朝のゴタゴタ。一次予選始まる。
いよいよ、ベルリンでのコンクールの1次予選がはじまりました。ところが、会場に入る前にカイトは難儀な目にあいます。
当日、コンクールの会場に着くと、”カイト”と後ろから抱き疲れセリナちゃんと勘違いしそうだった。俺に熱烈な抱擁の挨拶をくれたのは、クラリスだったのでびっくりだ。
「ベルリンのコンクールに来るって言うから、会いにきちゃった。」
「クラリス、確か君もピアノ部門で出るってこの間のメールにはあったけど?」
「3次予選、自分の演奏は終わったの。明日、結果発表。」
明るすぎる笑顔で、何かテンション高すぎ。もしかして演奏で何か失敗して落選確実とかある?鬱になる処を、逆方向に針を振り切ったとか。
「クラリスなら、普段道理なら、余裕でファイナリストだろう?」
わざと軽い口調で話題をふると、途端、目がウルウルしたと思ったら泣き出した。路上で女性に泣いてすがられるなんて、俺が悪者みたいじゃないか。
「はいはい。落ち着いてクラリス。3次予選で何かやらかした?」
「2曲目まではよかったんだけど、3曲目のショパンで、ちょっとオーバーだったというか、やりすぎたかなって」
エドが、”関係ない、他人です”なんて顔で、ニヤニヤしながら、野次馬してる。助けろよ。ピアノ弾きだろうに。アイコンタクトしてるのに、通じない。日本人って表情ってわかりにくいのか?これでも俺は、喜怒哀楽がわかりやすいと大学の仲間内では言われてたんだけどな。
「ちょっとやりすぎたくらい、ショパン大先生の曲がカバーしてくれる。私はカイトの伴奏をするエドといいます。もしかして君がカイトと共演したレディ・クラリスかい?話しは聞いてたけど、お姫様みたいにかわいいね」
なんとかエドの言葉で、クラリスは少し落ち着き、俺の体は解放された。ホっとしてると”カイト、誰?その女”と、よどんだ声に振り返ると、ヨゼフだった。暗いオーラをまとってるのが、俺にもわかる。目の下も黒く、猫背で元気がない。
「どうしたんだ、ヨゼフ。寝不足かい?君は出番は明日だろう。少しでも休んだほうがいいんじゃないか?」
「駄目、無理。僕なんかがこのコンクール出たのが、場違いだったんだ。」
あ~あ。リンゴの暗示が効かなくなったか。不眠には効いても、こういう場合はさすがに無理だろうな。
「ヨゼフも、落ち着いて。俺もお前も、二つのコンクールでファイナリストになったじゃないか。俺の日本の友達は書類審査で落とされたぞ。」
日本の辻岡からメールで、ベルリンでのこのコンクールの書類審査に落ちたと。正直、意外だった。スランプさえこえたら、彼の音は明るくていい音なのに。
「僕より上手な大学の先輩たちと、明日、一緒なんだ。きっと1次で落ちるよ。」
そういって抱き着いて来た。俺はテディベアかっつうの。
「落ち着け。自分より上手い先輩が同じ日なら、思い切ってアドバイスしてもらったらどうだ?自分より上手い人が目の前にいるっていうのは、すごく有り難い事だぞ。とにかく今日は寝る事が第一だな」
俺にとってクラウス先生は音は、目標になってる。先生からは”自分の音を探せ”と、怒られるけど。
すったもんだの末、俺たちはやっと会場の中に入る事が出来た。クラリスは、コンテスタントだけれど部門が違うので、入場できなかった。彼女は帰り際に俺を観光に誘惑した。
「カイト、明日はヒマなら、ベルリンを案内してあげる。旧東ベルリンのほうは、名所旧跡が多く観光地。それに”楽器博物館”なんてのはどう?行ってみたいでしょ?」
「3次予選の結果はいつ?」
「明日の夜よ。それまで落ち着かないし、何も手につかない」
「そういう時は、体を動かすのが一番いいよ。あと、女子ってよく食べ歩きとかするじゃないか、そういうのはどう?」
クラリスは3次を通れば、多分、本選に向けて意識を集中する。俺は1次の予選で、他の演奏を聴きたい。こういう機会は、長い人生でそう多くはない。もし、彼女が落ちてたら、1次予選が終わったら、憂さ晴らしに付き合ってもいいけど。
俺は他のコンテスタントの演奏も聴きたいからと、クラリスの申し出をやんわりと断り、帰した。
コンクールが始まる前に、なんだか疲れたな。だいたい、この会場に来るのに一苦労だった。前夜、ベルリン中央駅で降り、ホテルについたものの、会場を確かめるには夜遅すぎた。それで、今朝早くに、電車・バスを乗換てやっと着いた。
ベルリンは、東京23区より広いっていうけど、そもそも俺は東京での生活は大学と家の往復が殆どで、ピンとこなかった。ミュンヘンよりかなり大きい都市であるのは、わかったけれど。
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1次予選が始まった。
俺は出番までは、控室になるリハーサル室でウォーミングアップ。ヨゼフは忠告を聞かず、そのまま1日目の演奏を聴いてる。クラリスは、”本選は絶対くるから”と、帰ったけど、俺、本選に残れるのか?
