国王、帰還する 1
魔王の好奇心も満足したところで、フェルロフは帰路につこうと考えていた。
魔王城への道を来た時と逆に戻るわけだが、魔族に見つからないように細心の注意を払いつつ、また馬車に揺られる十日間を思うと憂鬱で仕方が無い。
二人は廊下を進んでいた。
魔王城は相変わらず無人で、ひたすら何も無い通路が続いている。
ウクゼクがフェルロフの前に立って先導してくれているからいいものの、一人ならすぐに迷子になったことだろう。
「しかし驚かされました。フェルの観察眼はすごいですね。あんな短時間にそれぞれの考えを見抜くだなんて。それも相手には全然気付かれずに!」
「境遇が境遇だったんで身についた技……かな。ウルディキは大陸中央のアレンティア帝国を宗主国としているもんだから、そこの貴族や役人、更には他の隷属国の連中にも気を遣うんだ」
空気を読む技術は自然と身についていた。大国におもねり、慎重に言葉を選ばなければ小国が生き残ることは出来ない。相手の言葉の裏を読み、視線を気取られることなく盗み見る。その程度出来て当たり前だ。
ただ、今日の会議ではいつもとは違う方向にそれを利用した。相手がどんな言葉に反応し、喜んだり怒ったりするのかを調べた。これは今後彼らと付き合う時に重要になるだろう。それを見越しての仕掛けだ。幸い今の時点でフェルロフの好感度は相当に低いので、多少無茶をしてもこれ以上評価が下がることはない。
それに最初の出会いが最悪なほうが後々印象がひっくり返りやすいのも経験で理解している。
会議の場にいた三人の重臣を篭絡する気満々のフェルロフだった。
ウクゼクとの他愛のない会話を楽しみつつ出口へ案内されると思っていたフェルロフだったが、どうにも様子がおかしい。さっきから二度階段を上がった。記憶をたどると、裏門から入ったのは当然一階として、階段を上がりはしたが下りてはいない。
「…………ウーザ。俺はてっきり出口に行くものとばかり思っていたんだが」
「今日から丁度二週間後、アルス将軍の凱旋パレードとパーティーが企画されてます。パーティーは貴族の中でも上位の者だけを集めたそれほど大きくないものですが、そこでウルディキ国との同盟を公表しようと思うのです」
「いや、俺は出口の話を」
「フェル、貴方もそのパーティーに出席して欲しい」
「二週間後って、それ14日後だよな? ここと俺の国は片道十日の距離だぞ。往復二十日。出席するのは不可能な距離だ。……まさかそれまでずっとここに留まれってんじゃないだろうな」
「まさか! フェルも落ち着かないでしょうし、早く国民に同盟の事、話したいでしょう?」
何か嫌な予感をフェルロフは感じた。
もちろんウクゼクに悪意は欠片も感じないのだが、だからこそ余計に悪寒が止まらない。
「……また階段だ。どんどん上がってる。なぁウーザ。そろそろネタばらししてくれないか」
「ふふーん。実はですね。早く帰りたいフェルにうってつけのものがあるんですよ。それを使えばウルディキまでわずか一日! これでパーティーにも間に合いますよっ!」
出席して欲しくてたまらないのはフェルロフにもわかるが、その『うってつけのもの』が何かは全く予想がつかない。イェーツィアが使っていた水晶による遠距離通信のような人間には不可能な技術がまだあるのだろうか。例えば声ではなく人物そのものを転送してしまう魔法とか。
しかしそんなものがあるならイェーツィアが使って、魔王城に戻ってきていたはずだ。
思考が袋小路で行き詰ったのを感じ、フェルロフは直にその目で答えを見ることにした。
「到着ですよ」
と、ウクゼクが言い、
「遅かったではないか」
と待っていたネキテン大公が続けた。
着いた場所はテラスであり、眼下に街を一望できた。
外で見るせいか、フェルロフには先ほどよりもネキテンの体躯は一回り小さく見えたが、それでもかなりの巨体である。濃緑の鱗が陽光を受けてエメラルドのように輝いている。
そして会議の時に纏っていた学者風のローブを脱ぎ捨てている上、妙にしっかりとした革製の鎧を着込んでいた。
「……ああ」
ようやくフェルロフは理解した。あれは鎧などではない。鞍だ。
これから自分は彼に跨り、空を駆けて帰るのだ。十日の道のりをたったの一日で。
めまいがする現実だった。
これなら馬車に揺られていた方が幾分マシだ。
ネキテンが自身の背にある翼を大きく展開させた。翼はそこに収まっていたのが不思議な位の大きさで、テラスをすっぽりと覆ってしまった。
「ネキテンさんが僕に申し出てくれまして。これなら帰りはあっと言う間ですよっ!」
「ハハ……」
もう笑うしかないフェルロフだった。
「では、次はパーティーでお会いしましょう!」
別れの言葉に、フェルロフは頷いてみせた。肯くことしか出来なかったのは、上空は寒いからと何重にも服を着せられていたからだ。おかげで目以外ほぼ露出していない。跨る鞍は安全の為にいくつものベルトがついており、拘束具の様相を呈していた。
はたからは、ドラゴンの背に布きれがくっ付いているようにしか見えない。
一度目の羽ばたきで、フェルロフは体に浮遊感を覚えた。そして二度目で上昇。あっという間にウクゼクの姿は豆粒のように小さくなり、高度を保ちながらウルディキの方向へと加速し始めた。
ドラゴンの飛翔は、鳥の飛び方とは一線を画す。
風に乗るとか、そんな甘っちょろいものではない。まるで矢のように、風を操り、支配し、一直線に飛ぶ。
ネキテンの体の隙間からわずかに見える地表が、冗談のような速さでスクロールしていく。
やがてフェルロフの目に見慣れた景色が飛び込んできた。
愛する母国、ウルディキの風景だ。
日はすっかり落ちていたが、一日どころかわずか半日で到着した。