音楽療法、慰問演奏
二人での練習を終え、セリナちゃんに頼み事をするのを、忘れてた。
実は、去年まで金管アンサンブルグループで、光が丘老人ホームという処で、
俺は毎年、慰問演奏会をしていた。
ところが、今年は、仕事が忙しいとか日本にいないとかで、メンバーが集まらなかった。
もちろん、断る事も出来る。でも、俺自身、そういうミニコンサートが好きなんだ。
ただあくまでも、”老人ホームでの慰問”だ。
最初は、一人でもと思ったけど、セリナちゃんに伴奏を、ついでにプログラムなど
にも、参加してもらおうかなと思った。
これは”完全なボランティア”で、交通費も出ない。
俺が誘った手前、セリナちゃんには、その日の昼食は俺が奢るということで、
セリナちゃんにお願いメールを送った。
”実は、老人ホームへの慰問、一度やってみたかったんだ”との返信に
俺はホっとした。
プログラムは、歌謡曲や童謡、有名なクラッシックの曲の抜粋を少し。
そのうち、何曲かは、職員と入居者の人に歌ってもらうことにした。
施設職員へ、その旨、伝えておいた。
去年、歌った童謡でいいかな。セリナちゃんにも相談だな。
いつものカフェテリアで慰問演奏会の打ち合わせ。
セリナちゃんからも、希望の曲を出してもらった。
彼女も前に、児童養護施設で慰問演奏をした事があるとかで、
あの曲がいい、とか、こういう趣向で とか、話しが盛り上がった。
彼女が児童養護施設で演奏したときは、五重奏団で。
前半は、クラッシックの曲を一つ、後半は簡単な童謡、アニソン、pop。
前半は(先生のいう事を聞いて)前半はおとなしくしてた子供たちも、
後半は、もうバラバだったそうだ。
自分の知ってる曲が演奏されると、子供たちは歌って跳ねて、大騒ぎ。
学校の先生方は、たいそう喜んでくれそうだ。
音楽にあわせて楽しく体を動かす。
こういう経験をさせたかったのだとか。
まあ、老人ホームでは、”大騒ぎ”にはならないかわり、体にさわらないような
曲選びが必要かもしれない。
カフェでは、俺たち二人は浮いてたんだろうか。
下級生の女子が3,4人、俺たち見て、小声で何か言ってる。
”ほら、あの桜木さん。小百合先輩の代わりに伴奏してるんだって。
いろいろと不足っぽい?ww・・・”
そこだけ聞こえた。いや、聞こえるように言ったのか。
俺は、テーブルをバンっと叩いて立ち上がり、その女子たちのそばで
大声でかました。
「あのさ、何か言いたい事あるんなら、もっと大声でね。
不足って、力不足、俺の事言ってるんだ。今度、練習を見て、
問題点を指摘してくれるとありがたいんだけどな」
もちろん、皮肉まじりの冗談だ。
”いえ、あの、その・・”と 彼女らは退散していった。
音楽家の卵のつもりなら、音楽に集中すれよな。
俺は、腹が立った。確かにセリナちゃんは、小百合ちゃんほど美人ではないけど、
彼女の弾くショパンを聞いた時感じた、あの優しいオーラ
あれは誰にもだせない。
セリナちゃんは、背中を丸くしてショボンとしてた。
「いいのよ、カイト。私、もう、いろいろ言われてるし、慣れてるから。
彼女たちにとって、小百合ちゃんは、理想のお姫様なのよ。
今の4年生は、現実の小百合ちゃんを知らないし。
さ、打ち合わせの続き、続き」
ああそういえば、彼女は1年、休学してたんだ。
そこらへんの事情は知らないけど、あまり女友達に恵まれてない感じだ。
今は、慰問演奏に集中しないとな。
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光が丘老人ホームは、入居者、80人ほどの中規模のホームで、
建物は、若干、古かった。演奏会は、10時半から。30分ほどの予定。
聞きに来た人のうち4人が職員がベッドごと移動できた。
20人ほどが車椅子や歩行器で来た。
残りは体調が悪い人か、参加したくないと拒んでる人だそうだ。
最初、童謡の”結んで開いて”とか、 歌いながら手を動かしながらの曲を演奏。
手がついてこれない人が多い。
その中で、職員の人は入居者を見ながら、時々掛け声をかけながら、
楽しそうに歌を進める。
セリナちゃんは、上手くその場の状況でテンポを加減してる。
上手だし楽しそうだった。。
俺の持ち時間になり、俺は今回は、コルネットも使う。
最初は、某胃薬の有名なCMテーマから。
なんとか反応があったところで、楽器の紹介。あまり気の利いたことはいえないけど、
ゆっくりハッキリした発音で、話した。通じたかな。
演奏した童謡は、「おさるの籠や」「お馬の親子」「犬のおまわりさん」
共通項は、干支の動物の出てくる童謡だ。
セリナちゃん、お手の物とばかり、軽い音で伴奏してくれた。
「今日は、本当にありがとうございました。また、よろしくお願いします」
金管アンサンブルの時は、年に1度だったけど、今回は評判がよかったのか、
半年後くらいに、また来てほしいとのこと。
報酬はないけど、ここは”心の勉強場”としていいか。
「セリナちゃん、今日はありがとう。皆も楽しんでくれたみたい。
何も報酬はなくて悪い。お昼、奢る。何が食べたい?」
「こちらこそ、感謝します。こういう活動って大事だし、
私、音楽療法とかに興味あるからよかった。お昼はね、ピザがいいな」
ピザなら、俺はラージ一枚、軽くいくな・・
玄関で靴を履きかけた時、入居者のある部屋が騒がしい。
何事だろうと、足をとめると、職員の人が僕の所に走ってきた。
「良子さんていう入居者さんなんだけどね。
戦争で亡くなったご主人が、ラッパ吹きだったそうで、今日のあなたの演奏を
聴いて、大騒ぎなのよ。やっとご主人が帰って来たって。
今だけでいいから、ちょっと話しを合わせてあげてくれるかな?」
部屋では、職員と良子さんが大声で言い合いしてた。
寝た切りの良子さんが、立ち上がろうとするのを職員が止めてるんだ。
「やっとだよ。やっと靖男さんが帰って、私を迎えに来てくれたんだ。
早くいかないと」
そんな良子さんの姿は、あわれに見える人もいるだろう。
でも本当は、今、良子さんは幸せかもしれない。
例え、次の日に忘れたとしても。
「良子さん、長い間、待たせてしまって申し訳ない。
あと少しだけ待ってください。すぐ迎にきますから」
こんな”靖男さん”で、いいかな・・
良子さんは、僕の手を握り、”後 少しね”と嬉しそうに言った。
そんな良子さんの訃報を聞いたのは、それから1か月もしないうちだった。
「良子さん、旦那はラッパ吹きって事だけは、覚えてたのかな・・」
「ラッパの音で思い出したのかもね」
俺たちは、二人で合わせ練習の時、良子さんのため合掌した。