ヨゼフの不安病が少し影響したのか。ヨゼフは、端正な綺麗な音を出す。太い力のある音を出すところは、少し力が足りないけど、ファイナリストに残るだけの力量はある。その彼を不安にさせるほど、上手い演奏者の出番が明日だ。
そういえば、心なしか控室の空気が違う。緊張してるというのじゃなく、自分の持つプライドの高さみたいなのがにじみでてるような雰囲気。緊張感の中でなおかつ、リラックスしてる。
「なんだ?カイト、しおれてるな。ま、朝、一番にあれじゃな。しょうがないよな。お前さんはきっと頼られる性分なんだよ。それに二人ともカイトの事が大好きなんだな。もてるって事はいい事だ。それにもう、今更どうしようもないしな。直前で演奏を変えるってのはナシにしてな。俺がついていけない」
これからリハーサルって時に、エドは笑いながら、俺の背中を叩いた。さすがに、ヨゼフの話しは、ちょっと心に響いたけど、確かに、今更どうしようもないんだ。コンクールのレベルにあわせて練習量を変えていたわけじゃない。前もその前も、日コンでも、出来るだけの時間、精一杯やってきただけ。今回もだ。
「ありがとう。エド。ホールの関係で演奏の微調整はあるかもしれないけど、基本は変えないから。」
「おおよ。このホールは見たかんじ、そう響かないな。建物のせいかもしれない。そこんとこは、リハで打ち合わせだな」
昼食もそこそこに、リハーサルへ向かう。控室のコンテスタント達は、”緊張で食べる事が出来ない”って人は、いないようだった。
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午後の部の出場者のリハも終わり、いよいよ本番が始まった。
午前の部のコンテスタント達が口々に言っていたのは、課題曲のテレマンの協奏曲は全楽章、演奏させられたって事だった。応募要項には、この曲は、審査員に指示された箇所を演奏するとあり、1,2楽章とか、2,3楽章とか。それもトランペットの演奏の処だけとか、そういう想像をしていた。俺も最初はそう思っていたけど。
応募要項には、全曲とおしで練習する事とあったので、クラウスの指示通り、俺はずっとそう練習してた。大変だったのは伴奏者のエドだったけど。
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結局、テレマンは、全曲とおしで演奏した。エドはあせることはなかったけど、さすがに最初は緊張してたようだ。ただ、トランペットの入る前からの演奏を聴く事で、俺の中でモヤモヤの不安が解消され、結果、リラックスして演奏出来た。2曲目の独奏曲も、気分だけはそのままでいどんだ。必要以上に個性を出さず、作曲者の指示通り。それでも、自分の考えは、少しは入れて(結果はどうとでもなれだけどな)
エドは、そのままホテルをチェックアウトして帰るそうだ。入り口で別れをいった後、俺は最後の4人の演奏を聴くことにした。ちょっと疲れてるけど。
ヨゼフがいたので、横に座った。私語は厳禁だけど、なんだかヨゼフは寝不足のせいか、いつのまにか俺によっかかって寝てる。眠いのはわかるけど、これじゃカップルじゃないか。ヨゼフ。
でも、無理に起こすのも可哀想なんだよな。で、放っておいたら、次の日、えらい目にあうことになった。
週一更新です。




