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EARTH‐MASTER ―篁 葉月編―  作者: 早藤 尚
8/15

 ――約束をしたんだ。

 君と、あなたと。



        *



 もうもうと立ち込めた水蒸気を涼風が霧散させる。

 全身をなぶる湿った風に一瞬目を眇めてから、メディテイトは己のすぐ傍らで膝をついたままの人物を見た。

 細い鋼を思わせる青みがかった黒髪。肩を流れるその髪には飾りのようなきらめく玉がいくつも揺れている。薄物のはずだった衣服は丈の長い夜色の外套に変わり、お世辞にも逞しいとは言えない背中には、――いびつな形状をした、夜色の片翼。

 異界から来た少年――であったはずのその人物は今や、別人かと疑いかねないほどに、変貌していた。

「な……」

 無意味な言葉を発しながら、驚愕のあまりメディテイトは一歩後ずさった。

 これは何だ。

 目の前の事態は己の理解の範疇を超えている。

 守護者に覚醒して、こうまで風貌が変わるなど……聞いたことがない。いや、風貌が変わる、などという生易しいものではないだろう。

 眼前で震える翼。

 これでは――全く違う生き物ではないか。

「彼」が痛みに悶えはじめたときは、魔力石がまだないせいかと思った。何故なら「彼」はその時点で魔力石になりえる物を何も持っていなかったからだ。しかしそれにしては苦痛の程度があまりに酷い。

 何より、それくらいではここまで変貌するなど考えられない。

 ふ、と微かに息を吐く音が聞こえた。

 メディテイトは我に返り、知らず知らず、「彼」を凝眸していたのだと気付く。それでもどこか沈鬱に眉根を寄せずにはいられなかった。

「……とりあえず、無事に覚醒出来たようで何より。守護者はお前で最後だ。同胞よ、歓迎する」

 返事はない。

「守護者の存在を感知出来ても、それがどの守護者なのかまでは我らには解らない。よければ、名前と称号、属性を教えてほしい」

 微かに、鋼の髪が揺れた。

 抑揚のない声が静かに響く。

「……ヴァリエ。永久に巡り識る者、不変であり形なき守護者。属性は――」

 ゆるりと顔だけがこちらを振り向く。相貌は全く変わらないのに、片目だけが、夜の海にたゆたう月のような琥珀色を帯びていた。

「魔力、石は……?」

 メディテイトの問いに「彼」、いやヴァリエはしばし沈黙してから、気怠げに立ち上がった。視線はすでにメディテイトから外れている。

 これが、本当にさきほどまでの少年だろうか?

 自分が頬を打ったはずの、何も知ろうとしなかった少年の姿とは似ているようでどこか齟齬がある。

 無気力そうな話し振りはさっきまでと変わらない。しかし……あれほど揺らいでいた、その瞳に浮かべていたはずの動揺が一切消えている。

 どこまでも反応の薄いヴァリエに、メディテイトは多少の訝しさを感じながら、

「いや、無理に教える必要はない。……これから、どうするつもりだ」

「別に、どうも」

「……なんだって?」

 メディテイトが凄んでも当の守護者は顔色ひとつ変えず、こちらを一瞥しただけ。こいつは、本当に解っているのだろうか?

「覚醒したなら解っているはずだ。我々のさだめが。知らぬふりなどするな」

「どうでもいい」

 メディテイトの台詞を一蹴し、ヴァリエは目を伏せた。それはさながら会話終了の意思表示のよう。

「ふ……ざけるなっ!!」

 気付けばメディテイトは声を荒らげていた。

「守護者になったんでしょう!? 守護者が何者かわかったはずでしょう!? リーレイの――リーレイの気持ちだって、わかったんじゃないのか! なのにお前はまた……っ、また、知らないふりをするのかッ!! どこまで彼女の気持ちを蔑ろにすれば気が済むんだ!!」

 リーレイは友達だった。

 この寒冷の地で唯一の、解り合える親友だった。だったのに!

