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EARTH‐MASTER ―篁 葉月編―  作者: 早藤 尚
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 僕が東海林とまともに会話したのは、高校三年の始業式の日だった。

 向こうはどうだか知らないけど、僕は東海林の存在を知らなかったわけではない。……嫌になるほど、目立つ奴だったから。

 でもきっと、僕とは一生縁のない人間だと思っていた。ただ僕の周りを通り過ぎていく、有象無象のひとつだと。

 ――そのはずなのに、気がつけばいつも隣にあいつがいて。

 それがすっかり当たり前のことのように、僕は感じてしまっていたんだ。

 僕達はくだらない話をたくさんした。そのすべてを覚えているとは言わない。けれど、僕が東海林とした会話のなかに――

「俺がお前のヒーローになってやる」

 こんな台詞は、なかった。

 あれが僕の記憶のなかの東海林じゃないとしたら、……あれは、あの東海林は一体何なんだ。本当にあいつなのか?

 ……東海林。今、君は何処にいて、何をしてる……?




「――葉月」

 覚醒を促す声が僕の耳に響く。

 発生源は、リーレイ。僕はその姿をしばし目にとめて――けれどなるべく目線を落とさないようにして、

「……何?」

 と訊いた。

 無音の冷たい道を、僕とリーレイは黙々と歩んでいた。

 相変わらずの薄い空に、威圧するような針葉樹の群れ。そしてしゃりしゃり鳴る曲がりくねった土の道。

 あの、北の扉の場所であったことが嘘みたいに、僕達を取り巻く風景は何も変わらない。

 ……ただ、行くときに比べて帰路は、お互い無口だった。

 リーレイは少しだけ困ったような表情を浮かべたけれど、すぐに微笑んだ。

「何も訊かないのね?」

「……何を?」

 たぶん、僕が今一番知りたいことの答えは、彼女には判らない。僕が親切心から何も問い質さなかったと思っているなら、それは彼女の大間違いだ。

 リーレイは僕の数歩先を、ゆっくり歩く。

 つられて僕も足を踏み出した。そのたびに霜が崩れる音がする。

「訊いていいなら、訊くけど」

 半ば義務感で僕は口を開いた。

 さっきまでのことを、疑問に思う……ことは確かだ。でも、相手に不快な思いをさせてまで知りたいとは思わない。

 僕は目の前でなびくリーレイの髪を眺めながら、

「――無関心でいるの、得意なんだ」

 口の端を持ち上げてちいさく笑みを浮かべる。

 肩ごしに振り向いたリーレイはやっぱりどこか困ったような顔で、そうなの、と呟いた。

「でもね、葉月。君は知るべきだと思うわ」

 凛とした声が僕を貫く。

「……特に興味はないよ」

「わたしが葉月に知っていてほしいの」

 春の陽射しのように優しく微笑んで、リーレイは僕を見た。



        ***



「――は? 何さ、それ? 東海林、アタマ平気?」

 このうえなく胡散臭そうに、池椋は東海林の顔を覗き見た。

 そんな元クラスメイトを見るなり、東海林は腹を抱えてけらけら笑い出す。

「真に受けんなって」

「あ、嘘か! まーたお前はぁ。俺はてっきり噂の神隠しのことかと思ったじゃないのよ」

「ああ、アレな」

 相槌をうって、東海林が立ち上がる。

「またあったんだって? 東海林のクラス、だったっけか。――神隠し」

 神妙な顔で尋ねる池椋に、東海林はあまり気乗りしない様子で、あったよと言った。

 と、いきなり隣の教室の戸ががらりと開かれ、眼鏡をかけた女生徒がひょっこりと顔を覗かせる。

「ちょっとぉ……うるさいなぁ――って、東海林じゃない。うちの部に何か用?」

 女生徒はきつい眼差しでこちらを睨んでいたが、闖入者が東海林だと判るとあっさり口調を弱めたようだ。

百武ひゃくたけ、お前美術部だったの?」

「ん。部長だけど?」

 それが何? と、百武と呼ばれた女生徒は尋き返す。彼女は脇に何やら大きな板のようなものを抱えていた。

「や、ここいっつも人いねぇからさ。……部員、ちゃんといたんだな」

 東海林は目線で美術室の内を示す。いつ見ても空っぽの印象を受ける、雑然とした部屋。

 それを追うように百武は美術室を見て、

「ああ。普段はあっち、準備室使ってるからね。いるはいるけど部員少ないしね」

 苦笑を浮かべて、だからここはあんまり使わないんだよと続けた。

 ふーん、と頷く東海林の隣で、池椋が物珍しそうに百武の抱えた板を眺める。

 池椋の視線を察すると、

「これ? キャンバスだよ。先輩が描いたやつなんだけどさ、もう消しちゃおうかと思って」

 そう言って百武は、ふたりに見えるようにキャンバスを傾けた。

「――!!」

 その絵を見たとたん、東海林が目を瞠る。

 そんな東海林には気付かず、池椋は感嘆の声をあげてまじまじとキャンバスを眺めた。

「へぇー。綺麗じゃん。芸術わからんけど」

「うん。私も好きなんだけどねー、この絵。入賞しなかったのが不思議」

「え、好きなのに消しちゃうんか?」

「だってうち弱小部だから。これ白で塗り潰してまた新しいの描くんだよ。いつまでもとっておけなくって申し訳ないけどさ」

