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目が覚めても、そこはやっぱり知らない場所の知らない部屋だった。僕はベッドのようなものに寝かされていて、木目のあらわな天井が視界に映る。
古典的だとは思いつつも、自分の頬をおもいっきりつねってみる。
「痛い……」
確かに痛かった。でも痛覚があったら夢じゃないなんて誰が言い出したんだろう。
とてつもなくリアルな夢なのか。
……夢のような現実なのか。
少し、荘子の気分がわかる気がした。
”周の夢に胡蝶となるか
胡蝶の夢に周となるか”
僕は思う。
僕がそこに在る限り、僕にとっては現実だ。
だから、今ここでだるさのあまりに頭痛を覚える僕も……夢じゃないんだろう。
どこからか歌が聞こえた。
そういえば、彼女はどこだろう?
起きて探してみてもよかったけれど、なにせ本当にだるかったし、彼女が僕になにかするとしても放っておくことはないと思ったので、そのまま寝ていることにした。もしかしたら耳に入るこの歌は、彼女が包丁でも研ぎながら舌なめずり口ずさんでいるのかもしれないけれど、まぁそのときはそのときに考えよう。
それにしても。
神隠しは本当にあったわけだ……。
まさか本気で違う世界に行けるとは思ってなかっただけに、不思議な感慨めいたものが胸の裡に湧く。
「は……、は、ははっ」
快哉を叫びたい気分だった。
さよなら。
さよなら。
ああ、この感情をなんて言えばいいのだろう。
「どうかしたの?」
見れば、何時の間に来たのかリーレイがいた。小首を傾げて少し驚いているようだ。
「……何故?」
と、僕は訊いた。
彼女は答えた。
「だって、あなた泣いているから」
そうして、枕元に置いてあった布で、僕の頬をぬぐった。
言われてみれば、こころなしか濡れている。
そのままリーレイは手近な椅子に腰掛け、おもむろに口を開いた。
「わたし、あなたを待ってたのよ。ずぅっと、ずぅっと」
「僕……を?」
「そう。御伽噺であったみたいに、あの扉が開くのを。ここじゃない、どこかから来る人を。……その人はね、この国を救ってくれるの。わたしの未来を変えてくれるの。だから、待ってた」
リーレイは微笑む。
彼女には、まるで僕が救世主かなにかに見えているようだ。
……救世主だって。確かにその手の話は多いけれど、こうまで予想どおりだと興ざめしてしまう。
それに、僕は自分の性格をちゃんと判っているつもりだ。どう間違えたって、そんなものになりはしない。
東海林あたりなら、僕なんかよりよっぽどヒーローに向いていそう。……うん、ハマり役だ。
唯一の友人のことを思い出し、その想像に僕は笑ってしまう。
「おかしいかしら?」
自分のことを笑われたのかと、リーレイが不安げに問う。
「いえ。……ちょっと、いろいろ思い出しただけで」
彼女は俯き、
「でも、来る人がどう感じるかなんて考えてなかったのよね! 君はやっぱり違う世界から来たんでしょう? こんなとこに来て、悲しい? がっかり? ……戻りたいかな。だから、泣いてた?」
少ししょんぼりした顔で、僕の目を覗きこむ。
「……いいえ。そうじゃないです。違いますよ」
はっきりと否定の言葉を口にする。
リーレイの台詞は的外れだ。むしろ僕は半ば望んでここに来たのだから。
彼女を安心させるために、僕は無理矢理笑顔を作る。
「僕は、この世界に来たかったんです」
……ただ、貴女の望む、救世主とは違うけれど。
心のなかで続いたその言葉は、今は飲み込むことにした。
きっとリーレイもそのうち気付く。
僕が救世主なんて大層な人間じゃないことに。
*
始業の鐘が鳴る。
少年は自分の席に着き、そしていつもなら友人が座っているはずの場所を見遣った。
「知ってるー? 篁、昨日から行方不明なんだってー」
「それって家出? それとも……」
「もしかして、朝帰りとかー!」
「まっさかぁー。全然女っ気なかったじゃん」
クラスメイトの笑い声が響く。
少年は、携帯を開いてなにかを確かめているようだ。
不意に一人の男子生徒が少年に話を振った。
「東海林って、篁と仲良かったよな。マジであいつどうしちゃったの?」
少年――東海林 篤季は携帯を閉じ、
「噂の神隠しに遭ったんじゃねえの」
投げやりに言葉を返す。
周りの生徒がどよめきたつが、ちょうど担任の教師が教室に入ってきたので一斉に静まった。
担任は、篁の欠席を「病欠」と告げた。生徒達は顔を見合わせ、ひそひそと囁き合う。
「お前がいなくなったときもこんな感じだったんだぜ、東海林」
東海林の後ろの席の男子が小声で話しかけた。
「東海林のも、アレ神隠しだったんだろ?」
「黙秘権」
「ちぇっ。ケチなやつー。どうせ篁もそのうち帰ってくるって」
「そうだな」
言って、東海林は改めて友人のいない席を眺め、ぽつりと呟いた。
「――次に会えるのはお前だけ、か」
*
熱にうかされているときというのは、他愛もないことばかり考えてしまう。……この世界の構造はどうなっているんだろうとか、あの薄い空の向こうはやはり宇宙なのかとか。
若い女性が、いくら行き倒れに近いとはいえ男を家に泊まらせるのはどうなんだろうとか。案外こっちはそういうところはフランクなんだろうか……。と言うか、僕がベッドを占領していてリーレイはどこで寝ているんだろう……。
つらつらと、朦朧とする頭のなかに浮かんでは消え浮かんでは消え。
空を目指すシャボン玉のように、簡単に割れて消えていく――。
……東海林……、……あいつは、僕がいなくなって、どうしてるかな……。