 この男のせいでこの男のせいで、と恨み言がメディテイトの裡に蓄積していく。

「……彼女の気持ちは僕には永遠にわからないし、あなたが言うところの『守護者のさだめ』も僕には関係ない」

「……っ!」

 目の前が真っ赤に染まった。

 元々守護者同士だからと言って馴れ合うものでもない。ないが――ヴァリエはリーレイの想いを無下にした――このときのメディテイトには、そのことばかりが頭を占めていた。

「こ……のッ!」

 腕を振るって力を行使する。

 ただ怒りを吐き出したかっただけ。その行為を戒められるほどの理性は今のメディテイトにはなく。

 メディテイトの属性は「天空」、すなわち重力。

 不可視の重量を伴った鉾が、瞬時に生成され、目の前の守護者を押し潰す――はずだった。

「……え……?」

 半ば茫然と、虚空を凝視する。

 何も起きない。

 守護者の力は確かに働いていた。

 しかし、何らかの力によって、強制的に消失させられた……!?

「お前……今、何を……した?」

 返ってくるのは微かな吐息。それから――、

「……あなたの魔力石は、その鎧なんだね」

「…………」

「……言いそびれたけど、僕の属性は『金属』」

「きん……ぞく?」

 おうむ返しに呟いて、己の身に纏った銀色の鎧を見下ろす。

 そんなメディテイトからヴァリエは視線を外したまま、

「……ところで、いくつか聞きたいことがあるんだけど」

「聞きたいこと?」

 メディテイトは眉をひそめた。

「……今この世界に、軍人は居る?」

「王室近衛団ならあるけれど……きちんとした軍部はない」

「……大爆発を引き起こすような兵器は」

「ない。正確には知らない、と言うのが正しい」

 一体。

 何を知りたいのか?

 じゃあ、と言ってヴァリエは透かし見るように森へと視線を向けた。その方角は、奇しくも北の扉がある方向だ。

「……今まで来た召喚者は――何人?」

 何故。

 そんなことを。

 混乱しながらも自分が知る限りの情報を口にする。

「お前を入れて、『二人』。最初のひとりは今はもう伝説上の人物だ。……私は、会ったことがない。守護者が全員目覚めたから、召喚さえすれば新たに三人めが来るだろう。アースマスターとしては、二人めになる」

「……そう」

 当惑するメディテイトを尻目に、ヴァリエは虫でも払うかのような仕草をした。途端に、ヴァリエの姿が揺らぎ、一瞬後には守護者になる前の容姿に近い姿になる。瞳は左右同じ色だったし、髪も長くはないし、衣服も細部は違うがほぼ元通りだ。翼に至っては生えていた形跡すら認められない。

 その姿で、ヴァリエはメディテイトに向き直った。

「……僕には、果たさなければならない約束があるんだ。未来がどうなろうと僕に支障はない。だからあなた達がこれからやろうとしている争いには、全然興味がない」

 それに、とヴァリエは言葉をついだが、呟くほどのちいさな声だったのでメディテイトには届かなかった。

「僕が待ち望んでいるのは……その『三人め』じゃないんだ」



         *



(おねえちゃん)

 頭のなかにちいさく反響する。

(おねえちゃん!)

 まだ幼い女の子の声。

 視界を上塗りするように、それは映し出された。

(――リーレイおねえちゃん!)

 そういえば彼女は妹に会えたんだろうか。あんなに、嬉しそうにしていたのに――。

 まるで古ぼけた映写機みたいに、今見ている景色に重なって、現代なら小学生くらいの女の子の姿がぼんやりと見える。

 金髪に、深緑の瞳。

 なんとなく判った。

 ……あんまり、似てないよ。

(おねえちゃん、あたしをひとりにしないで……!)

 女の子は何かに取り縋るように泣き崩れた。彼女とは違う、緩く巻いた金髪が肩を流れて落ちる。

 場所は屋内のようだ。女の子の後ろに白塗りの壁と様々な瓶が並んだ棚が見てとれる。他にも数人の大人の姿。彼らはみな一様に通夜の最中かのような表情で立ち尽くしていて、それが理由もなく不安をかきたてる。

 ここは、女の子の、家?

