちょうどリハが終わったところだ。
本番は後少しで始まる。周りは少しざわついている。2次予選となると一般の人もいるようだ。
「エリカの自由曲は、僕と同じなんだ。Bozzaのcaprise。聴いてみたい、でも少し怖いって気持ちもある。余計に落ち込みそうで、でもそんなんじゃいけないんだよね?」
え?俺に話しをふるのか。コンクールの経験はヨゼフの方があるんじゃないかな。
「今まではどうだったんだ?俺は日本にいるときは、他のコンテスタントの演奏も聴いたぞ。”弱い自分に負けたくない”とか、半分、意地になってたかもしれないけどな。そこはお前と同じかも」
大学時代に出たコンクールでは、単純に楽しい時もあれば、悔しい時もあった。自分の演奏より少しだけ上手いと感じた時は、歯噛みするほど悔しかった。なんで俺はこうしなかったんだろうって後悔と、ネタミもあったかもだ。
「俺はもう落ち込むには時間もお金も足りない。だから極力ドツボにはまらないよう努力してる。ドイツに残っても日本へ帰っても、プロで食べていけなければ、他の職種で仕事を探さないといけない。親にお金を出してもらうのは、今回で終わりだから」
「浪人前提なのは、僕も同じ。日本より需要が多いかもしれないけど、演奏家の層も厚いんだ。」
こっちの音楽事情については、プロのクラウスと違う見方が、ヨゼフやハンスから聞けそうだ。
なんだか本選にも行けてないのに、プロについての話題に話しがそれた。少ししてアナウンスがはいった。2次予選二日目、これが終わればその日のうちに、本選へ進出者が発表される。
ハンスの演奏が始まった。彼は午前中の3番目、その次がすぐエリカ。
ハンスの自由曲は、Halsey Stevens の”トランペットとピアノのためのソナタ”の第1楽章。
課題曲のほうは、最初、緊張して肩に力が入ってるようだったけど、この曲の優しい曲想に癒されたのか、へんな力みが抜けたようだった。問題は自由曲だった。自分で選んだのだから好きな曲なのだろうに、演奏しにくそうにしてる気がする。
そう難易度の高い曲じゃないはずなんだけどな。テクニックの面ではパーフェクトなんじゃないかな。で、俺の感じるこの違和感はいったいなんだろう?
俺と同じように、ヨゼフも首をかしげてた。錬成をつんでも所詮人間、好不調の波があるのだろうけど。
ハンスが舞台袖に引っ込み、すぐエリカがでてきた。譜面をセット。ミュートを所定の位置におき、軽くチューニングをすませた。
1次予選の時の彼女の演奏は、”華やか”って印象だった。彼女の持ち味なのだろう。
課題曲は、俺が聴く限り、”上手いけど若干ロマンチックかな”という印象。フランセは新古典主義に近い作風だ。”新古典”ときたら、ロマン派のようにウネウネと抒情的に演奏することはない。
彼女の演奏は、甘さは俺より多めぐらいか。多分、審査員の好みも影響するかもしれない。
自由曲で彼女は、持ち前の音色とダイナミクスで、賑やかな曲に仕上げて来た。ヨゼフと比較すると段違い。いや、ヨゼフも彼なりに頑張ったのだろうと思う。
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午後の部も聞いて、最後のほうでヨゼフは腕を組んで項垂れてた。よっぽど落ち込んだのかなとのぞき込むと、寝てた。2人前までは前を向いて熱心に聴いてた気がしたが、やはり昨夜はあまり眠れなかったんじゃないのかな。
昨日は還るすぐに寝室に引っ込んだけど、あれは”眠い”じゃなく”寝たい”って事だったのかも。
コンテスタント達の演奏は終わり、後は結果を待つだけだ。本戦は当日に演奏順番を決める。くじ引きだ。2次予選に残ればの話だけど。
俺はヨゼフをおこして、ホール前でハンスとエリカと合流した。
「よかったよ。勉強になった」
「言葉が抜けてるぜ、カイト。”よかったのはエリカ。俺はてんてダメダメだったな。ま、しょうがない。」
失敗したっぽいハンスに、正直に言うのは無理。俺は日本人だし”お愛想”の文化の賜物なんだろうか。そんな俺の言葉へのハンスのイラっとした言葉だった。
「”ハンス、やらかした”とは思ってない。ただ、俺は、今日の君の演奏を聴いてて、何か違和感を感じたんだ。1次の演奏を聴いてるから余計そうなのかもしれないけど。」
「お腹痛かったり、二日酔いだったりした?」
”俺は酒が飲めないって、何度言ったらわかる、ヨゼフ!”と、ハンスがキレて、ヨゼフの首にタックルをかました。なんのかんのいって、仲良しなのかも。
「ジャレるんじゃないわよ。ったく。正直じゃないんだから。やっぱりハンス、彼女と上手くいかなかったの?」
エリカの言う”彼女”とは、ハンスの伴奏者の事だった。彼女の話しによると、相性が悪かったんだとか喧嘩したんだとか。違和感の正体はこれだったんだ。
「ハンス、伴奏者は採点の対象にはならないよ。」
自分で言っておいてなんだが、ソナタでもそれが”トランペットとピアノのための”ついたと曲となると、掛け合いとか曲想のすり合わせとかしておかないと、さすがにマイペースで演奏してても、調子を狂わされるだろう。
本選進出者の番号と名前が発表された。やっぱりヨゼフとハンスは先に進めなかった。2次でおわりだ。
「来年のコンクールにかければいいじゃない。それに、ヨゼフは体調不良で、ハンスは伴奏者とのトラブルで自分の実力の半分も出せてないでしょうに」
コンクールは、ドイツ国内も周辺諸国も、冬はない(トランペット部門に限ってはだけど)
「エリカ、何か勘違いしてるようだけど、実力って変動相場制なんだよ。よく”緊張していつもの半分も力をだせなかった”なんて言い訳するヤツいるけど、間違いだ。その時だせた実力が、自分の実力さ」
彼は自分に言い聞かせるように、言った言葉。俺にとっても重い言葉だ。
変動相場制、確か経済関係の言葉だけど、確かに出来不出来が極端なのも、困り物だ。そんなんではプロは無理だろう。
俺の演奏は、そう変動はしてないだろう。ただ、低い処で安定してるのも、始末に負えない。それって、自分の音楽に満足してるって事の裏返しだ。
若い今のうちにっていうか、一生、演奏の音楽性を高めようと努力するのが、演奏家であることに最低の条件だ。
日曜日か月曜日の深夜(午前1時~2時)に更新します。




