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「そこになってる木の実も食べられるのよ」
そう言って、リーレイが指差した先にはまばらに葉が残っている茂み。見たところ実なんてどこにもないように思える。
僕はでくのぼうのように突っ立ったまま、実を探して視線だけをさまよわせていた。
「下に落ちてるのよ。黄色くて、これくらい小さいの」
後ろから顔だけ覗かせた彼女が、指でだいたいの大きさを形作っている。
「……銀杏……」
「え? 何か言った? 葉月」
「……いえ何も」
長い亜麻色の髪を揺らして首を傾げる彼女に素っ気なく答えて、僕は件の木の実を探してしゃがみこんだ。地面に積もった落ち葉と霜柱が、冬独特のしゃりしゃりした音を鳴らす。……正確には、冬ではないのだろうけど、体感する空気は僕の知っている冬によく似ていた。
茂みの奥を覗きこんでみるが、それらしきものは見当たらない。試しに、地面をはたくように落ち葉をどかしてみると、……それはあった。半ば埋もれているけれど、確かに黄色い。そして小さい。
……やっぱり銀杏にそっくりだった。これで、銀杏特有のあの臭いまであったらどうしようかと思いながら恐る恐るつまんでみたら、意外と固くて、そのうえ無臭だった。見た目はまるっきり銀杏なのに。
僕はその銀杏もどきを、別の手に持っていた籠のなかにぽとりと落とした。
ここはリーレイの家からしばらく歩いた森のなか。
そして僕たちは、食糧の調達に来ている。食糧……つまり、木の実の。
僕がこの世界に来てから数日経ったけれど、今日も空は薄い薄い水色で、雲になりそこねたような形の雲がぺらりと伸びているばかり。……もしかして雨とか雪とかないんだろうか。まさかね。それともそういう気候なのか、風も滅多に吹かない。ただ静かに、毎日水色の空が天を覆っている。
木々がざわめく音も、鳥が鳴く音も聞こえない、耳鳴りがするほど静謐な空間……。
顔を上げて周りを見渡すと、リーレイは少し離れた場所でなにやら茂みを掻き分けていた。
その後ろ姿をぼうっと眺めながら、僕は彼女とした賭けのことを思い出す。
リーレイは、僕をアースマスターという名の、言わば救世主だと言い張っている。僕はと言えば、絶対にそんなものではないと自分で確信している。
……そう。僕はただ迷い込んだだけ。「神隠し」という、迷い子に――。
そう考えていたら、ふと何かひっかかるものを覚えた。
――神隠し。そう、うちの学校はよく神隠しに遭う生徒がいるという噂があって――。
つまり、僕に起こった現象こそが神隠しと呼んでいいのだろうか。だとすると、神隠しとは、……違う世界に迷い込むこと……? じゃあ、今まで神隠しに遭ったと言われていた生徒はみんな、この世界に来ていた、っていうことに……なる?