 そんなことを考えたとき。

 間違えようもない、間違えるはずのない声が、聞こえた。

(…………)

 それは酷く弱々しい。

 だけど凛然とした。

 紛れもない、彼女の声。

 そんなことしたところで触れられるわけはないのに、僕は手を伸ばそうとしている。何度も何度も、伸ばしては触れずじまいだったこの手を。今さら。

 ――今さら。

 だって。届くなら。まだ間に合うなら。

 まだ。もっと。ちゃんと、……向き合いたかった。向き合いたかったんだ。こんなふうに、終わってしまいたくなかったんだ。きちんと自覚したかったんだ。それほどの時間を、これからも、一緒に……過ごしたかった、だけなんだ。

 まだ何にも話してなかったじゃないか。僕のことも、あなたのことも、聞きたいことも聞いてほしいことも。その春の陽射しのような微笑みで、もっと僕を困らせてみせてよ……。

 僕はまだ、あなたの名前すら呼んでいないのに!

 いつか咲くはずだった花は見せる相手を永遠に失って、花開く日ももう来ない。蕾のまま、いつまでも僕のなかに根差し続ける。

 枯れること、なく。

(……、)

 彼女の声は妙にくぐもっていてよく聞き取れない、もどかしい!

 どうして僕はこの場に居ないんだろう? 見えてるのに、聞こえてるのに、識ってるのに!

 不意に視点が移動する。まるでビデオカメラでも回しているように、覚束ない動きで、僕の目は女の子を真正面から捉えた。

 鮮やかな黄金色の髪。丸みを帯びた顔の輪郭、濡れた睫毛。震える両手。

 やっぱりあんまり似てない。

 ただひとつだけ、彼女と同じ色の瞳が、泣き濡れながらも毅然と輝き始めた。

 何かを覚悟したように、何かを決意したように。

 ああ、……やっぱり、似てるかも。

(大丈夫……あたしがんばるから! おねえちゃんのぶんもがんばるから! おねえちゃんが出来なかったことは、あたしがやるからぁっ!)

 だからお願い死なないで――置いていかないで――

 悲鳴にも似た叫びは、女の子のものだったのか、僕のものだったのか。

 わからない。

 唐突に、映像は途切れた。蒼茫とした視界に入るのは、もう見慣れた針葉樹の森、穏やかな水面。

 あれは……今のは、鏡の?

 僕が変化させてしまった彼女の魔力石。僕と彼女の約束の証。

「守護者にとって魔力石は命に等しいもの」だと彼女は言っていた。その意味が今は自分でも解る。

 ――あの魔力石は、まだ壊れていない。

 そうか。そうなのか。

 気が緩んだのか、微かに吐息が漏れた。

 それを見計らったかのように、背後から声がかかる。

「……とりあえず、無事に覚醒出来たようで何より。守護者はお前で最後だ。同胞よ、歓迎する」

 ……守護者、ね。

 水面に映る、見違えるほど変わってしまった自分の姿を僕は改めて見つめた。不思議と動揺や狼狽はなかった。ただ、髪が長いのは邪魔だなと、そんなどうでもいいことを思いはした。……酷いイメチェンだ。東海林が見たら何て言うかな。

