国王、いまだ帰還せず
一仕事終えたフェルロフは魔王城の東側賓客室で紅茶を飲んでいた。
よくわからない奇抜なデザインの調度品に囲まれている部屋は広い。4、50人は待機出来そうな空間の中央にフェルロフ一人だ。
人の目が無いからと、ぐったりと弛緩していた。
豪奢な絨毯の敷かれた床の上、椅子に腰掛け自分で淹れた紅茶を一口すする。
不味い。
普段自分で飲み物食べ物を用意することがないせいで、どうすれば美味しくなるのかがまったく分からない。召使いがやっているのを思い出しつつ、なんとなく真似てみたが上手くいかなかった。
コンコンとドアをノックする音が響き、フェルロフの背筋がしゃんとなる。
入ってきたのは青い肌の魔族、ウクゼクだった。
「おや、一人で紅茶を?」
「やってみたんですが、失敗しましたよ」
ウクゼクはカップに注がれた紅茶の色を見て苦笑した。
「流石に召使いの一人くらいは用意しましょうか」
「いいえ結構。これで十分ですよ。それよりも何か話があるのでしょう。ウクゼク殿」
フェルロフの目論見は大成功に終わった。すぐさま帰国し、満面の笑みでもって自国民にそれを報せてやりたいところだった。
だが魔王が彼を引き止めたのだ。
話したいことがあるからと。
おかげで今ここに居るのである。
「そんなウクゼク殿だなんて! 僕のことはウーザと呼んでください。そして僕は君をフェルと呼びたい」
「いや、ちょっと待ってください。会議の時のアレは口からでまかせで」
「でまかせだったとしても僕はそれがいいと思ったんです。君とは親友の関係がいいと思ったんです。だから親友になりたい。親しく呼び合いたい。駄目ですか?」
ウクゼクが距離を詰める。顔と顔がくっつきそうなくらいに肉薄し、そのまま手を握られた。紅茶で温まっていたフェルロフの手には、ウクゼクの青い手がことさら冷たく感じられた。しかしその熱意は真逆のようだ。
フェルロフにそっちのケはないのだが、こうも顔が近いとドギマギする。
「わ、わかった。わかりました。親友になりましょう。だから手を離してください」
「良かった! 嬉しいなぁ。僕、これまで友達が一人もいなかったんです。同世代の貴族たちを紹介してもらっても皆『恐れ多い』とか言って距離を置くんですよ」
それでか。と妙なところで得心してしまって、今度はフェルロフが苦笑する番だった。
恐らくは彼の妹のイェーツィアあたりが腐心していたのだろう。
頼りない王を少しでも威厳があるように見せようと、貴族の青年たちを遠ざけたに違いない。
しかしそれが裏目に出た。
コミュニケーションに飢えた王は、得体の知れない人間からの書状に食いついてしまい、その結果魔族の王国に人間がいる異常事態である。
もう親友になっているとハッタリをかましたのは、偶然ではあったが彼女を慎重にさせるのに最適だったようだ。
頭の回転が速い彼女は、自分の失態もその時気付いたに違いない。
だからこそ大人しく、いや大人しくもなかったが、不承不承フェルロフの参加を認めたのだろう。
「それでその友人を引き止めた用件とは?」
「そう! それです。先ほどの会議を終えて、僕は感動に打ち震えていました。あのイェンが、僕の妹が会議に参加するようになってからというもの、僕とイェンの意見が対立すると必ずあの子の意見が採用されていたんですよ。もう理不尽なくらいに! いっつも!王は僕なのに……。ところがどうです。フェルが参加したらたちまち状況がひっくり返ってしまった。一体何をやったのです? それが気になって気になってしょうがなくて」
ウクゼクは手品を見せられた子供のように目を輝かせ、種明かしを求めてきた。
教えるつもりがまったく無かったフェルロフはどうしたものかとわずかに逡巡したが、諦めて話すことにした。何しろ出来たばかりの親友の頼みである。むげにするのも忍びない。
「んー……親友なんだし、砕けた喋り方でもいいですか? あ、いいですか。じゃ遠慮なく。……あれは別に何か特別なことをしたわけじゃない。とても簡単なことだよ。まず会議が始まる前にそれぞれの会話から、俺以外の関係性を推察したんだ」
ウクゼクとその妹イェーツィアの最初のやりとりは、ウクゼクが頼りない王であり、実務の大部分をイェーツィアが代わりに遂行していることを窺わせた。
その時の周りの反応はどうであったか。
ホンノン、レデント、ネキテンの三者とも、彼女が参加するのが当然であるといった雰囲気だった。
では、彼ら重臣はイェーツィアの方を重んじているのかと言えばそうでもない。
王たるウクゼクへの敬意はさまざまな所作、言動に見て取れた。
それにウクゼクを暗君と断じてしまっているなら、会議から遠ざけてもおかしくはない。それをしないのはつまり―――、
『陛下には頑張っていただきたいが、それが無理な現状では妹君に頼るよりほかない』
と考えているからだ。
ここまで推察して、フェルロフは考えた。
ウクゼクとイェーツィア、どちらに付くべきか。
結論から言ってしまえばウクゼクだったのだが、これはやり手でないほうがフェルロフが干渉して御しやすい事と、周囲の信頼が篤いこと、そして何よりフェルロフはイェーツィアのような性格の女が嫌いだということが理由だ。
ただ、これをそのまま伝えるわけにもいかないので言葉を濁したが、ウクゼクは妹より自分を選んでくれたことを単純に喜んだ。
さて、ここまで判ればそう難しくない。
あとはホンノン達三人に照準を合わせる。
彼らにしてもこの魔族国家の重臣だから、この戦争が長引いている責任はある。王がこの手のことに疎いならばそれを補うのが臣下の役目だ。それを実際は、王族とはいえただの女一人に任せてしまっている。そういう引け目があるはずだ。
二十年続く戦争を全肯定する者はいないだろう。何がしかの不満はそれぞれにあるのは当然のこと。しかしその引け目がイェーツィアを支持させている。
たとえもう戦争を止めたいと思っても、それを口にするのは自分勝手すぎやしないかと思ってしまうのだ。
「だからね、ちょいと助け舟を出してやった。ウーザとイェーツィアの意見が割れた時、俺もイェーツィアに賛同した。あれが彼らへの助け舟。イェーツィアに反対出来なくても俺にだったら出来る。いきなりやってきた人間の俺になら反対出来るってわけさ」
「イェンにではなく、イェンと同意見のフェルに反対したと? でもそれは結局同じことなのではないですか?」
「そう。同じだよ。表面上はね。だけど内面は違う。心の中、感情的な部分では気が楽になる。だから今までと違って反対意見も出せるんだよ。それに敵対している種族と馴れ合いたくない感情もあるから、より俺に反対したくなるだろうしね」
「……すごい! じゃああの時は講和に賛成だったのにあえて反対したのですね!」
「確かに人間は愚かな奴が多いよ。特に上のほうには。でも、だからといって戦争で痛い目を見ろなんて思わないさ。被害に遭うのはそういう連中じゃなく、何も知らない国民だからね。俺が助けてやりたいのはそういう人間なんだ」