突然、僕の脳裏に唯ひとりの友人の姿が浮かぶ。
――東海林。
確か、高一だったときのことだ。あいつは……、神隠しに、遭ってなかったっけ? その頃は全然仲良くなんてなかったから、だいぶうろ覚えだけれど。
東海林――おまえは……
「手が止まってるわよー!」
背後から響いた声に、思わず僕は籠を取り落としそうになった。振り向けば、両手を腰に添えて仁王立ちのような格好をしたリーレイの姿。
彼女はお辞儀の要領で身をかがめ、しゃがんだままの僕に目線を合わせると、
「木の実全然取れてないじゃない! ぼーっとしてちゃだめよ、葉月」
「あ……ご、ごめん」
深緑の瞳に射抜かれて、僕はたじろいでしまう。
「ところで……」
立ち上がってリーレイに向き直った。
「なあに?」
僕よりいくらか背が低い彼女を見つめて、僕は最近思っていたことを口にした。
「葉月、って呼ぶの、止めてもらえませんか」
リーレイは眉根を寄せて、
「どうして? 君の名前なんでしょ?」
「そうですけど」
「何故いけないの?」
「呼ばれ慣れてないもので。あまり……」
はっきり言って、名前で呼ばれると無性にむず痒い。出来るなら、返事をしたくないくらいだ。
リーレイは手にあごを乗せてしばし考え、ちらりと僕を見た。
「じゃあなんて呼んだらいいの?」
「篁、でいいです」
「………………」
目の前のリーレイの表情はなんだか不満げだ。名字がお気に召さないのかな。……あだ名とか付けられたらとりあえず断ろう。
僕がそんな誓いを心に立てていると、いきなり両手を掴まれた。
「――!?」
「……慣れてないんだったら、慣れればいいのよ」
「……はあ。そうかなあ……」
「そうよ」
言い切るリーレイの瞳は、やたらきらきらしていた。
「私、これからいっぱい葉月の名前呼ぶわ。だから慣れていきましょ」
「………………」
慣れとかそういう以前に、自分の名前が嫌いなのだとは、嬉しそうににこにこ笑うリーレイを前に、結局伝えることはできなかった。僕は当分、むず痒さを我慢しなくちゃならないらしい。ああ、面倒くさい……。
彼女の両手に包まれたままの自分の両手を視界に入れて、僕は大きな溜め息をひとつついた。
「……手、離してくれないと木の実採集が出来ません」
「あっ、ごめんなさい」
リーレイはすぐにぱっと手を離した。
自由になった両手を僕は意味もなく揉んで、また小さく溜め息を吐く。仕方なく再び木の実採集に戻ろうとしたその時。
突然、誰かの視線を感じた。
僕はなるべく気付かれないように辺りを見回す。
リーレイ……ではない。もっと無機質で、硬い視線だった。ここには僕とリーレイしかいないはずなのに……。
今度は樹の上まで、目をこらして視線の主を捜してみる。
「どうしたの?」
リーレイが訝しげに問うてくるが、僕は返事をしない。
ふと、視界の隅に、森にはそぐわない色が映った。針葉樹の緑のなかに混じって、……金色が、見える。金色……? いや、あれは、髪……金髪だ。長い金髪が、木の枝の間から見え隠れしている。
「……葉月?」
リーレイに尋ねようと僅かに視線を逸らした瞬間、その金色は揺らいで消えた。
あれは……一体?
「ねぇ。どうかしたの?」
リーレイが心配そうに僕を見つめていた。
僕はかぶりを振って、
「いえ。……なんでもありません」
「本当に?」
「……ええ」
「嘘じゃない?」
「しつこいですよ」
そこまで言ってやっと彼女は信用したみたいだった。安心したように微笑んで、僕の袖を引っ張る。
「じゃあ、木の実集めの続き、やりましょ!」
その言葉に僕は溜め息混じりに苦笑いして、彼女に引っ張られるままに森のなかをついていくのだった。
でも……あの視線は本当に、何だったんだろう……?
*
普通、異世界に来たら、悪人に襲われたり文化の違いに戸惑った挙句捕まったり、……そこまでいかなくても、多少のすったもんだはあるんじゃないだろうか。僕はあまりそういうゲームとか漫画とかに縁遠い人間だから、よく判らないけれど。
例えば、王様とかお姫様とか偉い人達がずらりと並んで迎えていて、「お待ちしておりました」というような?
例えば、得体の知れない不審者にやたらもったいぶられて大袈裟な運命を告げられたりだとか……?