「守護者の存在を感知出来ても、それがどの守護者なのかまでは我らには解らない。よければ、名前と称号、属性を教えてほしい」

 ――名前。

 嫌いな自分の名前。呼べなかった彼女の名前。次に会ったら必ず呼ぶと、約束した名前。

 ……僕がこれから、「僕」として生きる為に名乗る名前。

 緩慢に首をひねって、金髪の守護者を見た。

「ヴァリエ。永久に巡り識る者、不変であり形なき守護者。属性は――」

 からん、と髪に飾られた玉が鳴る。

 天空の守護者は異形のものでも見るような目つきで、

「魔力、石は……?」

 悪いけど、命の在り処を教える気はない。

 もっとも、僕の場合はたぶん、「無くても支障はない」かもしれないけれど。

 僕はゆっくりと立ち上がった。なまじ背中に慣れないものが生えてるせいで均衡が取りにくい。別に飛びたいわけじゃないのに。

 のっぺりとした水色の空を仰ぐ。

 僕は、この世界のことを何も知らない。それは、知ろうとしなかった僕の責任だ。だから、知らなくちゃいけないんだ。

 約束を、果たす為に。

 手繰り寄せる糸なら、すでにある。僕の記憶のなかに。やっぱり何にも知らずに、ただ過ぎる日を浪費していた、あの頃の――東海林の、言葉のなかに。

 思い出せ。あいつは、僕に何を言っていた?

「……これから、どうするつもりだ」

 メディテイトが僕に問う。

 僕の最優先はふたつの約束を果たすこと、と答えようとして、質問の裏にある真意に気付いた。

 僕は間髪入れず、こう答える。

「別に、どうも」

「……なんだって?」

 メディテイトの台詞に当惑の色がこもる。

 ちらりと窺うと、どうやら予想外の解答だったようで、見開かれた青い瞳には憤慨よりも戸惑いが勝っていた。

「覚醒したなら解っているはずだ。我々のさだめが。知らぬふりなどするな」

 詰問口調でまくし立てられる台詞に僕は気のない返事をして、メディテイトがそこまで高ぶる理由について思案をめぐらせる。

 僕自身、自分は例外的なケースなのだと自覚している。普通は、と言うか、だいたいの守護者はきっと、望んでそうなったわけではないのだろう。彼女のように、代償に失うものが少なからずあったんじゃないだろうか。

 しかも、新たに名前を得る、力を得る、さだめを負う、ということは、これは人生の上書きそのものだ。本来の人生を歩む為には、邪魔以外の何物でもない。

 そして、守護者は……守護者になる人間は「拒否が出来ない」。残酷なまでに、本人のすべてを無視したシステムと言っても過言ではない気がする。

 だからこそ、その不条理さに打ち克とうとする守護者がいても、おかしくはない。

 そもそも、存在自体、意味不明だし……。

 世界を統べて未来を選ぶアースマスターがいるなら守護者は要らない。逆に、未来を掲げる守護者がいるなら多数決でも何でもして決めればいい。アースマスターなんか喚ぶ必要はない。

 もしもこの世界に創造主がいるんだとしたら、その人物は相当行き当たりばったりで後先考えずに世界を構築したんじゃないだろうか。創造主としては、最低だ。

 その歪みの皺寄せが、守護者。……彼女。

 彼女じゃない被害者が頬を紅潮させて激昂する。

「守護者になったんでしょう!? 守護者が何者かわかったはずでしょう!? リーレイの――リーレイの気持ちだって、わかったんじゃないのか! なのにお前はまた……っ、また、知らないふりをするのかッ!! どこまで彼女の気持ちを蔑ろにすれば気が済むんだ!!」

