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EARTH‐MASTER ―篁 葉月編―  作者: 早藤 尚
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 しとしとしと。

 雨は緩やかに落ちる。僕の髪へ、肩へ、足へ。

 いっそ溶かしてくれないかと思う。生温い春雨と同化。

 ……それも悪くない。


 本は読む物だ。たまに枕にしたりもする。棚の肥やしともいう。

 たとえばすべて白紙だったり、たとえばひとりでにページがめくれたり、あまつさえ見開きがブラックホールさながらの様になることは……ない、だろう。たぶん。

 じゃあ、目の前のこれは何だろう?


 しとしとしと。

 僕は春の雨。溶ける。融ける。錆びる。


 本はアスファルトに身を横たえたまま。雨にも負けず風にも負けず、その身をたわませることもなく僕を誘う。

 もしも別世界へ行けるのなら。よくあるファンタジーのようにはいかなくても。

 たとえばそこで死にゆくことになろうとも?

 そこが別世界であるのなら。

 ……行ってみようか。

 捨てるものなど何もないさ。捨てられるほど何も持ってやいないさ。地枷はない。

 僕は僕で在るだけで、ここには何もないのさ。


 ――だから。

 だからさよなら、世界たち。



        *


『ようこそ、僕の世界へ。

 ……「彼」も、君を待ち望んでいた』



        *

「……えっ?」

 彼女はとても驚いた顔をした。

 今しがた開けた扉を後ろ手に閉めて、僕は周りを見回した。

 四方三百六十度あるのは樹木ばかり。どれも見る限り針葉樹のようだ。高くにある空の色は薄く、空気はひんやり冷たい。いうなれば森の様らしいが背後にそびえる扉はごく当然のようにそこに在る。……奥行きはなさそうだ。