そう考えていたら、背筋に悪寒が走った。冗談じゃない。そんな始まりじゃなくて良かった……。無意識に両腕を抱きこみ、自分の体をさする。
「葉月、寒いの?」
キッチンでお玉杓子に似たものを片手に、リーレイが尋ねてきた。鍋からは温かい湯気がゆらゆらと立ち上っている。
「いえ。ちょっと、考えごとを」
本当に、どうして僕はこんなにまったりとした日々を送っているんだろう。リーレイは小首を傾げて、そう? とだけ言うと、また鍋の方へ視線を戻した。
……そういえば。僕は背中でひとくくりにされたリーレイの長い髪を眺めつつ、彼女に聞こえないように溜め息混じりで呟く。
「この人もそうだったな……」
僕の異世界生活はなんらセオリーはずれじゃないってことだ。……ただ、どうしようもなく毎日がまったりしているだけで。
「待ってた」とか言われるし、救世主もどきに祭り上げられるし、そう思うとたいして変わりはない気がする。
僕はキッチンの入口の柱にもたれかかり、軽く腕を組んだ格好で、料理にいそしむリーレイを見つめていた。
「――葉月」
「…………」
「葉月?」
「……、何?」
気付けば少しむくれた顔で、リーレイが僕をじっと睨んでいる。
「なにをぼーっとしてるの?」
「……別に。なにも」
さりげなく視線をそらして、僕は当たり障りのない応えを返した。途端に、右の頬がむにっとつねられる。
「そんな場所で立ってるだけなら手伝ってくれてもいいじゃない?」
「……痛いんですけど」
目線だけで僕は訴える。
「それを自業自得って言うのよ? 葉月はお皿用意してね」
「……わかりました」
「あ。溜め息禁止! 気分が沈むからダメなのよ」
「…………」
どうやらここでも、「溜め息つくと幸せが逃げる」みたいだ。解放された右頬をさすりながら、僕はリーレイと並んでキッチンに立った。
ふと、コンロに置かれたフライパンもどきが目に入る。円形の浅い底に、棒状の取っ手がくっついた、元の世界でもおなじみの形。たぶん、用途も同じ。
僕はそれを手に取ってしげしげと眺めた。
……文化が、似ているのだろうか。それとも、こういう日用品はどこでも似たような形状になるのだろうか。それにしたって、あまりに似すぎている気がする……。似てるというより、まるきり同じだ。
「葉月、なにしてるの?」
「え? ……いや、なにも……」
フライパンもどきを、僕は元のようにコンロの上に置いた。
「それが珍しいの?」
「元の世界にも、似たようなのがあったなぁと思って」
「そうなの? 不思議ね、全然違う場所なのに。それはね、炒めるときに使うの」
「……やっぱり」
――そう思えば、こっちに来てからというもの、用途が全く想像出来ないもの、に出会ったことがなかった。少なくともこの家にあるものは、みんな何かしらに似ていて、かつそれとほぼ同じ使い道だ。
まるで模造品か何かのように。
もちろん、それが悪いわけじゃない。でも、こんなことって、あるんだろうか……。
「……葉月。手伝う気がないならご飯あげないわよ?」
見ればけっこうな凄みをきかせて、リーレイが仁王立ちしていた。
これは……まずいかもしれない。話を聞いていなかったのはこれで何度めだっけ。
「……まあ、ご飯がなくてもそれはそれでかまいませんけど」
「! わたしのご飯、美味しくない?」
「どうしてそこまで話が飛ぶのかがわかりません」
おたまを持ったまましょんぼり俯く彼女に、僕は宥めたらいいのか励ませばいいのか判らず、ただやり場のない両手だけが出たり引っ込んだりするばかりだった。かなり情けない。
「そうだ、葉月」
「はい」
「禁止事項がもうひとつあったわ」
ちらりと上目遣いにこちらを見上げてリーレイが不敵ににっこり微笑む。僕ははもう半ば呆れまじりだ。
「……なんですか?」
リーレイはびしっと僕の顔面めがけておたまを突き出し、
「敬語は禁止!」
と言い放った。
「……は?」
「だから、敬語を止めてほしいのよ。判る?」
「ええ、まあ……わかりまし――」
「あ、ほらそれ。禁止よ」
さっそく注意を受けてしまった。僕は仕方なく、彼女の要求どおりに口調を変える。
「わかったよ。これでいいの?」
僕の言葉に、リーレイが嬉しそうに笑った。そんなに喜ぶものかなぁ。