 それは、僕が守護者の使命に対してやる気が希薄であるということより、彼女の想いに応えてあげられなかったことの方を責めているような口振りだった。

 この人にも心のなかに花があるのかもしれない。見せる相手を失った、ひとりぼっちの花が――。

「……彼女の気持ちは僕には永遠にわからないし、あなたが言うところの『守護者のさだめ』も僕には関係ない」

 彼女が本当は何を望んでいたかなんて、知る機会はもう訪れないんだ。僕はせいぜい、拙い想像を巡らせるだけ。答え合わせが出来ない問題を、延々と解き続けるだけ。

「こ……のッ!」

 激情に任せてメディテイトが力をふるおうとする。見なくてもそれが「判る」。

 僕の言い方のせいもあるかもしれないけれど、平手打ちされたことと言い、どうやら怒ると手が出る性質の人らしい。

 なんにしろ僕は今危険にさらされている。なのに、全く危機感が湧いてこない。何故だろう。

 僕は、殺されるかもしれないのに。

 ……死ぬのは、駄目だ。死んだら意味がない。存在する意味が。守護者になってまで生を選んだ意味が。だから僕は、死ねない。ずっと。

 周囲が陽炎のように歪む。銀色の鎧が鈍くきらめき始めた。おそらくあれがこの人の魔力石。

 なら、そう難しくはないはずだ。

 一本だけ髪を伸ばす。細く、長く、ピアノ線のように。それを指で軽く、弾いた。

 激昂しているメディテイトは気付かない。自らの鎧を一本の鋼線が叩いたことなんて。

 触れ合う一瞬に命令を送り込む。

 それはただ一言。

「鎮まれ」

 一切の動作を止め、放たれる寸前だった天空の力は沈静化した。何の余韻も残さずに。

「お前……今、何を……した?」

 伸ばした髪は元の長さに戻っている。メディテイトはやっぱり気付いてないし、教えるつもりも僕にはなかった。我ながら化け物じみた業だと自嘲じみた笑いを心中で零しながら、

「……あなたの魔力石は、その鎧なんだね」

「…………」

「……言いそびれたけど、僕の属性は『金属』」

 微風が髪をそよがせる。

 守護者を享受した僕に、それでもまだ引っかかることがあるとすれば、それは……。

 東海林。君にまつわるもの、すべて。

 北の扉で目にした光景も……そもそも東海林が僕に散々話しかけてきた、その理由すらも。

 鍵ならこの手のひらに揃っている。すべての答えを僕は見ているし聞いているはずなんだ。あとは、正解の鍵穴へ嵌め込むだけ。

 いつかあいつが言っていた、夢の内容にしてはやけに微細でやたら感情こもっていたそれを、僕は話半分で聞いていたんだ。茶化さないで聞いてくれてありがとうだなんて、らしくない真摯な表情まで僕に見せていたっけ。

 あれは、お前の物語だったんだな。

 神隠し――いや、召喚されてこの世界に来た、東海林篤季の物語。

 お前が、本当のアースマスターだったのか?

「……ところで、いくつか聞きたいことがあるんだけど」

 僕の唐突な質問に、メディテイトは訝りながらも答えてくれる気配を見せた。

 東海林が語った物語には何があっただろう。確か軍人がいるとか言っていたような。北の扉でも僕は軍用車を見ている。

「……今この世界に、軍人は居る?」

 答えはノーだった。

 ならばあのとき見たきのこ雲は何だったのだろう。よく似た現象を起こす兵器を、僕は知っている気がする。しかしそれもない、とメディテイトは首を横に振った。

 何かおかしい。東海林が来たのはこの世界じゃないのだろうか? ……そんなはずはない。違う。記憶を手繰り寄せるように探る。そうじゃない。召喚されたはず――

『北の扉が開くのは誰かが召喚されたとき』

 それを僕に教えたのは彼女だ。そして、あの扉は普段『開かない』。開くこと自体が伝説に組み込まれてしまうほどに。

 そうだ。僕は何を思い違いしていたんだろう。なら、つまり――、

「……今まで来た召喚者は――何人?」

 数が、合わないんだ。

 神隠しに遭った人数と、召喚された人間の数が。

「お前を入れて、『二人』。最初のひとりは今はもう伝説上の人物だ。……私は、会ったことがない。守護者が全員目覚めたから、召喚さえすれば新たに三人めが来るだろう。アースマスターとしては、二人めになる」

「……そう」

 僕は極めて平静を装い、短く頷く。しかし頭のなかはめまぐるしいほど高速で回転していた。

 思い出せ。東海林は僕に、何と言って神隠しの噂を伝えた?

『うちの学校には神隠しの噂がある』

『最初の神隠しに遭った生徒は行方不明』

 そして東海林はこう言ったんだ。

「どうせ帰ってくるんだからちょっくら旅に出たとでも思えばいいのにな」

 帰ってこなかった生徒がひとりいるにもかかわらず、東海林は「どうせ帰ってくる」と断言した。今思えば、周囲もそんな雰囲気だった。その根拠は何だ?