*
この国の名は、アルカというらしい。女王様がいるみたいだから、王国なんだろう。三方は海に面していて、隣国に接しているのは北――すなわちこの辺り――だそうだ。
「この辺は作物も育ちにくいし、大きな街もないからあまり人が住まなくてね。わたしもほとんど自給自足なの」
窓から見える景色に目を遣りながらリーレイは話し始めた。
僕は相変わらずベッドのうえで、上半身だけを起こして彼女の話を聞いている。もうほとんど元気だったけど、まだ病人扱いされていた。
「葉月、君が出てきた扉は通称"北の扉"と呼ばれていて、その昔王女様が身を投げたとか、異界へ通じているとか、いろんな逸話があるけれど、実際どうなのかは誰も判らないのよ」
あの某ネコ型ロボットのアレか。少なくとも異界には通じている。
「……確かめたりしないの?」
「だって開かないんだもの」
「え?」
思わず訊き返す。
リーレイは膝のうえで手を握り、力説した。
「あれはね、あの扉はね、ずーっと開かないの。……あれが開くときは、この国に誰かが召喚されたとき、なのよ」
彼女の深緑の瞳が僕を射抜く。
「……この国には、ひそやかに伝えられるひとつのお伽話があるの。――王家にふたりの王女が生まれたとき、守護者は目醒める。守護者は未来を掲げ、異界より召喚されたし者が未来を選びとる。それが、……アースマスター」
アースマスター。世界を統べる者。
「そして、わたしがその守護者のひとり」
彼女は微笑む。
「大地に属する守護者。ガーディアンコード、"クロトクリン"」
「クロト……クリン?」
呟く僕を、期待をこめた眼差しでリーレイは見つめた。
「そう。そして、違う世界から来たっていう君は、アースマスターに違いないの」
――違う。
ちがうちがう。
……僕は、そんなものになれる人間じゃない。
心のなかで僕は必死にかぶりを振る。
「……そんなの……お伽話だって、」
そう。お伽話だって、彼女自身が言ったじゃないか。
「でもわたしは、守護者は現実にここにいるのよ」
きっぱりとした口調で、リーレイは言った。
僕はまだ戸惑っている。
彼女は現実を見ている……。僕は、僕にとっての現実は、一体どこだろう?
くらくらと、目眩がしてきた。
「――大丈夫? まだ本調子じゃないみたい」
「いえ……。大丈夫、です」
僕を気遣うリーレイの手が肩に触れた。僕となんら変わりのないその掌。温かいもの。
この世界が、彼女にとっての現実――。
ふと僕は違和感を覚えた。
さっきの話……、どこまでが本当でどこまでがお伽話なのかは判らないけれど、現にこうして守護者が存在するのならば、そのアースマスターとやらも実在するんだろう。
実際、あの薄い扉は僕がいた世界に通じているのだし。つまり召喚のくだりまでは起こり得ることだとして。
「……アースマスターが……未来を選ぶ?」
なら。
この国の人達は――
「違う世界から来た人に、自分達の未来を決められていいんですか?」
僕の言葉に、リーレイは目を見開く。
そう、そして……。
「それなら……、守護者は一体なんの為にいるんだろう……」
隣に座るリーレイが身を強張らせるのがわかった。
彼女も気付いているのだ。このお伽話の矛盾――というか、蛇足に。
僕は下を向き、意味もなく自分の手を眺めながら考えを進める。
守護者が掲げる未来とは、なんだろう? いくら掲げても、自分では選べないのに……。そもそも「何を」守護する者なのだろうか。
「――わたしは」
凜とした声が響いて、はっと顔を上げる。
「わたしは、守護者って――護りたいものを護る為にいるんだと思うの」
そう言ったリーレイはとても毅然としていて、正直ちょっと目を奪われた。
なんとなく僕は目を逸らして、
「あなたが護りたいものって?」
訊いたら、彼女は首を傾けてこう答えた。
「妹、かな」
「妹……いるの?」
「そう! まだ十二歳なんだけどね、すっごく可愛いの!」
さっきまでの毅然としたそぶりは消え失せて、まるで背中に花でも背負ってるみたいに輝かしい表情になった。……なんて言うか、外見に似合わずころころ雰囲気の変わる人だ。
「ここにはいない?」
「うん……ちょっと、一緒に住めない理由があって」
言いにくいことのようだったので、僕もそれ以上は聞かなかった。
でも、と彼女が手を叩く。
「きっともうすぐ一緒に暮らせるわ。だって葉月がいるもの」
「……………………」
向けられる満面の笑みに、僕はどう応えていいのか判らない。思わず溜め息がこぼれる。
「……僕、アースマスターなんかじゃありませんよ」
「アースマスターよ」
「違います」
「絶対そうよ」
「絶対違います」
「………………」
「………………」
お互いに主張を崩さないので、自然と睨み合うかたちになる。
……この人もしつこい。
がばっと、勢いよくリーレイが立ち上がった。
「――じゃあ、わたしが証明してみせるから! 君がアースマスターだってこと」
「……はあ」
自分でもこれ以上ないと思うくらい気のない返事だった。それが彼女のお気に召さなかったらしい。一際大きい声で、
「絶っ対、証明してみせるもん!」
……あなたは子供ですか。
「じゃ、僕は、違うってことを証明しないと駄目ですね」
「いいわよ、対決ね! 負けないんだから!」
……本当にこの人僕より年上なんだろうか。僕は何度目かわからない溜め息をついて、窓の外を眺めた。
――今日も外には薄っぺらい空が広がっている。
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