「よし、じゃあご飯にしましょう!」
スキップでも始めそうな勢いで、リーレイはことこと煮立つ鍋の方へ向かった。すでにさっきから美味しそうな匂いがたちこめている。
「……それ、僕ももらえるの?」
確かあげないとか、言っていなかったっけ。
「こんなにたくさん、ひとりじゃ食べられないわ」
そう言って、リーレイはふたりぶんの皿に鍋の中身をよそっていく。
見た目は、ビーフシチュー。……たぶん、味もビーフシチュー。そんなことを思いながら、僕も自分のぶんを持ってテーブルについた。
それほど大きくない木製のテーブルの向かいに、リーレイが座る。くくっていた髪はもうほどいていた。
「いただきます」
「……いただきます」
挨拶をして、僕が木製のスプーンを手に取っても、リーレイは黙ってにこにこしたまま、僕の顔をじっと見つめていた。僕はぴたりと動きを止めて、彼女を見返す。
「あら、食べないの?」
「……そっちこそ、食べないの?」
「葉月が食べたら食べるわ」
「…………そう」
素っ気なく答えて、僕はスプーンを口に運んだ。見つめられているので、なんだか気恥ずかしい。
「おいしい?」
ちょこんと小首を傾げて尋ねるリーレイは、とても楽しそうだ。
僕は直感的に悟る。――これは、「おいしい」と言わなければいけない状況だ。
もちろん、彼女の料理はとても上手で、おいしくないなんてことはひとつもないのだけれど。でも、今までこんなことは一度も聞かれたことないのに。
「おいしいの? おいしくないの?」
僕が答えあぐねていると、リーレイが少し怒った様子で身を乗り出してきた。
「……おいしいよ」
そっくりビーフシチューの味。
「ほんと!? よかった!」
僕の答えを聞いてにっこり笑うと、リーレイはやっと自分もスプーンを手に取った。
――たとえば、この料理を作るのが初めてで自信がなかったとか。……たとえば、何か入れてはまずいものを入れてしまったとか。どっちにしろ僕は毒味係か。
「葉月、なんにも言わないからちょっと不安だったの」
「…………なにが?」
「何って、ご飯が」
……何の話?
僕が訝しげに眉根を寄せると、きょとんとした顔で彼女は言った。
「だって、今までおいしいともまずいとも言ってくれなかったじゃない」
…………………。
「そう、……だっけ」
「そうよ?」
ていうことは、つまり……。
「言ってほしかったの?」
口にした途端、しまったと思った。地雷を踏んだ、気がする。ちらりと様子を窺うと、案の定リーレイは口をへの字に結んだまま、むっつり黙り込んでいる。
僕はさりげなく目を逸らして、はぁ、と溜め息を――
「葉月」
「……はい」
「溜め息禁止」
「……。ごめん」
僕がうなだれると、リーレイはいくぶん声音を弱めた。
「……葉月?」
「なに」
「これ食べ終わったら、出掛けましょうね」
「何処へ?」
また木の実採集にでも行くのだろうか。しかし答えは違うものだった。
「北の扉よ。もう一度あそこに行けば、何かてがかりがあるかもしれないでしょ」
「てがかりって、なんの?」
「あなたが本当にアースマスターかどうかのよ!」
そういえば、そんな話だったっけ……。まったりしすぎてすっかり忘れていた。
確か北の扉というのは、僕がこの世界にやってきたときにくぐったものだ。見た目は、とてもサイズの大きいどこにでも行けそうなドア。
「忘れてたのね! ひどい」
恨みがましい目つきでリーレイが睨んでいる。
僕はあさっての方向を見ながら、
「そう言われても。僕はアースマスターじゃないし」
……確かに忘れてはいたけど。と、心のなかでそっと呟く。
「それでも行くのよ!」
僕の意向はまるっきり無視して、リーレイはきっぱり言いきった。そして、いからせていた肩を急にすぼめると、ごくごくちいさな声で、「葉月のバカ」と言った。
馬鹿って……。そんなふうに言われる所以が解らないんだけど……。因果関係のまったく判らないリーレイの言動に、僕は閉口するばかり。
――僕は何の取り柄もない、ただの高校生だったのに。十七年も、生きる意味を見出せずにいたというのに。
……自分が暮らしていた世界さえ、捨てた人間に。
この世界を、救えるわけがない。
……そう、僕は、思い込んでいたんだ。このときは。