 東海林が神隠し経験者だとして、行方不明ひとりに対して帰還ひとりではそれほどの根拠にはならない。

 つまり……東海林より前に少なくともひとり、神隠しに遭いながらも帰還した生徒がいたはずだ。そうじゃなきゃおかしい。おかしいんだ……!

 神隠しは僕より以前に三人。

 召喚者は僕より以前にひとり。帰ってこなかった生徒が十中八九最初のアースマスターだろう。今となっては伝説にのみ語り継がれる人物。

 そしてこれから、次の召喚者が現れる。伝説の再来。「三人め」の異世界人。

 それは誰か?

 最初の神隠しと僕を除けば候補はふたりだけ。消去法で考えれば簡単だ。

 三人めがもし東海林であるなら――ここは東海林が語っていた通りの世界であるべきなんだ。けれど今のこの世界は、東海林の物語の世界とは微妙に齟齬がある。それに……それにあいつは一言も言っていなかった。

『守護者が何人もいる』なんて。

 過去でもない、ごく近い未来でもない、あいつが来るのは――もっともっと、遠い未来だ。

 そこまで至って、僕は思わず苦笑った。

 東海林。「次に会うとき」ってお前は自信満々だったけど、一体何十年何百年僕を待たせる気だよ。仮に僕が死んでたらどうするつもりだったんだ。気付かない可能性だってあるじゃないか。僕はこんなに変わり果ててしまったんだから。

 脳裏に東海林と初めて会話したときの第一声が蘇る。

 久しぶり。そう言ったんだ。それまで話したことなんてなかったのに。久しぶり、と。

 ふ、と軽く口許を緩めて僕は片手を払った。邪魔だった長い髪が、背中の翼が、いろんな飾りもろともかき消える。見た目だけは、今までと変わらない姿。やっぱりこの方が落ち着く。

 見れば、メディテイトは僅かに驚愕していたようだった。改めて向き直る。金髪の守護者に、これだけは言っておかなければならない。

「……僕には、果たさなければならない約束があるんだ。未来がどうなろうと僕に支障はない。だからあなた達がこれからやろうとしている争いには、全然興味がない」

 メディテイトが暗に匂わせていた、守護者を縛る運命を打ち砕こうとする為に動くつもりは全くなかった。何故なら僕はその運命ごと享受しているのだから。

 それに、と僕は独白のような言葉を続けた。

「僕が待ち望んでいるのは……その『三人め』じゃないんだ」

 僕よりずっとハマり役の、誰もが認めるヒーロー。僕だけのアースマスター。今度は僕が久しぶり、って言う番だね。

 ……でも、これでおあいこなのかな。

 彼女と同じ。お前も全部判ってたんだろう? 僕がいつか、この世界へ来ると。

 知らなかったのはやっぱり僕だけなんだ。平然と、君との日々を浪費していた、これはきっと罰。無知を罪だと思わないけれど、知る術も機会も手にしていてそれを怠るのは、それは、やはり罪なのだろう。だって僕は今こんなにも罪悪感にまみれているから。悔やんでいるから。

 終わるわけないと思っていた。漫然と、明日も明後日も同じ毎日が存在すると信じて疑わなかったんだ。あの頃の僕はそれを欝陶しくも感じたりしたけれど、どこかで安心もしていたんだよ。

 それくらい、そう思うくらいには、君といる日々は悪いものでもなかったから。

 ――取り戻す。何年何十年、何百年経っても。どんな形であろうとも。

 せめて君と交わした約束くらいは。

「……お前は……、守護者が、守護者という存在が憎くないのか? そんな、身体まで作り変えられて――!」

 メディテイトが髪を振り乱して叫ぶ。

「人にあるまじき力を無理矢理与えられて大事なものを奪われて、何が守護者だ! 何の為の守護者なんだ! 未来なんか描けるわけがないじゃない! 馬鹿げてる――お前もそう思うでしょう!? 違う!?」

