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これが私のティル・ナ・ノーグ

7.



『少なくとも私は……


 貴方の息子であった私はそれを願います。誰にも望まれずに産まれたこの私でも貴方の幸せだけはどうか祈らせて下さい。』




『私ともっと仲良くなりましょう?』


 その言葉が脳裏を駆け巡る。


 まるで熱に侵されたかのようにその言葉だけが延々と脳裏を駆け巡る。甘美な声だった。甘美な音だった。甘美な……内容だった。


 このまま流されてしまえればどれほど幸せな事だろうか。


「あなたが遺伝子を残したくないという事と私と仲良くなる事は相反しないと思うのだけれど、それでも駄目なのかしら?それとも私にはそんなにも魅力がないと言うのかしら?それは悲しいわね」


「いや、前にも言ったけど私が出会った中で一番美人だと思うよ。魅力的だと思う。それは事実だよ。けれど、それでも私は……父親を殺したいと願う私は君とはいられない」


 私に誰かを愛する事ができるわけがない。してはならない。して良いわけがない。私のような存在が。私のような矛盾した存在が誰かに恋をして良いわけがない。


「いなほさんに見せてもらったわ。貴方の日記」


 その言葉にはっとする。


「貴方がどういった意図で書いたのか考えたわ。貴方の事が知りたかったからね。なんでこんなにも貴方の事を知りたかったのかは先週いなほさんに言われて気付いたという体たらくだけれどもね。でも、だからこそ尚更考えたわ。ブログの二種類の日記に加えてオフラインで書く日記の意味を」


「プライバシーの侵害だよ、いなほ……まったく」


「あれは事実なのね?あれは全て事実なのね?妄想ならばブログに書き垂れれば良いのだから。態々手で書く必要なんてない」


「妄想だよ、あんなもの」


「私、日記の内容に関して特に言ってないのだけれどね?言われてすぐにその台詞が出てくるってことは……貴方、本当に男だったのね?いいえ、鞍月蓮花ではなかったのね?と聞いた方が良いかしら。そんな事あるわけないと思ったけれど、でも……それが一番リーズナブルだった」


「もっともらしく説明できるからと言って真実とは限らないのだけれどね。間違った証明なんてゴマンとこの世の中にはあるのだから、状況証拠だけ捕まえて証明できた!なんて酷い話もあったものだよ」


「それでも、そういう貴方は間違った証明を態々書き遺す事はしないでしょう?だから、数学が好きなんじゃないの?」


「……まぁね。はぁ、まったく。隠し事は苦手だって話ですよ。あんな厨二病患者としか思えない発言ばかりなのに良く信じると決めたよね」


 寧ろ、肩の荷が下りたという気分だった。


「言ったでしょう。貴方の事が知りたかったから考えたって。というか答え合わせをしてからいうのもなんだけれど、貴方隠す気あんまりなかったでしょう」


「態とらしく隠せば隠すほど歪みが生じるからね。適当に相手の想像に任せておくのが良いわけだよ。湖陽だって日記を読まない限りはそんな発想した事もないでしょう?」


「それは……そうだけれども」


「人間の意識なんてそんなものだよ。自分に都合が良いように解釈して自分の都合の良いように理解するのは。だから、単にこの私も自分勝手に都合のよい解釈をして今この場にいるのかもしれないのだけれどね。私は、私という存在を証明しきれないのだから」


「貴方は確かにそこにいるわ。私が保証する。私という存在が貴方の存在証明になってあげるわ。だから、そんな寂しい事は言わないでよ。折角、見つけたのだから。折角、私がモノではなく人である事を理解できたのだから」


 胸に手を宛て、ゆっくりと瞳を閉じながら告げる彼女の姿がとても苦しそうで、狂おしそうで。だから、そんな彼女を悩ませるなんて私には出来なかった。出来るわけがなかった。


「それでも言いたくはない。というのは格好良いのだろうね。物語ならば。胸の内だけ、語る視点だけで読者に告げ共感を得る。それが物語ならば格好良いだろうね。けれど、ここは現実だ。そして私は……これを現実だと思っている。だから、そうだね。つまらない戯言だけれど、聞いてくれる?」