 百武が遠慮がちに笑う。その視線を池椋から東海林に移して――、

「……なに、そんな怖い顔して?」

 矛先を向けられた東海林は、はっと顔をあげた。すぐに軽い笑みを浮かべて何でもない振りをする。

「悪ぃ悪ぃ。俺こういうの全ッ然わかんねぇからさ。つい難しい顔しちまった」

「ふーん?」

 百武はあまり納得していないようだ。

 少しバツの悪そうな顔で、東海林はあさっての方を向いた。

 そんな光景を不思議がりながらも、池椋が口を挟む。

「俺らの先輩ってことは、もう卒業しちゃったんか。どんな人だったの?」

「それが、実は知らないんだよね」

「へ? 知らないって、部員じゃなかったんか?」

「部員だったよ! でもさ……、この人ってさ……」

 言いにくそうに、百武は口ごもる。

「――最初の、神隠し」

 消えた台詞の先をつぐように、強張った声で東海林が告げる。

 驚いて自分を見つめるふたりの視線に気付かないほど、東海林はその絵を睨みつけていた。

 普段の明るい彼とはだいぶ違う東海林の様子に戸惑いつつも、百武は話を続けた。

「う、うん――そうなんだよね。この人、うちらが一年のとき三年だったはずの人なんだけどさ、……一年生のときに、そう――なっちゃったみたいで……」

「最初の神隠しっていうと……」

 何かを思い出そうと、天井を眺める池椋に、

「……帰ってこなかった人、だよ」

 俯きがちに百武は答え、そしてちらりと東海林を窺う。もう睨んではいなかったが、その顔は能面のように無表情で、感情の機微が欠落したようだった。

 明らかに百武が知る東海林ではない。

 池椋もそんな雰囲気を察しているのか、妙に気まずい沈黙が流れる。

「で、でもさ」

 暗い空気を払うように、池椋が切り出した。

「神隠しって言っても、うちのガッコの奴らが言ってるだけじゃん? その人以外はみんな帰ってきてるしさ、別に関連性とかないんだよな?」

「そ、そうだよね。普通に家出だったとか言われてるしね」

 明るい声を装って、百武が便乗する。なんとか場を盛り上げようと四苦八苦するふたり。

 気付けば窓の外はもう、だいぶ暮れなずんでいた。

「だからさ、東海林んとこのクラスの奴も帰ってくるって!」

 最終的にそう締め括り、池椋は東海林の肩をばんばん叩いた。

 どうやら、自分のクラスで神隠しがあったせいで、様子がおかしいと思われているようだった。

 当たらずとも、遠からず。

 東海林は意識的に笑顔を作り、

「いや、あいつはもう帰ってこないんだ」

 さばさばした口調で応えた。

 池椋が目を丸くする。

「え、じゃあまじに家出とかなわけ……?」

 済まなさそうに眉を下げる池椋に、まあそんなとこ、と軽く言うと、東海林は美術室に背を向けた。

 肩ごしに振り返って、

「わりー。俺用事思い出したから帰るわ。なんかごめんな、気ィ遣わせて」

 最後の方は苦笑まじりに、池椋と百武へひらひら手を振って、それから足早に美術室から去っていった。

 残された池椋と百武はふたり揃ってぽかんとしている。

「なんか……今日の東海林変じゃねぇ?」

「うん、変だった……」

 でも、と百武が言葉を続ける。

「いなくなったのって、東海林とすごい仲良かった男子だよね?」

「まじ!? そーだったの?」

 廊下の方を心配そうに眺め遣りながら、百武は手にしたキャンバスを胸に抱え直した。

「うん。なんかうちの男子がぼやいてたよ? 三年なってから東海林が全然構ってくれないって。――東海林ってほら、付き合いいいけど、特定の誰かとつるんでたり、ってなかったじゃん。だから珍しいなってね」

「まじかぁー……。やべー俺触れちゃいけない話題に触れたかぁ?」

 顔を両手で覆って、池椋は天を仰いだ。その台詞には悔恨がにじむ。池椋にとっても東海林はかけがえのない友人なのだ。

 百武がぽつりと呟いた。

「神隠しかぁ……ホントに、あるのかな」




 吹き抜ける春風が、髪をさらった。

 その強さに思わず顔をしかめて、東海林は屋上に足を踏み入れた。

 視界いっぱいに広がる空は、どこか郷愁を誘う薄い紫色で、たなびく雲は鮮やかな茜色の影を落としている。

 気まぐれな風に揺れる、中途半端な長さの髪をかきあげ、屋上の手摺りにもたれかかった。

「……あんたが違う方を"選んで”いたら、篁は帰ってこれたのか」

 呟く声は風にさらわれて、夕暮れの空にかき消える。

 屋上には東海林の他に誰もいない。それでも東海林は、まるでそこに誰かがいるかのように話し続けた。

 ふ、と何かに気付いたように、その沈痛な面持ちを和らげ、

「ああ……そしたら俺と篁が出会わなくなるのか……」

 と、眉根を寄せた。

 難しい顔で黙りこむ。まだらに焦げ茶色の髪を、春風がもてあそぶ。

 唐突に、東海林がくしゃくしゃに髪を歪めた。崩れるように悲嘆に暮れる。

「ちくしょう……知ってたのに、わかってたのになぁ……! なんで……なんで……」

 がん、と、手摺りに拳を叩きつける。

「――"順番が、逆なんだ”!」

 言いようのない喪失感に苛まれる背中に、下校のチャイムがどこかそらぞらしく響いた。



        ***


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