「……馬鹿げてる、には同意するけど」

 応えて、僕は肩をすくめた。

 これまでの高飛車な態度はどこへやら、メディテイトは青い瞳に涙を滲ませて喚いた。感情が高ぶりすぎて自暴自棄になりかけてるのかもしれない。

 天空の守護者はきっ、と僕を睨み上げ、

「なら何故抗おうとしないの!? 私には逃げているようにしか見えない、それはただの臆病者だッ!!」

「じゃああなたは」

「……私……っ、私は……!」

 メディテイトの目が泳ぐ。僅かにたじろぐ。いつの間にか一人称が「我」から「私」になっている。

 僕は冷淡に告げた。

「何も出来ずにいるなら、臆病者はそっちだ」

「――っ!」

 今度こそメディテイトは愕然と目を見開いた。たおやかな四肢がわなわなと震え出す。

「……僕はね、やるべきことの為に守護者の力が必要なんだ。何をおいても『護りたいもの』があるんだよ。その為になら、多少身体が変わるくらいなんてことはない」

 もともと僕の人生は空っぽだったんだ。

「……確かに、守護者なんて酷いものだとは思う。だけど僕はとうに受け入れているから。自分の意に反することは、しないよ」

 彼女はきっと、受け入れたうえで向き合っていたのだろう。守護者という運命に。

 でも、と僕は僅かに首を傾けた。

「……そうだな、喚ばれたら、行くかもしれないけど」

 独白めいたその呟きにメディテイトは瞳を揺らした。

「喚ばれる? 誰に……」

 まだ忘我の淵にいる守護者をまっすぐ見据え、僕は迷うことなく答える。

「――クロトクリン」

 今この世界でただひとり、僕を喚べる者の名前を。

「ば……馬鹿を言わないで……」

 へなへなと座り込むメディテイト。

「リーレイは死んだの……死んだのよ……! もういないのよッ! まだそんな夢見て――」

「混同しないで」

「え……?」

 メディテイトが纏っていた居丈高な鎧はもはや機能しなくなったようだ。茫然と僕を見上げる守護者を守るのは、魔力石という銀色の鎧そのものだけ。それすら僕に止められた。

 ぽつ、と水滴が髪を濡らす。

「……勘違いしないで……僕が言ったのは彼女じゃない。クロトクリン」

 ぽつぽつぽつ。

 天から降る冷たい雫。

「僕と契約を結んだ守護者だよ」

 細かな水の粒子が、僕とメディテイトへ優しく舞い落ちる。

 僕の髪へ、肩へ、足へ。それは緩やかに勢いを増し。しとやかに熱を奪う。

 いつの間にか風は止み、木々も大地もしめやかに色を落として黙すのみ。それはまるで、目に映るものすべてが等しく喪に服したように、静かに静かに涙雨に濡れそぼる。

 俯くメディテイトが僕に訊いた。

「悲しくないの……? お前はリーレイが死んで、悲しくないの?」

「……。訊いてどうするの、そんなこと」

「そんなこと? 『そんなこと』なの!? お前にとってのリーレイは!」

「……僕があなたと同じ悲しみ方をすれば満足? 涙を流せば悲しんでいる証拠になるの? 悲嘆に暮れるのは彼女でもあなたでもなく僕なのに、何故誰かに向けてそんなパフォーマンスをしなきゃいけないの」

「違う! そんなこと言ってない、私は……ッ!」

「本当に悲しむだけなら、他者は要らない。……あなたが欲しいのは、自分の為の慰めだ」

 あくまでも淡々と言い放って、うちひしがれる守護者へ足を向けた。メディテイトがびくりと肩を震わせる。

 何の反応もせず通りすぎた僕の背中にかかる、か細い声。

「もうひとつだけ……聞かせて」

「…………何」

「リーレイのこと……好きだった? 大切に、想っていた?」

 少しの逡巡ののち、振り返らずに僕は答えた。

「彼女にも言ってないことを、あなたに先に言うわけにはいかないよ」

 返ってきたのは鳴咽まじりの台詞。

「やっぱり私は、お前が嫌い。大嫌い」

「……そう」

 同じ台詞を、彼女にも言われたっけ。

 それきりメディテイトは話しかけてこなかった。

 濡れて頬に張りついた髪を払い、色褪せた水色の空を見上げる。

 どこまでも薄い天幕を突き破りそうなほど高く伸びる針葉樹の森。肌を刺す冷気。鳥すら鳴かない静かな湖畔。すべてが彼女と共に在ったもの。

 彼女の世界でもあり僕の心象世界でもあり、メディテイトが生きる世界でもあり、遠い未来に東海林が救うであろう世界。そして、どこかの誰かが深く考えずに創ったいびつな箱庭。