 ベンチへと座り、力なく告げる。


 こんな時、妙に煙草が吸いたくなるのは数年前まで喫煙者だったからだろうか。母の乳房を求める甘えた心、それの表れか。答えをくれるだれかを求める弱い心。聞かせるべきない事を聞かせる必要性なんてどこにあるのだろうか。これは私の弱さ。いつまでたっても大人になれない私の弱さだ。年下の子に愚痴を吐こうとしているのだから。


 そんな事を考えている間に、すぅと音もたてず湖陽が隣へと座る。


「えぇ。聞くわ。貴方が話してくれるのならば私は何でも聞くわ。聞くわよ」


「私は強姦者の血を継いでいるのだよ」


 瞬間、はっと顔をあげる湖陽の姿が酷く痛ましい。


 けれど、既に堰は切った。濁流の如く何もかもを飲み込む。


「強姦されて孕まされて、母はそれを出産した。


 何故そこで私を出産したのか未だに分からない。母の両親の宗教の絡みだとも聞いたけれどそれも本当かは分からない。その時の母の精神は既に壊れ現実を見る事が出来ていなかったのだから。母は女子校の出身だった。温室育ちの可愛らしい人だったと母の友人だったという人に聞いている。格好良くて可愛くて可憐でそれでいて純粋。それが母だったそうだ。そんな母は出産と同時にこの世を去った。私はその後、祖父祖母に捨てられた。犯罪者の血を継ぐ者、母殺しと罵られ捨てられた。


 それならば最初から産まないで欲しかった、産ませないで欲しかった。


 私は孤児院で育った。両親のいない子達ばかりだった。やさぐれている子が多かった。精神的に不安定な子が多かった。誰も彼も何か傷を抱えて生きていた。だからといって、他人を害して良いわけがない。それは私の遺伝子上の父親と同じなのだから。その遺伝子を抱えて私は生きていた。生きてきた。愚直に実直に。神は救ってくれるのだと盲目に信じて私は生きてきた。けれど、その神の存在故に私が産まれた事を思えば、信じなれば良かったのだろう。そういう意味で私は酷く馬鹿で愚かな人間だ。


 その内、数学とか物理とかそういったものに興味を持った。論理的な所が良かったのだろうか、それとも決まり切った所が良かったのだろうか。答えが一つだけだからとかそういう事はなかったように思う。実際、答えが一つである事の方が稀だという事をすぐに知ったのだから。……そんな世界に飛び込んだ。その世界で何かを残せれば良いと私はそう思った。そして大学へ行き、大学院まで進んだ。これからという時だった。一人の後輩が出来た。女の子だった。性格は、ふたなり百合好きだっていう奴だった」


 苦笑する。死に至った日に見た後輩の姿を思い出す。背の低い子だった。いなほよりもまだ低い可愛らしい子だった。喋る台詞は大概だったけれど。


「遺伝子を残したくないというのはそのもの事実でね。その時の私は性愛には嫌悪感しかなかった。だから魔法使い見習いだったのも事実なんだよ。今の私よりも十近く年齢を重ねてはいたけれど、私はまだまだ大人になれないでいたんだよ。セックスすれば大人かといえば違うんだけどね。だから、単に精神的に子供だったというだけ」


「その後輩の好意は良く理解していた。理解していたよ。でも、彼氏彼女の関係になる事はなかった。なりたいと思った事は何度もある。けれど、結局私はそれを告げる事はなかった。だってほら。私は遺伝子を残したくないのだから。強姦者の遺伝子なんて残したくない。残すわけにはいかない。そして、それは今も変わらない。この私の意識がある限り絶対に残すわけにはいかないと、そう思っている。そして、そんな獣の血を継いだ男子としての精神が残っている以上、百合が好きだからといって私は女の子を愛すわけにはいかない。決して。だから、湖陽と一緒にいる事なんて、できはしない。けれど確かに私は月浦湖陽という女性を気にしている。けれど、それでも私が男である以上、この想いは遂げられない。この強姦者の血が私を苦しめるんだよ。私は、この私が人を愛して良いわけがないって。この私が人に愛されて良いわけがないと。誰にも愛された事のない人間は誰かを愛する事はできないんだよ」


 そんな事を告げる自分が一番嫌いだった。


「そして、一番嫌いなのはそれを理由にする事。何もかもをそれの所為にしてしまう自分が嫌いだ。病気だから許される、不幸だったから許される、偉いから許される。そんな事大嫌いなのに、けれど自分もそれと同じになっているというこの矛盾を理解しながら生きている」