 某ネコ型ロボットのあのドアの現物を見た気がする。

「あの、」

 彼女はまだ驚きの表情をしていた。彼女の髪の色や服で判断すれば少なくともここは日本ではないらしい。

 ごく薄い亜麻色の髪に、深緑の瞳。洋服によく似た、けれどどうやって着るのかいまいち判らない厚手のワンピースのようなものを着ていた。

 歳は二十代前半くらいだと思う。

 ……そういえば、僕は日本語しか話せないような。

「……すみませんが、」

「はいっ!」

 元気に反応する彼女。僕の視線はしばし虚空をさまよい、

「僕の言葉が理解出来ますか?」

「……? 君が話してるのはアルキア語でしょう?」

 ………………………。

 それは大いに違う。が、会話は成立するのだからかまうだけ無駄かもしれない。

 それでは、

「ここはどこですか?」

「――……えっ?」

 とたんに訝しげな表情になる彼女。

 無理もない。どう見ても怪しさ全開だ。

 僕は薄い空を見上げた。

 あっちとは違う空の色。

「……あっ! もしかして、もしかして」

「……え?」

 いきなり腕をつかまれて僕は少し戸惑った。なにごとだ。

「君、名前は? わたしはリーレイっていうのよ」

「……名前?」

「そう、ねぇなんていうの?」

 彼女――リーレイが再度問う。

「……僕の名前は――……篁、葉月」

「タカムラハヅキ……? 変なうえに長い名前ね」

「いや、名前は、『はづき』です……がっ」

 そこで僕は盛大なくしゃみをしてしまった。うかつなことにあっちの世界で濡れたままであることを失念していた。加えてここは寒い。風邪でもひきそうだ。

「あ……あ――はっはっはっは!! そういえばこの寒いのに君濡れているわね。あったまらなくちゃ。家に来るといいわ」

 そう言って、外見に似合わず豪快に笑う彼女は、僕の応えも聞かず僕の腕を引っ張って歩き出した。



         *



 それは泉を描いた絵だった。

 たまたま迷い込んだ美術室の片隅で埃にまみれていた、一枚のキャンバス。青く茂った木々に囲まれるように、水が静かに湧き出して、中央には文字の刻まれた石碑。

 その絵を僕は見ていたくなくて、その場から逃げ出した。振り返らずに。昇降口を出ると、外は雨。そして僕は傘もささずに歩きはじめた。

 ……本は、気がついたら目の前に落ちていた。



        *



 僕の背より十数倍は高い樹木の群れは、今にもあの薄っぺらい空を突き破りかねない勢いで生えていた。これでは地に近いところには太陽の光はいくらも届きやしないだろう。

 実際こうやって歩いていても、少しも暖まらないどころかひたすら冷たい。僕が濡れているせいもあるのかもしれない。冬に似ている。むしろそのとおり冬なのかも。

 でも、冬の寒さとは違う。寒いというより……冷たい。何もかもが、冷たい……。

 凍って硬くなった土を踏みつけて歩くこと約三十分。急に視界が開けたと思ったら、そこには湖が静かに佇んでいた。

 彼女の家は湖のほとりにあった。向こう岸が霞んでしまうほど広大な水の塊に、申し訳なさそうに細い小川が繋がっている。

 ちろちろちろ。

 お世辞にもせせらぎとは言い難い水音が流れていった。

「……夏は、涼しそうだね」

 今は天然スケートリンクと化しているその水面を眺め遣って、僕は呟く。

 振り向くと今まさにドアを開けようとしているポーズのリーレイが、こちらを向いて小首を傾げていた。

「なつってなぁに?」

「え?」

 僕はしばし我が耳を疑い、そしてまたもやくしゃみをした。

 まずい。

 背中をじわりじわりと寒気が這い上がってくる。これは本気で風邪っぴきになるだろう。

「あら、大変大変早くなかに入って!」

 促されるままなかに入る。

 暖かかった。外に比べれば充分すぎるほどに暖かかった。

 そこで僕は気が緩んだのかもしれない。視界がぼやけたと思ったら、あっという間に平衡感覚を失った。

 ひっくり返る視界の狭間に、リーレイの慌てた声が聞こえては沈んでゆく。

 沈んで、沈んで、……もう、届かない。


 ――ほら、世界はあんなに遠い。



        ***



 僕の知識が正しければ、僕が今まで暮らしていたところは太陽系惑星の地球という星の極東にある島国だ。

 名前は日本。ちいさいちいさいその国の、やたら狭い場所に僕の家族の住所はある。

 もうすぐ十八歳になる僕も、例に漏れず高等学校の三年目を始めるところだった。

 うちの学校はひそかに有名で、なんでも巷の噂によると『神隠し』に遭う生徒が稀にいるらしい。ある日忽然と消えては一ヶ月ほど経つと、何事もなかったように帰ってくる。

 ……ただ、一番最初にいなくなった生徒だけは未だに消息が判らないっていうのがもっぱらの噂。

「"神隠し"なんて今どき時代錯誤だよなぁ。どーせ帰ってくるんだからちょっくら旅に出したとでも思えばいいのにな。かわいー子供なら」

 気軽な口調で僕にその噂を教えたのは、確か東海林しょうじだったと思う。なにをするにしても人の目を惹く奴で、どう考えても僕とは交友関係を結びそうにないタイプの人間だ。けれど東海林は、やたらと毎日僕に話しかけてきた。

 その日も、東海林が話すのを聞くともなしに聞いていた。……半分くらいまどろみながら。

「人生修行のひとつにでもなるかもだぜ」

 東海林は確かに僕と波長の合わない人間だけど、人に自分の話や意見を押し付けがましく言ったりはしない。

 そういうところ、すごく楽でいい。……もしかしたら別に僕が話を聞いていようがいまいが関係ないのかもしれない。でも東海林のことは嫌いじゃないから、一応全部聞くだけは聞いていた。

「……、東海林は、行ってみたい? 神隠しの向こう側」

「いや。……俺は、行かねーな」

「あ、そ」

「篁、お前は?」

 東海林はやけに真剣な顔で訊き返し、そして僕は嘘をついた。

「さあね」



        ***


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