 どこからが夢でどこまでが現実かなんて、そんな境界線は必要なかったんだ。世界に告げるのは別れの言葉なんかじゃない。周も蝶もどちらも現実。だって僕はずっと見ていたのだから。聞こえていたのだから。この目で、この耳で、すべてを感じていたのだから。


 君と過ごした日々や、あなたに会えたこの世界を、僕は夢になんかしたりしない。


 たとえこの両手がもう空っぽなのだとしても、僕は空虚だなんて言うものか。繋ぎ止めるものは枷なんかじゃない。優しく満たす大切なもの。

 あなたがくれたものも君がくれたものも、僕のなかで確かに根差してる。芽吹いてる。それを、僕は、ちゃんと、識っている。

 捨てたりしない。もう二度と。

 そうして僕はいくつもの種を抱いて春を待つんだ。

 ――花開く、始まりの季節を。

 それこそが、僕が生きる――生きようとする現実。

 後悔なら山ほどしてるしこれからもきっと散々するだろう。それがどんなに辛くても、苦しくても。

 もう目は背けないと決めたから。

 僕はこの世界で、生きていく。

 僕達を繋ぐ、約束を果たす為に。

 だから。


 だからさよなら、世界たち。

 そして、――ありがとう。


 ぽつぽつぽつ。

 始まりは桜の頃。そぼ降る春の雨に誘われて、僕の物語は廻り出した。

 今は冷たい雨がまるで終劇の幕のように降りそそぐ。ただ粛々と。

 けぶる視界の奥、濡れ続ける世界に春の陽射しを垣間見たような気がした。



        *



 少し肌寒い風に、腕のなかの淡い桃色の花が揺れる。真っ白なリボンでまとめられたその花束を落とさないように持ち替え、少女は寂れた石段を上った。

 伸びるに任せた草木がそこらじゅうに根を張り枝を広げ、そこはすっかり荒れ果てていた。

 それでも注意深く見れば、所々に何の変哲もない石塚が点在していることが判る。ここは集合墓地なのだ。

 塚自体は何の装飾も施されていない、正真正銘ただの石塚だ。しかし少女にとっては紛れもなく姉の墓であり、……同時に、姉そのものでもある。

 石段を上りきり、少女は顔をあげた。

「……え?」

 いつもは誰もいないはずの、この墓地に、ゆらりと佇む人影を見た。

 黒に似た色の髪。同じ色の長い外套。はためく裾はまるで風に溶けるように霞む。

 不意に、人影が振り向いた。

 気がした。

 視線が合ったと思った瞬間、まばたきした一瞬のうちにその姿はかき消えた。夜闇のような残像だけが瞳に焼き付く。

 ……夢、だったのだろうか?

 こちらを向いたとき、垣間見た左右色違いの瞳。

 少女はしばしその場で呆然として、

「……あっ」

 何かに思い至ったかのように走り出した。

 先刻まで謎の人物がいた場所にたどり着く。

 そこは――、姉の、墓だ。

 石塚にそっと置かれているのは、風に揺れる一輪の花。まだ開ききっていないその花弁は薄い緋色で、どちらかと言うと橙に近い。

 今日は、命日でも何でもないのに。

 少女は花開くように微笑んで、一輪花の横に自分が持ってきた花を捧げた。

「あの人……誰? また会えるかな、おねえちゃん……」

 少しだけ暖かさを帯びた風が、少女の鮮やかな金髪をさらっていった。



      *****


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