 取りとめもなく壊れた機械のように詰まらない事を口にする私に、月浦湖陽は目を閉じ、一度頷いて、告げる。


「自虐思考精神的ふたなり百合少女萌え……いえ、ごめんなさい。つい本音が出てしまったわ。私にはそれを理解する事ができるとは思えないけれどね、今の貴方のどこにそんな血が混じっているというの。あるのは貴方の記憶の中にだけ。それは物質的な存在では決してないわ。だから安心しなさい。貴方は私と愛し合っても誰にも咎められない。それに、私の血は受け継がれない。途絶える運命。だから、貴方がたとえ遺伝子を残したくないとしても私ならば愛し合える。私と貴方は愛し合えるのよ」


「欺瞞だよ」


「欺瞞大いに結構。言葉遊び大いに結構。私は絶望に打ちひしがれるジュリエットになりたくなんて、ない。私だって女だもの。白馬の王子様にあこがれた事はあるわ。王子様に魅力を感じなくても。きっと追い求めていたの。私が初めて好きになった男が貴方なのよ。それはとてもとても嬉しい事で。私にも男女の愛を営めることに涙さえしたわ。貴方は私の運命よ。未来永劫途絶え続けるこの私への手向けの花。しゃれているじゃない。蓮の花なんて。だから、そんな悲しい事は言わないで。貴方が私を嫌いならば構わない。けれど、そうでないのならば……考えてほしい。一度で良いから考えて欲しい」


 考える必要なんて、なかった。


 私の顔を両手で挟みこみ、視線を逸らさないように見つめている彼女の瞳に映る私は、どこか照れくさそうだった。


 とくん、と鳴る心臓の音はきっと喜びなのだろう。


「いいや、考えるまでもない。私の負けだよ、俺の負けだよ。陽の当たる湖だからこそ、蓮の花は咲き誇れる。月が出てないのは残念だけどね。いいやむしろだからこそかな」


「……まったく締まらないわね。くっさい台詞。でも、そういうのも嫌いじゃないわ」


 恥ずかしそうに髪を指先で弄る彼女はとても綺麗だと、そう、思った。


「そういえばタイムマシーンがどうのって話」


「ん?」


「そんなものいらないわ。私は未来があれば、それで良い」







 いつもの昼。いつもより少し近い私達。


「ほら……こうやって」


 するすると肩を通り二の腕を通り一の腕、手、指先とゆっくり動いていく彼女の指先の感触がこそばゆい。そして行きついた先で彼女が、彼女の指先が私の指先と繋がり、絡む。絡み絡んで手の平と手の平が触れ合う。


「あら、今度はほどかないのね」


 言いながら唇の端を釣り上げ、頬を染める。


 伝わる熱に私の頬まで赤くなってくる。頭が呆としてくる。ふるふると頭を振り、振ってから指を放す。


「残念。酷い人ね貴方は」


「人間性格は早々変わらないって話だよ」


「女の体には早々に慣れたのにね」


 煩いと一言伝えてから制服姿の湖陽を見る。相変わらずのロングスカートが微妙に、僅かにだが丈が短くなっているのはきっといなほの指令なのだろうとは思う物の中途半端すぎで何ともいえない。やるならもっとがんばれと熱い視線を足元に送っていればぺちこんと両手で頬を挟まれる。


「厭らしいわね、その目。何?発情したのかしら学校で。変態ね。貴方変態紳士ね。いいえ、今は変態妖精なのかしら?まぁいいわ。それよりも……私を騙った犯人を見つけるわよ!ヒーローの汚名を晴らすのを手伝うのがヒロインの役目よ」


「確かに汚名よな」


「黙りなさい、百合原理主義者ファンダメンタリスト。あの素晴らしくハイセンスな名前のどこが汚名だというのよ」


「ハイセンスすぎて誰にも良さが分からない所かな」




『夢を見ました。


 それは素敵な夢でした。私が可愛らしい女の子と付き合い始めるという話でした。


 信じられなくて何度も何度も頬をつねったりしました。


 とても、とても痛かったです。


 どうやら私の夢は醒めてしまったようです。綺麗な月明かりに照らされてついつい花咲くように私は夢から醒めたようです。


 これがきっと大人になれない私の楽園ティル・ナ・ノーグなのでしょう。


 だから、きっと私は夢から醒めたのです。


 この世界こそが現実なのですから』




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